フラウケ・ペトリー

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フラウケ・ペトリー
Frauke Petry
フラウケ・ペトリー(2015)
生年月日 (1975-06-01) 1975年6月1日(48歳)
出生地 東ドイツの旗 東ドイツ ドレスデン
出身校 ゲッティンゲン大学
所属政党 ドイツのための選択肢(2013年- )
称号 博士化学者
配偶者 スヴェン・ペトリー
公式サイト Dr. Frauke Petry
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フラウケ・ペトリー (ドイツ語: Frauke Petry、旧姓:マルクヴァルト/ Marquardt 、1975年 6月1日 ドレスデン - ) はドイツ政治家。彼女は化学博士号を持ち、企業経営者でもあった。2015年7月以降、ドイツのための選択肢 (AfD)党首。2013年に設立された新党だったドイツのための選択肢(AfD)の3人いた党代表の一人に選ばれ、同時に党ザクセン州支部代表を兼任し強固な支持基盤を地元ザクセンで作った。2014年、ザクセン州議会議員に当選。その後党内で政治路線をめぐって権力闘争が繰り広げられた。2015年7月4日、ノルトライン=ヴェストファーレン州の工業都市エッセンで開催されたドイツのための選択肢(AfD)臨時党大会において彼女とイェルク・モイテンが党首に選ばれ、右派として党内権力闘争に勝利した。なお、ドイツのための選択肢(AfD)は彼女とイェルク・モイテンの二人代表制である。彼女は党内右派の国民保守主義派と見なされている。

出自と家族

コンビナートに勤務する化学者の妻とエンジニアの夫の娘として、ペトリーは東独 ドレスデンで生まれ、1989年までブランデンブルク州ニーダーラウジッツ地方シュヴァルツハイデで育った[1]。 父はベルリンの壁崩壊以前に西独に移り住んでいて、後から母親と共に彼女はノルトライン=ヴェストファーレン州ベルクカメンに向かった。 ペトリーはザクセン福音ルター派州教会洗礼を受けており、夫のスヴェン・ペトリーもザクセン州でルター派牧師として働いている。夫婦には4人の子供がいる。2015年10月初め、夫と別居しドイツのための選択肢 (AfD)ノルトライン=ヴェストファーレン州支部代表マルクス・プレッツェルと関係を持っていることを明らかにした[2][3]。夫スヴェン・ペトリーはその間にキリスト教民主同盟 (CDU)に入党している [4]。 ペトリーは副業としてオルガン奏者合唱指揮者としての訓練も受けている。彼女は2008年から2014年までライプツィヒ声楽アンサンブルの一員であった。

化学者としての経歴

1995年、ペトリーはベルクカメンのノルトライン=ヴェストファーレン州立ギムナジウムアビトゥーアを受験。その後、彼女は奨学生として1995年から1998年までイングランドのレディング大学で化学を学び、この地で自然科学学士号を得た。その後ドイツに帰国し、1998年から2000年までゲッティンゲン大学に在学しディプローム(学位)を得ている。彼女は大学在学時にシェリングとバイエルという化学系企業にアルバイトとして働いていた。

2004年、ペトリーはゲッティンゲンにある薬理学毒性学に関するゲオルク=フリードリヒ・カール、カレン・ヒルシュ=エルンスト研究所でABC輸送体ATP結合カセット輸送体に関する学位請求論文で優等の評価を得て博士号を授与された[5]。その後、薬理学と毒性学に関する研究所 で彼女は学術助手になり、人間遺伝学研究所で博士研究員になった。この時期において彼女はBiochemical and Biophysical Research Communications, Biochemical Journal, Cancer Research , Chemistry – A European Journal等の化学や医学専門誌に論文を発表していた。 1998年から2001年まで、彼女はドイツ科学者連盟の若手科学者フォーラムの指導部の一員として、1998年から1999年までは化学者連盟のスポークスパーソンであった[6]。さらに、彼女は英国の王立化学会の会員でもある[7]

