ベルカ戦争

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ベルカ戦争(ベルカせんそう、: Belkan War)は、ナムコ(後のバンダイナムコゲームス)のPlayStation 2フライトシューティングゲームACE COMBAT ZERO THE BELKAN WAR』の舞台となった架空の戦争。1995年3月25日のベルカ連邦による周辺諸国への宣戦布告から、侵攻された周辺諸国を中心とした連合軍の勝利によって、同年6月20日に停戦条約が調印されるまでの期間行われた戦争である。本項では便宜上、同年12月25日に発生したクーデター組織「国境なき世界」によるクーデター事件についても取り扱う。

開戦までの経緯

1900年代初頭から、隣国オーシア連邦と軍拡と領土拡張を競っていたベルカ連邦は、領土拡大に伴う軍事費の増大に耐えられなくなり、1987年12月17日、連邦を構成する東部諸国から盟主ベルカ公国本国へと駐留軍を撤退させると共に、政治権限の多くを移譲した。

1988年に入り、連邦法の改正により東部諸国に分離独立の気運が生まれ、その一国であるゲベートが2月28日に、それに続きウスティオ共和国が5月12日に連邦より独立した。1991年8月29日には残った連邦領も東部周辺国に売却され、オーシア連邦に対しても北方諸島と五大湖南北帯を割譲した。この時点でベルカ連邦の経済は既に破綻状態に陥っており、脱却の道筋は全く見えていなかった。

ベルカ政府首脳は、領土の割譲を含むオーシア連邦との協調路線によって自国経済の建て直しを図ったが、共同出資事業であった五大湖資源開発公社の採算割れ隠蔽工作が発覚。領土割譲を目的としたオーシア連邦による策謀の疑いが浮上したことで、ベルカ国民の対オーシア感情が悪化、同時に東部諸国の独立を許したベルカ政府の姿勢に対しても国民の不満が向けられ、大規模な暴動にまで発展した。

1992年には、この不満を吸収する形で支持を集め最大議席を獲得した極右政党「ベルカ民主自由党」が政権を事実上掌握。国民の圧倒的支持を背景に政権の独裁的傾向が強まっていった。この頃、隣国ウスティオ共和国で莫大な地下資源が発見され、既に司法独立性を失っていたベルカ連邦最高裁判所は、連邦法の改正は外国による干渉の結果で違憲であり、東部諸国の独立は無効であると判決。これを大義名分としてベルカ全土に動員令が発令され、政権発足以来増強されていたベルカ軍が国境付近へと集結を開始した。

戦争の経過

開戦

  • 1995年3月25日 - ベルカ連邦は周辺諸国に対して宣戦布告。準備を怠っていた各国は尽く敗走、各国共に自国領内の深くまでベルカ軍の侵攻を許す。特に東部諸国の一国であるウスティオ共和国は、開戦から数日の内に山岳部等を除く大半の領土を占領された。侵攻を受けたオーシア連邦、サピン王国、ウスティオ共和国などを中心に連合作戦が計画され、これによりウスティオ臨時政府は、東部山岳地帯に囲まれるという地理的条件から唯一占領を免れたヴァレー空軍基地に残存航空戦力を集結、残存する第6航空師団を外国人傭兵部隊として再編した。
  • 4月2日 - ウスティオ共和国を完全制圧するべく、ベルカ空軍の大規模爆撃機部隊がヴァレー空軍基地に侵攻したが、迎撃に出撃した第6航空師団によって退けられる。この頃よりベルカ軍は急速に広げ過ぎた戦域に対処しきれなくなっており、特にオーシア連邦と対峙していた南部戦線では兵站に無理が生じ始める。

