中島克仁

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日本の旗衆議院議員 中島 克仁
生年月日 (1967-09-27) 1967年9月27日(56歳)
出身地 日本の旗 山梨県[1]
出身校 帝京大学医学部
学位・資格 医師
医学士
前職 開業医
所属委員会 厚生労働委員会
環境委員会
消費者問題に関する特別委員会
選出選挙区比例南関東ブロック→)
山梨1区
当選回数 2回
所属党派みんなの党→)
(民主党→)
民進党
会館部屋番号 衆議院第2議員会館723号室
ウェブサイト 中島かつひとホームページ
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中島 克仁(なかじま かつひと、1967年9月27日 - )は、日本政治家医師民進党所属の衆議院議員(2期)。

父は元参議院議員中島真人

来歴

山梨県出身。山梨県立韮崎高等学校帝京大学医学部卒業。大学卒業後、帝京大学医学部附属病院山梨大学医学部附属病院韮崎市立病院の勤務医を経て、北杜市で診療所を設立[2]

2012年第46回衆議院議員総選挙みんなの党公認で山梨3区から出馬。選挙区では民主党後藤斎自由民主党中谷真一の後塵を拝し得票数は3位だったが、重複立候補していた比例南関東ブロックで復活し、初当選した。

2014年11月19日、所属するみんなの党の両院議員総会において浅尾慶一郎代表が解党を決定。同月23日、民主党に入党し、第47回衆議院議員総選挙では山梨1区2013年に選挙区の区割が変更されたため山梨3区は廃止され、全域が山梨1区に編入された)で公認を受けた[3]。なお、当初は旧山梨1区が地盤であった維新の党小沢鋭仁国会議員団幹事長も山梨1区から出馬する意向であったが、12月1日、選挙区調整により比例近畿ブロックへ転出し[4]、山梨1区の野党候補が中島に一本化された(日本共産党は公認候補を擁立)。第47回衆議院議員総選挙で、山梨1区において自民党前職の宮川典子1,085票の僅差で破り、再選(宮川も比例復活)。みんなの党の解党が決定した時点で同党に所属していた衆議院議員のうち、議席を維持したのは中島、浅尾慶一郎の2名に留まった。

2015年民主党代表選挙では長妻昭の推薦人に名を連ねる[5]が、長妻は1回目の投票で最下位に終わった(当選者は岡田克也[6]

政策・主張

自身のホームページで以下のような政策を掲げる。

  • 福祉一体化改革

子どもたちが生涯にわたり安心して受け続けられる持続可能な制度づくりを厚生労働委員会で審議しています。

  • 豊かな未来を子どもたちへ

子どもたちが希望をもって明るい将来を描けるよう、生活に直結した経済・雇用対策に取り組みます。

  • しがらみのない政治の実現

利権優先政治をやめ、誰もが平等に活躍できる世の中にします。

子どもたちの夢ある将来を阻むことのない平等な社会を構築する法律を起案・成立させました。

大人の無責任な行為により子どもたちが犠牲にならない世の中にします。

福島第一原発事故による小児甲状腺がんの対策の徹底を訴え続けます。また、安全の確立ができない原発を次世代に残しません。[7]

脚注

外部リンク