起業家、企業経営者としてのペトリー

企業設立

2007年3月、ペトリーはライプツィヒ市プラグヴィッツ地区にプラスチック加工会社プリンベント・ゲーエムベーハー(PURinvent GmbH)という有限会社を設立した。それはポリウレタン合成物質を生産する企業であった[8]。この企業は現在新しい経営形態に変わっており、2011年以降3人の共同経営者によって運営されている。この考え方は発明家でもある彼女の母親に由来している。ペトリーと彼女の母親は「多量の水分を含んだポリウレタン新規物質、その製造方法とその適用」という特許を共同して得ている(EP 2 057 233[9])。ペトリーは革新的企業設立に関して起業家として際立った存在であり、とりわけ、この企業設立によってドイツ連邦共和国功労勲章の受章と75,000ユーロの賞金をダルヴォーバン賞によって得た。

債務返済能力喪失

2013年末、ペトリーは自身が設立したプリンベント・ゲーエムベーハー(PURinvent GmbH)が債務返済能力を喪失していることを明らかにすることを迫られた[10]。 続いてペトリー個人も債務返済能力が喪失した状態あることが判明した[11] 。債務返済問題は彼女自身がドイツ国民(市民)だったため、法律上当然の如く生じたのである[12][13]。 彼女が設立したプリンベント・ゲーエムベーハー(PURinvent GmbH)は2014年に南ドイツ投資コンソーシアムに買収され、企業名称も'PURinvent System GmbHに変更された。なお、企業の操業は継続されている。ペトリーはこの新企業においても引き続き取締役として経営に関与している[14]。 2014年のザクセン州議会選挙の3日前、ライプツィヒ検察がペトリーにおける返済能力喪失状態の不当延長に関する疑惑に対して捜査を開始することを明らかにした。検察によると返済能力喪失状態の規定にもとづいてこの捜査は開始されている[15]。 2013年6月において、該当企業会計監査は2012年の段階で貸借対照表において280.000ユーロの債務超過であったことを明らかにしていた。それに対してペトリーは2014年6月になって、2013年ドイツ連邦議会選挙前に不正行為を避けようとした結果だったと弁明した[16][17]。ザクセン州議会選挙の直前におこなわれた検察による告発と捜査手続き開始の公表は政治的動機によるものであったとペトリーは見なしている。破産管財人は届出の遅延という認識は示していなかったとペトリーは語っている [18]。ドイツを代表する雑誌シュピーゲルによると、検察の捜査は成果を上げられないまま終わている[19]

政治的経歴

党指導部における経歴

コンラート・アダム、フラウケ・ペトリー、ベルント・ルッケ (2013)

当初、ペトリーはドイツのための選択肢(AfD)設立を支援する団体のザクセン州支部代表であった。ヘッセン州 オーバーウルゼルで2013年2月に開催された設立党大会において、彼女は副代表に抜擢された。2013年4月14日の党大会において、ベルント・ルッケコンラート・アダムと共に党の代表(3人代表制)に選出された[20]。ルッケとペトリーは大局的見地から意見を述べ党大会に出席していた。 国民保守主義者経済自由主義者の間での党内権力闘争の結果、2015年7月4日のノルトライン=ヴェストファーレン州エッセンで開催された臨時党大会で、フラウケ・ペトリーは総得票の約60%の支持を得て新党首に選出された。イェルク・モイテンもその臨時党大会で2015年12月まで党則により党首として選出された。臨時党大会におけるルッケの更迭と連邦党指導部の入れ替えは政治的右傾化を示し、右派の圧勝劇として政治学者たちから批評された。 ラーズ・ガイゲス、ステン・マルク、フランツ・ヴァルター[21]等の政治学者たちとグドルン・ヘンチェス[22]、ユルゲン・ファルター[23]とフランク・デッカー[24]らはフラウケ・ペトリーをドイツのための選択肢(AfD)内の国民保守主義者派の中心人物と見なしている。

ザクセン州議会議員としての経歴

ペトリーはドイツのための選択肢(AfD)ザクセン州支部代表である。2013年、ドイツのための選択肢ザクセン州支部役員選出選挙において89,1%の支持を得て党の州代表に選ばれている。2013年ドイツ連邦議会選挙において、ドイツのための選択肢(AfD)はザクセン州で第二票(比例代表)では6,8%を得た。

