ひりゆう型消防船 (初代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Suikotei (会話 | 投稿記録) による 2016年1月5日 (火) 11:50個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎開発)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ひりゆう型消防船
基本情報
艦種 消防船
就役期間 1969年2013年
前級
次級 ひりゆう (2代)
要目
常備排水量 251トン
総トン数 199トン
全長 27.5 m
最大幅 10.40 m
深さ 3.80 m
吃水 2.20 m
主機 池貝ベンツMB820Mb
ディーゼルエンジン×2基[1]
推進器 スクリュープロペラ×2軸
出力 2,200馬力
速力 13.2ノット以上
航続距離 770海里
乗員 14名
兵装 非武装
テンプレートを表示

ひりゆう型消防船(-がたしょうぼうせん、英語: Hiryu-class fireboat)は、海上保安庁消防艇の船級。

開発

1960年代初頭、日本の原油輸入量は急増していた。その一方、大型化した石油タンカーは動きが散漫で、しかも海峡・水道の交通管理がほとんどされていなかったこともあって、石油タンカーによる海難事故が相次いだ。特に1962年11月18日に京浜運河で発生した第一宗像丸とサラルド・ブロビク号(ノルウェー船籍)の衝突事故(付近航行中の船舶をも巻き込み、4隻が炎上、計41名が死亡)や、1965年5月23日に発生した、日本石油精製室蘭製油所(当時)におけるヘイムバード号(ノルウェー船籍)の衝突事故(28日間に渡って炎上)は、大型タンカーによる事故の危険性を再認識させる事態となった。これらの炎上事故では、海上保安庁による消火活動も行なわれたが、独力での鎮火は不可能で、在日アメリカ軍のヘリコプターや民間船舶の援助があった。さらに、陸上の消防機関の化学消防車はしけに搭載して接近させるといった、応急的で無理のある消火活動も行われた。そもそも、当時日本に在籍していた化学消火能力を有する消防艇は、その全てが50総トン未満の小型艇で、大型タンカー火災に対処できる消防艇は皆無に近かった。

こうした中、海上保安庁では1965年9月に化学消防艇設計会議(議長:山縣昌夫東京大学名誉教授)を庁内に設置し、学識経験者による設計会議の結果、双胴船型が適当であると答申を受けた。一方で、警備救難部長が中心となった調査団が欧米各国を視察したが、どの国も大型タンカー火災に対処できる大型消防艇を保有しておらず、むしろ炎上事故が頻発している日本こそ、大型消防艇を率先して建造すべきであるという結論も得られた。1967年9月、化学消防艇の艤装設備委員会が設置され、消防庁消防研究所東京消防庁海難防止協会などの関連機関による審議を経て、仕様書がまとめられた。1968年8月、これを基に1番船が日本鋼管に発注され、1969年3月4日に1番船「ひりゆう」が竣工した。

設備

化学消防艇設計会議の答申を受けて、船体は放水時の安定性と回頭能力に優れた操縦性を重視した双胴船型を採用し、両船体の上に15万トン級のタンカーの火災に対処するための高さ15mの放水櫓を設けた独特のフォルムを持つ。設計に当たって、火災発生時に横浜港から30分以内に現場へ急行できる能力が要求されたため、水槽試験で船体の間隔や船首のバルバス・バウの大きさが検討されて抵抗の少ない船体が検討された。同時に、主機関に強力かつ信頼性の高い池貝ベンツディーゼル1,100馬力を2機装備した。主機関は消防ポンプ駆動にも用いられるが、全力放水中でも6-8ノットで前後進が可能な余裕がある。スクリュープロペラには、後進を容易にするために可変ピッチプロペラが採用された。

消防用設備

ヘイムバード号の消火活動から、輻射熱を避けるためには30m以上離れて放水する必要があるという教訓が得られていた。そのため、有効射程が40m以上となるような消火装備が選ばれた。