ウスティオ反攻作戦

  • 4月15日 - 開戦時にベルカ軍により電撃的に奪取され、ウスティオ共和国孤立の原因となった、ウスティオ共和国からサピン王国やオーシア連邦との兵站線となる幹線道路171号線の確保のため、ウスティオ第6航空師団はサピン王国アルロン地方の171号線沿線を封鎖するベルカ軍地上部隊の掃討を図り、これに成功する。
  • 4月20日 - 連合作戦の一環として、連合軍海上部隊の進軍が開始される。これの陽動を目的として、ベルカ軍の東部戦線に設定された絶対防衛戦略空域B7R、通称「円卓」に第6航空師団所属の2機編隊のみによる強行偵察が事前に行われる。陽動作戦は成功裏に終わり、迎撃に現れたベルカ軍精鋭航空部隊を壊滅させるという副次的な成果も挙げた。
  • 4月24日 - 各国軍を総称した軍事機構が「連合軍」と正式に命名され、オーシア連邦のオーレッド湾と前線である五大湖を結ぶ重要な水上輸送路であるフトゥーロ運河の確保を目的とする共同作戦「戦域攻勢作戦計画4101号」を開始。連合軍としてウスティオ第6航空師団や、試験航行を目的とした最新鋭空母ケストレルを中心としたオーシア国防海軍第3艦隊が投入された。ベルカ軍側も空母ニヨルドなど多数の戦力を投入するが、連合軍による攻勢の前にフトゥーロ運河を奪還される。
  • 5月12日 - ウスティオ共和国首都ディレクタス南西近郊の街、ソーリス・オルトゥスを占拠しているベルカ軍に対して、オーシア第101空挺師団を中心とした連合軍部隊の強襲作戦が行われる。連合軍はソーリス・オルトゥスの解放に成功、ディレクタス解放の足掛かりを得る。
  • 5月13日 - ウスティオ共和国首都ディレクタスに置かれたベルカ軍のウスティオ方面軍司令部に対して、ウスティオ第6航空師団を中心とした連合軍による首都奪還作戦が開始される。連合軍部隊の攻勢を受けた上、一部の市民も蜂起したため、これにベルカ軍は対処できず敗走、ディレクタスより撤退を余儀なくされた。首都ディレクタスの奪還によってウスティオ共和国は事実上解放され、他の戦線でも連合軍の大攻勢を受けて戦線は国境まで押し戻される。前線での戦況が連合軍側に傾き始めると、これまで静観していた周辺国も、戦後の再編が確実視されている旧ベルカ連邦領の資源権益を目的に続々と参戦を開始する。

ベルカ連邦侵攻

  • 5月17日 - 核兵器および大量報復兵器「V2」の開発計画が明らかになったとして、連合軍首脳部は核査察と資源権益確保を目的に、国境を越えてベルカ国内へ侵攻することを決定。この侵攻に関して、核査察は名目でしかなく、実際には資源権益の確保こそが主たる目的であったとする見方もあるが、実際に兵器の開発計画が進められていたことも事実であり、真相は不明である。この決定を受けて、サピン国境からオーシア国境の一部に面して約700kmにも渡って構築されているベルカ軍の南部防衛線、通称「ハードリアン・ライン」へと侵攻した連合軍は、同戦線の主戦力である遺跡要塞グラティサントを航空攻撃によって制圧した。一方、連合軍の国内侵攻に対応して、ベルカ軍も本土防衛用超高層化学レーザー兵器「エクスキャリバー」を実戦投入、ウスティオ国境より侵攻した連合軍部隊を壊滅させることに成功する。
  • 5月19日 - 南部防衛線の突破に成功した連合軍だが、五大湖の北東に位置するシェーン平原に構築されたベルカ軍の第二次対空防衛ラインによって、空輸による補給計画に支障が生じていた。このため、連合軍は輸送部隊のルート確保を目的として、航空部隊による大規模な制圧作戦を決行。連合軍は一時的に制空権を確保したが、エクスキャリバーによる長距離レーザー攻撃を受け、作戦に参加していたウスティオ第6航空師団や輸送機隊などを含む連合軍航空部隊に多大な被害が出る。
  • 5月23日 - エクスキャリバーの所在を掴んだ連合軍は、空中給油による遠征によって航空部隊をベルカ領奥地のタウブルグ丘陵に派遣、航空攻撃による破壊を試みた。一方のベルカ軍も連合軍の侵攻は予期しており、作戦司令本部の主導による待ち伏せ作戦が図られた。この戦闘はウスティオ第6航空師団を中心とした連合軍の勝利に終わり、エクスキャリバーは破壊され、連合軍の進撃は勢いを増していく。
  • 5月28日 - 連合軍はベルカ連邦の強大さの象徴的空域であるベルカ絶対防衛戦略空域B7Rへの進撃作戦「バトルアクス」を発動、同時に国際会議の席上にてB7Rに対する不可侵条約を永久破棄すると宣言した。B7Rに侵攻した連合軍航空部隊に対して、物量と経験の両面で優位に立つベルカ空軍は、連合軍航空部隊の40%以上を損耗させる戦果を挙げる。しかし、連合軍の増援としてウスティオ第6航空師団が投入されると形勢は一挙に逆転、ベルカ軍側も増援を送り込むも短時間の内にB7Rは制圧される。
  • 5月31日 - ベルカ国内で漂っていた厭戦ムードが形となって現れる。ベルカ軍部はベルカ発祥の地とされる北部地域、北ベルカの防衛を重視していたため、見捨てられる形となった南部地域、南ベルカの主要都市が非武装宣言を行い、連合軍に対して無血開城する。
  • 6月1日 - 連合軍はベルカ連邦の継戦能力を奪う目的で、ベルカ東部を代表する工業都市ホフヌングに対して無差別爆撃ともいえる苛烈な夜間強襲を展開した。一方のベルカ軍も、防衛が不可能と知ると製造施設や軍事技術が連合軍に奪取されることを恐れ焦土作戦を展開。連合軍爆撃機連隊による空爆と、ベルカ軍による破壊活動で工業都市ホフヌングは軍民施設を問わず壊滅的な打撃を受けた。抗戦の姿勢を崩さない北部地域へと撤退を続けるベルカ軍は、南北ベルカを隔てるバルトライヒ山脈を最終防衛ラインと想定。南ベルカ国営兵器産業廠が存在するなどの地理的要因から、ホフヌング西方に位置する工業都市スーデントールを防衛拠点として、残存兵力の撤退を支援する目的で籠城戦を図った。