2014年ザクセン州議会選挙に際しても彼女は再度ザクセンの党支部代表として臨んだ。ペトリーはライプツィヒ周辺地域1の第23選挙区の小選挙区候補者としてキリスト教民主同盟 (CDU) 41,7%,左翼党20,2%、ドイツ社会民主党15,7%という競争相手に続いて10,8%の第一票(小選挙区)を得た。彼女は党の州リストに掲載されていたため第6回ザクセン州議会議員に選ばれた[25]。彼女はドイツのための選択肢AfDの初代州議会議員団代表にも就任した[26]。 彼女は会計予算委員会、並びに(環境、州経済)委員会副委員長、(学校、スポーツ)委員会、(刑法犯罪対策,社会的平等、社会統合実現)委員会、(経済、高等教育、文化、メディア)委員会,(議員規則、不逮捕特権関係)委員会に属している。

マルクス・プレッツェルとの関係

ドイツのための選択肢(AfD)党首ペトリーとAfDノルトライン=ヴェストファーレン州支部代表マルクス・プレッツェルの私的関係が2015年10月に明らかになったことため、ドイツのための選択肢(AfD)党首としてのペトリーにおいて利益相反行為が生じたと政治学者のハインリヒ・オーバーロイターは見なしている。オーバーロイターはペトリーがプレッツェルを連邦党指導部に加えようとしたことを厳しく批判した。政治と私的事項の厳格な区別は政治的公職に就いている者に適用されるからである[27]

政治的立場

移民政策、亡命者庇護、犯罪撲滅と欧州連合改革

地方新聞であるテューリンゲン州新聞とのインタビューにおいて、ペトリーは「欧州連合の持つ権限を弱めさせることに賛成し、ブリュッセルのEU官僚たちに繰られている欧州の非民主的現状を嘆いた。ドイツにおける亡命者、難民庇護権は政治的迫害の真の犠牲者たちに限定されるべきであり、勤労権 (働く権利)が尊重されるべきであり、経済難民に関しては彼らがどれだけ大勢な存在であっても、あくまでも法的規定に則り厳格に対処すべきであり、移民はあくまでもドイツ国内の必要に応じて受け入れを調整すべきである」と述べた。彼女はドイツ人労働者労働市場で優先される必要があるとも付け加えている[28][29]。欧州外からの移民は欧州域内に入国すると欧州諸国からの社会保障給付を得てしまっている現状を指摘した上で、シェンゲン協定によって組織犯罪対策が迫られていることに関連させて、移民の福祉給付タダ乗りを批判している[30]

2016年1月末、欧州議会議員でドイツのための選択肢(AfD)ノルトライン=ヴェストファーレン州代表のマルクス・プレッツェルの2015年11月1日における国境警備に関する発言を、ペトリーは追認した[31]。「国境警備を担当する警官は違法な国境通過行為を阻止するために、やむを得ない場合は拳銃を使用して阻止する必要がある」とペトリーはマンハイマー・モルゲンのインタヴューで語った。この国境警備に関する党の見解は、とりわけ警察労働組合 (ドイツ)側から批判を受けた[32]

人口減少問題への取り組み

新オスナブリュック新聞と新ヴェストファーレン新聞によれば、ペトリーは人工妊娠中絶法改正のための住民投票を提案している[33]。それがドイツにおける少子化を改善する兆しになると見ている。政治は自国民の生き残りを確保するという責任を担っており、そのためにはドイツ人家庭は3人の子供を持つことが望ましいとしている [34]。 ペトリーが人口妊娠中絶問題を移民、通貨政策、欧州連合改革と同様な中心テーマとして住民投票をおこなうことに賛成していることを党のスポークスパーソンも認めた。ペトリー個人は党の決定を経ていなくても、人口妊娠中絶法改正に関する国民投票を提案できると見なしている。ドイツの経済紙ハンデルスブラットとのインタビューにおいて、彼女は堕胎問題に関する国民投票に反対したと報道されたが、これは新聞側の誤解であった。堕胎問題は国民投票を可能にするために例として言及されていたから反対したからである[35]

国際女性デー、労働世界における女と男、女性比率に関する見解

2011年、ペトリーは国際女性デーを肯定していることから、女性比率制度導入を支持している人物とされていた。1975年東独 ドレスデンで生まれたペトリーにとって、国際女性デーは空気のような存在であった。ノルトライン=ヴェストファーレン州出身の彼女の夫スヴェン・ペトリーよりも国際女性デーへの支持が強いのは当然である。男女同権というテーマを中心点に置きながら、国際女性デーという記念日を彼女は祝っている。ペトリーは男性的視点に刻印された労働世界を批判した。男性企業家に対して子供を育てた経験の有無を銀行は問わない。労働時間が依然としてたいてい男性によって左右されていることをペトリーは批判した。効率的に働いているように思えても、男性は十分に考慮することなく超過勤務を自慢していることも彼女は批判した[36]。 2014年11月に、ペトリーは執行役会における女性比率制度を真の男女同権の達成実現のための正しい方策ではないと見なした[37]。 社会学者ヤスミン・シリ[38]とアンドレアス・ケンパー[39] はペトリーを、ドイツのための選択肢(AfD)政治家としての彼女の言動から、アンチ・フェミニストと呼んでいる

