フラフープ
フラフープ(Hula hoop)は、直径1mほどのプラスティック製などの素材の輪で、輪の中に入った人が腰などを振って回転させるための輪。フラダンスのように腰を動かしてフープを回すので、フラフープと命名された。腰以外にも首・腕・足などを使い体の各部位で回して楽しむ。
商標名、登録商標であるためにフラフープということばは主に現代アメリカでは使用されず、フープ(Hoop)と呼称するのが通常である。それに伴い、フープをまわすことをフーピングと言い、フラフープで技を行う人をフーパーと呼ぶ。
遊具としての使用が主流だが、近年、パフォーマンスや競技、ダイエット用品として使用されている。
歴史
フラフープの起源は不明だが、歴史を通して世界中の子供たちがいろいろな輪を使い、回したり転がしたり(輪回し)、投げたりして遊んできているのは事実である。
例えば、約3000年前の古代エジプトでは、ブドウの蔦で作られた輪を棒で地面の上を転がしていた。古代ギリシャでは、体重を落とすためにフープ状の物の使用が推奨されていた。
14世紀に入ってイギリスでは「フーピング」が流行した。
18世紀前半にハワイを訪れた船乗りがフラダンスとフーピングの間に類似点があることに気付き「フラ」という言葉を「フープ」に付け加え、フラフープという言葉を作った。
1957年に、フラフープは玩具会社"Wham-O"の創設者であるRichard KnerrとArthur Melinの2人によって再開発された(この2人は1948年にロサンゼルスのガレージから出発し、パチンコをWham-Oとして市場に出した)。
フラフープのアイデア自体は、オーストラリアを旅行したあるカリフォルニアの人物がKnerrとMelinに、オーストラリアでは体育の授業で竹でできたフープを子供たちが腰で回していたことを話したことがきっかけであった。
KnerrとMelinは数千年以上も親しまれ続けてきたフープに対する特許を取ることは、再開発されて素材も変わっていたとしても、独創性の特許の要件を満たしていないということで許可されなかった。
しかし「フラフープ」という登録商標により彼らの開発商品は守られ、商品名はほとんどの子供たちが他社のプラスティック製フープに全く興味を示さないほど流行した。1958年にフラフープが発売された後、Wham-O社は2年間に1億本を売り上げた。
フラフープの流行後、Wham-O社は「フリスビー」の発売で再び幸運を見出している。
日本における流行とその後
1958年にアメリカで大流行したことを受けて、同年10月18日に東京都の各デパートで一斉に販売が開始された。積水化学のポリエチレン管をアメリカの会社が加工して輸入したもので、価格は大人向けが270円で子供向けが200円。日産2万本のフラフープは、1ヶ月で80万本が売れた。販売される店には行列ができ、日本中で爆発的に売れて一大ブームを起こした。人気のために品薄になり、マルサンなど他社も参入し、小売店が独自にポリエチレンのホースを繋げたものを150円で売ることもあった[1][2]。
フラフープは美容と健康によいと宣伝されたこともあり、子供ばかりでなく大人もこの遊びに参加して、競技大会も開催された。このフラフープ人気に、日活はフラフープを題材とした映画『月は地球を廻ってる』を1959年1月22日に公開し、日本コロムビアもレコード「フラ・フープ・ソング」を発売した[1]。
しかし、11月18日にフラフープ使用によるとされる胃穿孔で重態になる事件が起き、横浜市と神戸市でも同日に路上のフラフープで遊んでいた子供が交通事故に遭って警察庁もこれを問題視。さらに21日には千葉県で少年3人が腸捻転など内臓障害になったことから、千葉県東金市立東金小学校が小学校が11月22日に児童にフラフープ禁止令を出した。宮城県でも教育委員会が警告を出し、厚生省もフラフープと健康障害への影響を検討することになり、ブームは急速に沈静化。40日足らずで1958年の日本のフラフープブームは終焉した[1][3]。日本中が巻き込まれるブームは1960年のダッコちゃんブームにつながっていった。
腸捻転の事例は大半が千葉県内の特定の病院に集中していた。後日、これらの症状とフラフープの因果関係は科学的に否定されている。2010年11月にはこのことと関連付けて、東金市が市の中央公園にフラフープの記念碑を建てた[3]。
2000年代以降
2000年頃からアメリカのThe String Cheese Incidentというブルーグラス系のロックバンドのステージでフープを回すダンサーが出現し、バンドメンバーがフープをコンサート会場でファン達に配って人気を博した。