バルトライヒの決戦

  • 6月5日 - 北ベルカへの全軍撤退を予定していたベルカ軍だが、交通の難所であるバルトライヒ山脈に阻まれ撤退が滞っていた。これに対して、工業都市スーデントール周辺のベルカ軍を包囲していた連合軍が3個軍を残して転進、攻勢を開始する。
  • 6月6日 - 自国領内を侵攻する連合軍に対する核攻撃作戦がベルカ連邦内の強硬派を中心に画策される。連合軍側も核攻撃の情報を掴んでおり、スーデントール南西を南下する大型爆撃機編隊を捕捉。連合軍はこれをウスティオ共和国に対する核攻撃を目的とした部隊と捉え、スーデントール攻撃支援任務のために付近を飛行中だったウスティオ第6航空師団に迎撃任務を緊急発令した。核兵器の使用を阻止したいベルカ軍穏健派も追撃部隊を差し向け、爆撃機編隊は全機撃墜されたが、別部隊の手によりバルトライヒ山脈で計7発の小型戦術核爆弾V1」が炸裂。南北ベルカを繋ぐ中継拠点であるバルトライヒ周辺の7つの町が消し飛び、多くのベルカ国民を含む12000人超もの人命が失われた。ベルカ軍が自国領内を核攻撃するという想定外の事態に連合軍は大混乱に陥り、この隙を突いてスーデントール周辺のベルカ軍が包囲を突破、混乱の続く連合軍を強襲する。バルトライヒ山脈での戦闘は泥沼化、最終的に国力に勝る連合軍が勝利し、南ベルカ全域での武装解除を成し遂げたものの、北ベルカへの進軍は中止せざるを得なくなった。また、この核攻撃の結果としてベルカ連邦側が受けた政治的、軍事的ダメージも非常に深刻で、これにより停戦への模索が開始される。