第1放水甲板(櫓最上層)と船首には、泡用放水銃(放水能力:3,000L/分)を各2基設置した。第2放水甲板(櫓中層)には、炎上箇所に隣接する石油タンクへの類焼を防ぐための冷却用海水を放水する海水専用放水銃(放水能力:6,000L/分で当時日本最大)を2基が設置された。船橋天井には、泡水兼用放水銃(放水能力:1,800L/分)を1基設置し、近距離消火に用いるとした。さらに、陸上への送水援護や部分消火用に6,000L/分の送水が可能なホース接手を両舷に各5基設置した。

化学消火用の泡原液は、火点に接近するために散布する量と15万トン級タンカーのサイドタンク1個の消火に必要とされる量の合計で14,500L(約16.9t)が搭載された。これは、泡放水銃5基を全開で放射しても30分持続して放射可能な量でもある。

自衛用の設備として、8箇所から海水を扇状に噴霧するノズルが設置された。爆発性ガスが海上に滞留する海域を航行する際の対策として、上構は鋼製としたほか、可燃ガス警報装置を2箇所に設置した。さらに、全扉窓を閉鎖して水面上8mから換気する事で船内を与圧することが可能となっている。放水銃の操作は手動だが、操作要員のために防火服が用意されており、内蔵された無線機で船橋との通話が可能である。

運用

1番船「ひりゆう」は竣工と同時に横浜に配備された。その後、1970年3月に2番船「しようりゆう」が四日市に、1971年3月には3番船「なんりゆう」が下津に配属された。さらに、同型船として海上保安協会内の海上消防委員会(現在の海上災害防止センター)向けに2隻(「おおたき」、「きよたき」)が建造され、世界でも類を見ない強力な消防船が5隻も配備されることとなった。しかし、1974年に起きた第十雄洋丸事件では、本型の「ひりゆう」「しようりゆう」「おおたき」が3隻がかりで消火活動に当たり、本型の設計が適切であることを示したものの、最終的には鎮火に至らず、第十雄洋丸の撃沈処分という結果になった。海上保安庁ではさらなる海上消防力の強化を図って、粉末ノズルと粉末消火剤を搭載した「かいりゆう」「すいりゆう」を追加建造し、新規に建造されたたかとり型巡視船ぬのびき型消防艇と共にタンカー火災に万全を期した。 その後、石油タンカーのさらなる大型化に対応するために、各船の櫓最上部の放水銃2基は伸縮式放水塔1基に換装された。

1997年に老朽化のためネームシップが新ひりゆう型消防船に更新されたが、警備救難用巡視船の建造予算が優先的に計上されてきたこともあって、残る4隻は代替船の予算措置が講じられず、艦齢40年近くになっても第一線で運用された。この4隻は、2013年よど型巡視艇の新造船が就役する事によって退役することになった。

同型船

番号 船名 竣工 所属 退役
FL01
ひりゆう
1969年(昭和44年)3月4日 最終配属地は第三管区横浜海上保安部 1997年(平成9年)12月2日
FL02
しようりゆう
1970年(昭和45年)3月4日 第四管区四日市海上保安部 2013年(平成25年)3月4日
FL03
なんりゆう
1971年(昭和46年)3月4日 第五管区和歌山海上保安部海南海上保安署 2013年(平成25年)3月26日
FL04
かいりゆう
1977年(昭和52年)3月18日 第五管区大阪海上保安監部堺海上保安署 2013年(平成25年)3月12日
FL05
すいりゆう
1978年(昭和53年)3月24日 第六管区水島海上保安部 2013年(平成25年)3月12日

参考文献

  1. ^ Bernard Prezelin (1990). The Naval Institute Guide to Combat Fleets of the World, 1990-1991. Naval Institute Press. p. 336. ISBN 978-0870212505 
  • 徳永陽一郎・大塚至毅『海上保安庁 船艇と航空』交通ブックス205 成山堂書店 1995年 ISBN 4-425-77041-2
  • 世界の艦船 増刊第62集 海上保安庁全船艇史』(海人社、2003年7月号増刊、第613号)
  • 真山良文「海上保安庁船艇史」『世界の艦船』538号、海人社、1998年