参考文献

関連項目

外部リンク

脚注

  1. ^ Andreas Wrede (1 August 2011). "PURInvent-Gründerin Frauke Petry – Die Ideentreiberin". Dreisechsnull. Telekom Deutschland. 2013年3月16日閲覧
  2. ^ AfD-Chefin Petry trennt sich von ihrem Ehemann. In: Sächsische Zeitung vom 7. Oktober 2015, aufgerufen am 8. Oktober 2015
  3. ^ Die Welt (8 October 2015). "Gefühle für Parteifreund – Petry trennt sich von Mann". 2015年10月9日閲覧
  4. ^ Sven Petry geht zur CDU
  5. ^ Frauke Petry (08 09 2004), Georg-August-Universität Göttingen (ed.), [petry PDF-Datei; 2,2 MB Charakterisierung eines neuen ATP-binding-cassette Transporters aus der ABCA-Subfamilie] (ドイツ語), Göttingen, p. 129, 2013-03-16閲覧 {{citation}}: |date=の日付が不正です。 (説明); |url=の値が不正です。 (説明); 不明な引数|Comment=は無視されます。 (説明)
  6. ^ Ehemalige Vorstände, Jungchemikerforum, abgerufen am 31. August 2014.
  7. ^ Frauke Petry: Auf der Suche nach Mitwirkungsmöglichkeiten. In: Gegenworte. Hefte für den Disput über Wissen, 3. Heft, Frühjahr 1999, S. 27–29, 85 (PDF).
  8. ^ Philip Plickert: Ein Kunststoff aus Wasser. Frauke Petry hat ein ressourcensparendes Reifenfüllmittel entwickelt – und will die Euro-Politik herausfordern. In: Frankfurter Allgemeine Zeitung. 22. Juli 2013, S. 24
  9. ^ Europäisches Patentregister (EP 2 057 233)
  10. ^ Günther Lachmann: Firma in Leipzig: AfD-Co-Vorsitzende Petry muss Insolvenz anmelden. In: Die Welt. 16. Oktober 2013
  11. ^ Gegen die Vormacht der CDU. In: Frankfurter Allgemeine Zeitung, 16. August 2014, abgerufen am 16. August 2014
  12. ^ Pressemitteilung: Dr. Frauke Petry: „Neue Firma steht auf breiteren Füßen“, 18. März 2014
  13. ^ Insolvente AfD-Chefin mit neuer Firma. In: Sächsische Zeitung. 19. März 2014, S. 6
  14. ^ Pluta Rechtsanwalts GmbH: Insolvenzverwalter Michael Schoor verkauft PURinvent GmbH. Pressemitteilung vom 21. März 2014
  15. ^ Landtagswahl 2014: Nach Insolvenz: Staatsanwaltschaft ermittelt gegen Sachsens AfD-Chefin Frauke Petry, Leipziger Volkszeitung, 27. August 2014
  16. ^ http://www.zeit.de/politik/deutschland/2014-06/privatinsolvenz-frauke-petry-afd
  17. ^ Justus Bender: Landtagswahl in Sachsen: Justiz ermittelt gegen AfD-Kandidatin Petry In: faz.net vom 29. August 2014
  18. ^ http://www.n-tv.de/politik/Petry-vermutet-FDP-hinter-Anzeige-article13515696.html
  19. ^ Der Spiegel 28/2015, S.36
  20. ^ Oskar Niedermayer: Eine neue Konkurrentin im Parteiensystem? Die Alternative für Deutschland. In: Ders. (Hrsg.): Die Parteien nach der Bundestagswahl 2013. Springer, Wiesbaden 2014, ISBN 978-3-658-02852-7. S. 175–207, hier: S. 183
  21. ^ Lars Geiges, Stine Marg, Franz Walter: Pegida. Die schmutzige Seite der Zivilgesellschaft? Transcript, Bielefeld 2015, ISBN 978-3-8376-3192-0, S. 153.
  22. ^ Gudrun Hentges: Sarrazins Erben: Ressentiments von PEGIDA und AfD finden sich schon beim Ex-Finanzsenator. In: ROSALUX. Journal der Rosa Luxemburg Stiftung, Ausgabe 1/2015, 20 f
