ローラン・ファビウス
ローラン・ファビウス Laurent Fabius | |
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生年月日 | 1946年8月20日(77歳) |
出生地 |
フランス パリ16区 |
出身校 |
高等師範学校卒業 パリ政治学院卒業 国立行政学院卒業 |
前職 | 国務院調査官 |
所属政党 | 社会党 |
公式サイト | Laurent Fabius |
内閣 | ローラン・ファビウス内閣 |
在任期間 | 1984年7月17日 - 1986年3月20日 |
大統領 | フランソワ・ミッテラン |
内閣 |
第1次ジャン=マルク・エロー内閣 第2次ジャン=マルク・エロー内閣 第1次マニュエル・ヴァルス内閣 第2次マニュエル・ヴァルス内閣 |
在任期間 | 2012年5月16日 - 2016年2月11日 |
大統領 | フランソワ・オランド |
内閣 | リオネル・ジョスパン内閣 |
在任期間 | 2000年3月27日 - 2002年5月6日 |
大統領 | ジャック・シラク |
在任期間 | 1997年6月12日 - 2000年3月27日 |
大統領 | ジャック・シラク |
在任期間 | 1988年6月23日 - 1992年1月21日 |
大統領 | フランソワ・ミッテラン |
その他の職歴 | |
産業・研究大臣 (1983年3月22日 - 1984年7月17日) | |
経済・財務大臣付 予算担当大臣 (1981年5月22日 - 1983年3月22日) | |
国民議会議員 (2012年6月20日 - 2012年7月21日) | |
国民議会議員 (2002年6月19日 - 2012年6月4日) | |
国民議会議員 (1986年4月2日 - 2000年4月27日) | |
国民議会議員 (1978年4月3日 - 1981年7月23日) | |
ル・グラン=ケヴィイー市長 (1995年 - 2000年) |
ローラン・ファビウス(ロラン・ファビュース、フランス語: Laurent Fabius[1]、1946年8月20日 - )は、フランスの政治家。フランス社会党所属。
来歴
1946年、パリの高級住宅街16区に生まれる。高等師範学校、パリ政治学院、国立行政学院(ENA)を卒業する。1974年、社会党に入党する。ミッテラン第一書記の経済顧問を務め、「ミッテランの秘蔵っ子」と呼ばれる。
1981年5月、ミッテラン政権発足とともに、予算担当相に就任する。1983年には産業・研究相に就任、さらに1984年7月にはナポレオン1世以来の最年少である37歳で首相に就任する(この記録は現在まで破られていない)。1981年より続いていた同政権の社会主義的政策を急転換させ、緊縮政策、市場重視の政策を行なった。1985年予算案は経済再建を軸にした超緊縮型予算で、歳入面では所得税・法人税の減税、社会保障関係の国民・企業負担の軽減、社会保障支出削減が打ち出された。インフレ政策は成功し、1981年に14%を記録したインフレ率も、1985年には5%以下となった。ただ、失業者対策は完全に破綻し、1980年から1985年の間に失業者の数は約75万人増加した。1985年には失業率は10.4%、失業者の数は300万人に達した。在任中はミッテラン大統領よりも人気があったが、1986年3月の国民議会選挙で社会党が敗北し、首相を辞任した。1988年6月から3年間、国民議会議長を務める。1992年1月、社会党第一書記に就任する。その後、首相在任中の薬害エイズ事件の罪で起訴されたが、2000年3月、ジョスパン政権で経済・財務・産業相に就任し、政治的復活を果たした。
1995年から2000年までル・グラン=ケヴィイー市長を務める。
2005年欧州憲法批准問題では、社会党が批准に賛成する方針であったが、ファビウスは反対に回った。
2007年フランス大統領選挙では、社会党の大統領選挙候補者に立候補したが、2006年11月党大会でファビウス、セゴレーヌ・ロワイヤル、ドミニク・ストロス=カーンによる選挙の結果、ロワイヤルが公認候補者となった。
2012年に発足したフランソワ・オランド政権では5月16日付で外相に就任した。
栄典
- 1984年 - 国家功労勲章グランクロワ
- 1990年 - イタリア共和国功労勲章
- 2008年 - レジオンドヌール勲章グランクロワ
- 2013年5月31日 - 旭日大綬章
関連項目
外部リンク
- Laurent Fabius(フランス語)
- Laurent Fabius | Portail du Gouvernement(フランス語)
- ローラン・ファビウス外務大臣 - La France au Japon(日本語)
公職 | ||
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先代 ジャン・ルイ・ドブレ |
憲法評議会議長 2016年3月8日 - |
次代 現職 |
先代 モーリス・パポン 予算大臣 |
経済・財務大臣付 予算担当大臣 1981年 - 1983年 |
次代 アンリ・エマニュエリ 経済・財務・予算大臣付 予算担当副大臣 |
先代 ジャン=ピエール・シュヴェーヌマン 国務大臣 研究・産業大臣 |
産業・研究大臣 1983年 - 1984年 |
次代 エディット・クレッソン 産業再編・貿易大臣 |
次代 ユベール・キュリアン 研究・科学技術大臣 | ||
先代 ピエール・モーロワ |
首相 第五共和政第9代:1984年 - 1986年 |
次代 ジャック・シラク |
先代 トニー・ラリュ |
ル・グラン=ケヴィイー市長 1995年 - 2000年 |
次代 マルク・マシオン |
先代 クリスチャン・ソテール |
経済・財務・産業大臣 第五共和政第21代:2000年 - 2002年 |
次代 フランシス・メール |
先代 アラン・ジュペ 国務大臣 外務・ヨーロッパ問題大臣 |
外務・国際開発大臣 第五共和政第22代:2012年 - 2016年 |
次代 ジャン=マルク・エロー |
議会 | ||
先代 ジャック・シャバン=デルマス |
国民議会議長 第五共和政第7代:1988年 - 1992年 |
次代 アンリ・エマニュエリ |
先代 フィリップ・セガン |
国民議会議長 第五共和政第10代:1997年 - 2000年 |
次代 レーモン・フォルニ |
党職 | ||
先代 ピエール・モーロワ |
社会党第一書記 1992年 - 1993年 |
次代 ミシェル・ロカール |
先代 マルタン・マルヴィ |
国民議会社会党グループ会長 1995年 - 1997年 |
次代 ジャン=マルク・エロー |