そのファン達の行為を受け継いだ現在の人達が、フープダンスというニューエイジなジャンルの流れを起こし、近年それがひとつのうねりとなってポップカルチャーからダイエット、ヘルス、さらにメディテーションまでに、大きく影響を及ぼしている。
ネバダ州のブラックロックシティー砂漠で毎年恒例のBurning Manの砂漠での催しによってフーピングやフープダンスはさらに先端のカルチャーとして拡大している。
この21世紀のニューエイジのフーパー達は、過去にあった遊具の子ども用フラフープではなく、ポリエチレンチューブでさらに大きくて重たいフープを作った。このフープは通常ビニールテープ等で巻かれており、パフォーマーが激しいパフォーマンスをしても耐えうるように作られている。そして大きいサイズのフープで楽に回すことができるようにした。巻きつけるテープはカラフルなカラーリングで、蓄光やLEDライト付き、またはホログラムテープなどを使用してさらに個性的になっている。
ここ数年、たくさんのフーパー達がガソリンを浸し、炎を灯した繊維でできた芯をフープの外側にとりつけたファイヤーフープを使い始めている。
近年、かなりのミュージックビデオに、フープダンスと共にファイヤーフープのパフォーマンスが多く収録されている。
サーカス
1960年代になると世界中のサーカスにフラフープが現れ始めた。ロシアや中国のパフォーマーはフラフープで極限の演技を見せるようになる。そのパフォーマンスは、現代サーカスのパフォーマー、オーストラリアンサーカスコメディエンヌや、30本のフラフープを使って見せた「瀕死の白鳥」を演技した、フラフープの歴史家ジュディス・ラニガンなどが影響を受けた。
近年ではシルク・ド・ソレイユの「アレグリア」などにフラフープのパフォーマーが数人出演している。ミューテイターのパフォーマンスにもフープパフォーマンスが登場する。
ワールドレコード
フラフープの世界記録としては、当時8歳のメリー・ジェーン・フリーズが1976年8月19日に行われたフーピング持久力コンテストにおいて10時間47分で勝利した記録が残っている。
1987年4月2日から6日まで、90時間を回し続けたアメリカのロサン・ローズが保持している。
最も同時にたくさんフープを回した記録として2005年6月4日オーストラリアのカレーナ・オーツが100本のフープを同時に回した。
最大のフープを完璧に回したのは、2005年の9月アメリカのアシュリタ・フォアマンが15.3メートルの円周のフープ(直径4.87メートル)を回した。
2000年10月28日には台湾のチャン・チェンスタジアムで2290人が最低2分間フラフープを同時に回した記録がある。
腰でフラフープを回しながら走る競技の記録は以下の通り。
- 100M 13.84秒 ローマン・シェドゥラー オーストリア
- 1mile 7分 47秒 ポール・ブレアー アメリカ
- 10km 男子 1時間 6分 35秒 ポール・ブレアー アメリカ
- 10km 女子 1時間 43分 ベティー・フープス
2000年にローマン・シェドゥラーはオーストラリアのブレゲンツ第5回サクソニアレコード大会で53ポンドのトラクターのタイヤを71秒間回した。
フラフープの世界記録は辻希美、加護亜依も所持していたころがあり、ギネスブック2005年版に掲載された。2011年2月11日放送の『情報ライブ ミヤネ屋』では、直径12.8m(円周約40.2m)のフラフープを30秒間回したと紹介してその大きさを体感する試みをしていたが、円周12.8mの誤りである。
脚注
- ^ a b c 串間努『少年ブーム 昭和レトロの流行もの』晶文社、2003年、pp.283-286
- ^ 神永英司『マルサン物語 玩具黄金時代伝説』朝日新聞出版、2009年、pp.64-65
- ^ a b 「フラフープ再び回れ 下火きっかけの地、ブーム復活狙う」『朝日新聞』2010年11月28日、東京版朝刊、38面
関連項目
- 未来は今 - 1994年のコーエン兄弟による映画。フラフープがどのように生まれたかを描いたファンタジー映画。
- サザエさん - 原作で3回登場。1回目は猿回しに芸を教える話。2回目はカツオがフラフープに台と布を付けて偽ちゃぶ台を作り、サザエを引っ掛ける話。3回目は1964年、波平がワッペンを捨てようと庭に穴を掘ったら、バラバラになったフラフープが出てきた話。
- 鉄腕アトム - 原作に登場。「七つの影法師」(単行本では「キリストの目」)で、アトムがフラフープで遊んでいる。
- おトラさん大繁盛 - 1958年の柳家金語楼主演映画。劇中、上条美佐保の歌に合わせて女中達がフラフープで遊んでいるシーンが有る。
- おおきなわがあれば - おかあさんといっしょで放送されたフラフープを使った遊びを紹介する曲。