  23. ^ Kristina zur Mühlen: „Machtkampf mindert die Wahlchancen“ (Interview mit Jürgen W. Falter). tagesschau24, 22. Januar 2015.
  24. ^ Frank Decker: Alternative für Deutschland und Pegida. Die Ankunft des neuen Rechtspopulismus in der Bundesrepublik. In: Frank Decker, Bernd Henningsen, Kjetil Jakobsen (Hrsg.): Rechtspopulismus und Rechtsextremismus in Europa. Die Herausforderung der Zivilgesellschaft durch alte Ideologien und neue Medien (= International Studies on Populism. Bd. 2). Nomos, Baden-Baden 2015, ISBN 978-3-8487-1206-9, S. 75–90, hier: S. 80
  25. ^ Landtagswahl in Sachsen: Frauke und die 13 Zwerge, in: Die Zeit online, abgerufen am 17. September 2014
  26. ^ http://www.freiepresse.de/NACHRICHTEN/SACHSEN/AfD-waehlt-Petry-einstimmig-zur-Fraktionschefin-artikel8962308.php
  27. ^ Dietmar Neuerer: Alternative für Deutschland: Missbraucht die AfD-Chefin ihre Führungsposition? In: Handelsblatt.com vom 12. Oktober 2015.
  28. ^ Frauke Petry. "AfD: "Der Asylkompromiss ist ein Schlag ins Gesicht der deutschen Arbeitssuchenden"". 22. Dezember 2014閲覧 {{cite web}}: |access-date=の日付が不正です。 (説明)
  29. ^ Fabian Leber. "Tagesspiegel: "Die widersprüchliche Asylpolitik der AfD"". 22. Dezember 2014閲覧 {{cite web}}: |access-date=の日付が不正です。 (説明)
  30. ^ Bernd Hilder, Hartmut Kaczmarek. "AfD: "Weniger Macht für Brüssel und keinen EU-Sozialismus"". tlz.de. 13. September 2013閲覧 {{cite web}}: |access-date=の日付が不正です。 (説明)
  31. ^ http://www.spiegel.de/politik/deutschland/afd-politiker-pretzell-zur-not-fluechtlinge-mit-pistole-stoppen-a-1060572.html
  32. ^ http://www.morgenweb.de/sie-konnen-es-nicht-lassen-1.2620328 Mannheimer Morgen, 30.01.2016
  33. ^ Frauke Petry will Volksabstimmung zu Abtreibung, Wirtschaftswoche vom 21. August 2014
  34. ^ Burkhart Ewert (21. August 2014). "„Überleben des eigenen Volkes sicherstellen"" (ドイツ語). Neue Osnabrücker Zeitung. 2014-08-22閲覧 {{cite web}}: |date=の日付が不正です。 (説明)
  35. ^ „Je länger uns die CDU ignoriert, umso besser für uns“, handelsblatt.de vom 1. September 2014
  36. ^ Alternative für Deutschland: Frauenquote völlig unausgegoren. In: Mitteldeutsche Zeitung vom 27. November 2014
  37. ^ Alternative für Deutschland: Frauenquote völlig unausgegoren. In: Mitteldeutsche Zeitung vom 27. November 2014
  38. ^ Jasmin Siri: Geschlechterpolitische Positionen der Partei Alternative für Deutschland. In: Alexander Häusler (Hrsg.): Die Alternative für Deutschland. Programmatik, Entwicklung und politische Verortung. Springer Fachmedien, Wiesbaden 2016, ISBN 978-3-658-10638-6, S. 69–80, hier: S. 75.
  39. ^ Andreas Kemper: Antiemanzipatorische Netzwerke und die Geschlechter- und Familienpolitik der Alternative für Deutschland. In: Alexander Häusler (Hrsg.): Die Alternative für Deutschland. Programmatik, Entwicklung und politische Verortung. Springer Fachmedien, Wiesbaden 2016, ISBN 978-3-658-10638-6, S. 81–97, hier: S. 86.