ベルカ連邦解体

  • 6月13日 - ベルカ政府は自国領内での核兵器の使用という暴挙により国民の支持を失い、連合軍の主導によって暫定的新政権が誕生する。これに対して、ベルカ国内の「旧ラルド派」を始めとした主戦派勢力は残存戦力の隠匿を極秘に画策、一部の部隊の移動が開始される。一方、連合軍は武装解除に従わないベルカ軍残党部隊の掃討作戦を発動。ベルカ領北西部のイエリング鉱山周辺で活動中のベルカ軍部隊に対して、ウスティオ第6航空師団を派遣した。この作戦の結果、イエリング鉱山周辺のベルカ軍部隊は掃討され、連合軍の作戦目的は達成される。しかし、ベルカ軍部隊の一部は掃討作戦の開始前に戦域からの離脱を完了しており、ベルカ軍は開発中の重巡航管制機「XB-0 フレスベルク」など、多数の戦力の隠匿に成功する。
  • 6月20日 - ベルカ連邦南部国境に面する都市ルーメンにて、連合軍の厳重な警戒の下、ベルカ暫定政権による降伏文書への調印式が行われる。この停戦条約によりベルカ連邦は解体され、軍備の縮小や核兵器保有の制限が設けられた。また、ルーメンやスーデントールを含むバルトライヒ山脈以南の南ベルカ一帯がオーシア連邦へ割譲され、オーシア連邦ノースオーシア州となった。この条約の締結内容は、連合軍の主戦力であったオーシア連邦に非常に有利な内容であったともされ、それまでの軍事的衝突に代わって、ベルカ連邦が有していた地下資源の利権を巡り、連合軍の参加国同士による外交戦争が勃発することとなる。また、調印式典の開始と同時刻の16時より、ベルカ北東部の都市アンファングに集結したベルカ軍部隊に対して、ウスティオ第6航空師団による極秘掃討作戦「ブルーム」が決行された。連合軍側の資料によれば、掃討作戦の実行部隊であるウスティオ第6航空師団には、集結しているベルカ軍部隊は降伏に従わない残党部隊だと通達されていた。しかし、ベルカ軍側の資料によれば、集結したベルカ軍部隊の中には、アンファングが連合軍への投降地点であると通達されていた部隊もあったようで、その集結規模も残党軍とは呼び難い大規模なものであった。ベルカ軍部隊集結の真相は明らかとなっていないが、この極秘作戦によって集結したベルカ軍部隊は全て掃討されることとなった。

国境なき世界

  • 12月25日 - ベルカ軍上級将校を中心に、オーシア連邦、サピン王国、ウスティオ共和国、ユークトバニア連邦共和国など各国の将兵を含む大規模多国籍クーデター組織「国境無き世界」が蜂起。隠匿されていた重巡航管制機「XB-0 フレスベルグ」を用いて停戦条約締結の都市ルーメンを空爆した。連合軍は直ちに追撃を図ろうとしたが、体勢が整わない内にウスティオ共和国ヴァレー空軍基地が空襲される。これによってヴァレー基地は甚大な損害を被ったが、同基地から緊急発進した迎撃部隊はXB-0を含むクーデター軍航空部隊をスーデントール南西の空域まで追撃、交戦状態に入りXB-0の撃墜に成功した。クーデター勃発当初、連合軍はクーデターはベルカ軍残党によるものと捉えていたが、この戦闘でクーデター軍に多数の連合軍機が含まれていたことが確認され、これを受けて調査が開始される。
  • 12月31日 - 調査の結果、連合軍はクーデター軍の実態を把握。同時に、クーデター軍が北ベルカのムント渓谷に位置するベルカ軍のダム擬装型ミサイルサイロ基地「アヴァロンダム」を接収しており、これを拠点として試作型大量報復兵器「V2」の発射準備を進めていることも判明した。V2は核弾頭搭載型の弾道ミサイルであると推定されたため、連合軍はV2発射阻止を総力作戦とすることを決定、ウスティオ共和国ヴァレー基地などから多数の航空部隊を遠征させた。対するクーデター軍も主力部隊を迎撃に派遣、一部の連合軍部隊とB7R上空で空戦となったが、連合軍はこれを退けアヴァロンダムの上空に殺到。防衛部隊の反撃により多数の損失を出しながらも、基地内部のミサイル発射制御システムおよび発射管制を担当していた特殊戦闘機「ADFX-02」の破壊に成功する。この戦闘中に、1基のV2ミサイルが発射されるという不測の事態が発生したが、管制機であった機体の破壊直後にV2は大気圏外で暴発、最悪の事態は回避された。

戦後処理

ベルカ戦争の戦後処理は、ベルカ軍が使用した核兵器や電磁兵器による混乱や記録抹消工作、資源外交の激化などによって混沌とした状況となっていたが、終戦の半年後に起こった「国境無き世界」の蜂起によって、それにさらに拍車がかかる。

アヴァロンダム陥落によるクーデター軍の崩壊後、その中核であったベルカ軍は勿論、多くの離反者を出した連合軍でも捜査が行われ、各国で多数の逮捕者が出る。ベルカ公国では、派閥の一つである旧ラルド派のクーデター関与が疑われ、幹部のヴァルデマー・ラルドが失脚。連合軍では、「国境無き世界」の創設者の一人と目され、戦後行方不明となっていた元オーシア国防空軍大尉ジョシュア・ブリストーが、オーシア大統領暗殺などの新たなテロ計画を企てた罪で逮捕された。この他にも、地下に潜ったベルカ軍強硬派やクーデター軍の残党は、戦後もテロを始めとした様々な工作活動を繰り広げており、情報部や特殊警察などによる捜査が続けられて行くこととなる。

