カネケヤキ

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カネケヤキ
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1961年3月12日
死没 1995年10月28日
カネリユー
コンキユバイン
母の父 ルパシャ
生国 日本青森県横浜町
生産者 青森牧場
馬主 金指吉昭
調教師 杉浦照中山)→成宮明光(中山)
競走成績
生涯成績 16戦6勝
獲得賞金 1627万円
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カネケヤキは、日本競走馬1964年桜花賞優駿牝馬を制した二冠牝馬である。主戦騎手野平祐二で、見習騎手が騎乗したオープンでの1戦をのぞくすべてのレースで騎乗した。1964年啓衆賞最優秀4歳牝馬。サラブレッド牝馬最長寿記録を保持している[1]

戦績

1963年10月中山競馬場でデビュー。8番人気の低評価を覆して初戦を快勝。次走を2着とした後、オープン戦、中山の3歳牝馬ステークスと連勝して臨んだ朝日杯3歳ステークスは、1番人気に推されるも、ウメノチカラにアタマ差及ばなかった。

明け4歳となってからは、京成杯弥生賞をそれぞれ6、4着と凡走、続くオープン戦も2着と敗れた。桜花賞では4番人気にまで人気を落としたが、先行抜け出しの競馬で2着のフラミンゴに2馬身差をつけ、快勝。この後、東京の4歳牝馬特別に勝利すると、本番の優駿牝馬はヤマニンルビーに3馬身差をつけ、二冠を達成。4歳牝馬の頂点に立った。

秋は、クイーンステークスから始動したが、同じ4歳牝馬のフラワーウツドに4馬身差の2着と完敗。続く、セントライト記念も勝ったウメノチカラから3馬身離された3着に終わった。

この後、京都に遠征。オープン戦を5着として、3冠を狙い菊花賞に臨んだ。シンザンとの二冠馬同士の対決となったが、近走の不調から、12頭立ての9番人気と言う低評価だった。

レースでは、他馬を大きく引き離しての大逃げをうつという奇策に出た。4コーナーまで粘り、直線で失速したものの、牡馬に伍しての5着と健闘した[2]

このカネケヤキの菊花賞出走が、二冠牝馬の最後の菊花賞挑戦となった[3]。また、牡馬と牝馬の二冠馬が三冠をかけて対決した最初で最後の例となった。

この後は、5歳時にオープン戦を1戦しただけで引退、繁殖入りした。

引退後

生まれ故郷の青森牧場で繁殖牝馬となったが仔出しが悪く、目立った活躍馬を出すことができないまま、1984年、繁殖を引退した。

同牧場で余生を送っていたカネケヤキに、再び注目が集まったのは1995年ヒカルメイジコマツヒカリの母であるイサベリーンが持っていたサラブレッドの最長寿記録を、10月5日に更新した[4]ときだった。しかし、それからわずか1か月後の10月28日に老衰のため死亡[5]。34歳と231日という大往生だった。なお、サラブレッドの最長寿記録はこの年の11月19日にシンザンによって更新されている。

血統表

カネケヤキ血統(マンナ系 / Phalaris 5×5=6.25%、Swynford 5×5= 6.25%(父内)) (血統表の出典)

カネリユー
1951 鹿毛
父の父
ミルトン
1936 鹿毛
Miracle Manna
Brodick Bay
*シガアナ
Cigana
Solario
Granada
父の母
神鈴
1939 鹿毛
*プリメロ
Primero
Blandford
Athasi
*スリリング
Thrilling
Theo Bold
Ling

*コンキユバイン
Concubine
1948 鹿毛
Le Pacha
1938 鹿毛
Biribi Rabelais
La Bidouze
Advertencia Ksar
Ad Gloriam
母の母
Climax
1942 栗毛
Precipitation Hurry On
Double Life
Riot Colorado
Lady Juror F-No.9-c


脚注

  1. ^ 週刊Gallop 2012年8月5日号
  2. ^ ただし、牝馬の菊花賞成績はそれほど悪くなく、2011年までに出走した牝馬44頭中、25頭が5着以内に入っている
  3. ^ 1970年にビクトリアカップ秋華賞エリザベス女王杯の前身)が創設されたため
  4. ^ 「カネケヤキ35歳 あす サラブレッド最長寿に '64桜花賞、オークス制した牝馬」『読売新聞』1995年(平成7年)10月4日付東京本社夕刊3面。
  5. ^ 『日刊スポーツ』1995年10月29日付15面。

外部リンク