一方、ベルカ軍の優れた指導者や技術者などは、戦後オーシア連邦を始め各国から優秀な人材として招かれることも多く、そのために戦犯としての追及を軽減された例もあった。エストバキア連邦など友好国への亡命という形で追及を逃れた者もおり、ベルカ軍の優れた軍事戦略、軍事技術はこれらの国々でも広まっていった。また、クーデター軍に所属していた人物でも、訴追を免れていたり数年程度の服役などといった軽い刑となっている場合もある。これには人材確保や、司法取引などによる減刑といった理由もあるが、戦後「V2」に関する情報が連合軍によって隠蔽されたことに伴い、クーデターに関する情報も非公開となっていたことが関係しているという見方もある。

戦後の情報錯綜は、戦死者の遺体確認の面でも問題を発生させている。B7R空域のように地理的に遺体の捜索自体が困難な戦闘地域が存在する上、生前の記録と遺体の特徴が全く一致しない、その人物に関する情報自体が消失しているなど、擬装工作が行われた可能性が高い事例も多く、こういった身元不明者や、遺体が回収されていない行方不明者の中には、逃亡の疑いがある危険人物も多数含まれていることから、戦後の捜査が難航する一因にもなっている。

長年その位置が定まらなかった国境線に関しては、停戦条約の発効により一応の決着が付いた。東部諸国は開戦前と変わらず独立を維持、国境線は元に戻る。一方で、ベルカ公国は南西部の南ベルカ一帯が信託統治領としてオーシア連邦に割譲され、開戦前に比して領土の半分以上を失った。また、ベルカ戦争の要因の一つである旧ベルカ連邦の天然資源の利権については、戦勝国同士の外交交渉によって分配されることとなった。しかし、資源を巡る各国の貪欲な姿勢は、「醜いパイの奪い合い」とも形容され、後のクーデター軍蜂起に一種の大義名分を与えてしまうという結果を生んだ。

その一方で、戦勝国を始めとした各国は戦後世界的な軍縮を推進している。その原因については、国力の疲弊によって軍備を維持していく余裕が失われたという理由の他に、多数の核兵器の起爆といった凄惨な戦争を経験したことによって、一種の自浄作用が働いたのではないかとする見方がある。また、この世界的な流れの中で、戦前より冷戦関係にあって世界を二分してきた2つの超大国、オーシア連邦とユークトバニア連邦共和国が軍縮・融和路線へと舵を切った。この歴史的転換に至った経緯には、ベルカ戦争やクーデターなどを経て、互いに大きく疲弊した国力では競争政策の維持が困難となり、戦略的均衡の意味が失われたことや、終戦の翌年に小惑星ユリシーズの地球落下が確定的となり、その対応には両国の協力が必要な状況にあったことなどが挙げられる。ユリシーズの落着が目前となった1999年頃から両国の関係は大きく改善、以降は友好的な関係を築いていくこととなる。

15年後の戦争

ベルカ戦争終戦から15年後の2010年に勃発した環太平洋戦争、別名「ベルカ事変」。当時、友好国であったオーシア連邦とユークトバニア連邦共和国が突如として開戦した経緯には不透明な点が多々あったが、その背景には開戦以前から継続的に行われていた一連の工作活動が存在していた。ベルカ戦争の終戦後、連合軍による追及から逃れ地下に潜伏していたベルカ公国の強硬派組織「灰色の男たち(Gray Men)」は、両国政府や軍部に対する大規模な工作活動を展開しており、かつての連合軍構成国を代表する両国の同士討ちを図ったのである。壮大な策謀であるが、その目的は単純化すればベルカ戦争の復讐に過ぎず、ベルカ戦争が残した禍根の深さを物語っている。

OBC Documentary

終戦から10年後の2005年、ベルカ戦争に関する一部の資料が公開される。これを受けてOBCが制作したドキュメンタリー番組が「OBC Documentary Special: Warriors and The Belkan War」(副題を「ベルカ戦争の真実」とした資料もある)である。このドキュメンタリーは、公開された資料の中で「鬼(Demon)」と記述されていたウスティオ空軍のある傭兵戦闘機パイロットに焦点を当てたもので、この傭兵に関わった人物へのインタビューを始め、当時知られていなかったベルカ戦争とクーデター事件に関する様々な情報を含むものとして、高い評価を受けた。

参考資料

関連項目