養源院
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| 養源院 | |
|---|---|
山門 |
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| 所在地 | 京都府京都市東山区三十三間堂廻り町656 |
| 位置 | 北緯34度59分16.31秒 東経135度46分25.07秒 |
| 山号 | 南叡山 |
| 宗派 | 浄土真宗遣迎院派 |
| 本尊 | 阿弥陀如来 |
| 創建年 | 文禄3年(1594年) |
| 開基 | 淀殿、成伯(開山) |
| 別称 | 血天井・宗達寺 |
| 文化財 | 金地着色松図、着色杉戸絵(重要文化財) |
養源院(ようげんいん)は、京都市東山区にある浄土真宗遣迎院派の寺院。蓮華王院(三十三間堂)の東向かいに位置する。養源院の寺名は浅井長政の院号から採られた。もと天台宗。
目次 |
歴史[編集]
文禄3年(1594年)に豊臣秀吉の側室・淀殿が父・浅井長政、祖父浅井久政らの二十一回忌の供養のために秀吉に願って創建した。浅井長政・久政は天正元年(1573年)、小谷城で自刃している。開山は浅井氏の庶流にあたる比叡山の僧成伯法印である。その後、元和5年(1619年)、火災により焼失。元和7年(1621年)、淀殿の妹である徳川秀忠の正室・崇源院(江)の願により再興された。以後、徳川氏の菩提所となった。もと天台宗で第二次大戦後に浄土真宗遣迎院派に改宗した[1]。
建造物[編集]
本堂[編集]
本堂は、元和5年(1619年)に破却された秀吉の伏見城の殿舎を移築したものとされる。左右と正面の廊下の天井は血天井として知られる。
- 血天井
- 関ヶ原の戦いの前哨戦ともいわれる伏見城の戦いで鳥居元忠以下1000人余りが城を死守し、最後に自刃した廊下の板の間を供養のために天井としたもので、武将達の遺体は残暑の残る8月から9月中旬まで放置されていたと言われ、そのため今も生々しい血の痕があちこちに残る。同様の血天井は宝泉院・正伝寺・源光庵にもある。
- 鶯張廊下
- 日光東照宮の眠り猫で有名な江戸初期の大工・彫刻師である左甚五郎が造ったものと伝わる。
- 襖絵と杉戸絵
- 俵屋宗達作の重要文化財があり、これも伏見城で自刃した将兵の霊を供養するために描かれたものと伝えられており、杉戸の象や唐獅子や麒麟などを図案化した構図は、表現の奇抜さでも知られている。平成22年(2010年)、この唐獅子図の隣りに、江戸時代よりたった一軒続いてきた唐紙屋となる唐長の唐紙師・トトアキヒコによる「星に願いを」が奉納された。また同氏は、俵屋宗達の重要文化財である金地着色松図の唐紙修復も手がけている。
庭園[編集]
小堀遠州の作庭による庭園で、東山連峰の阿弥陀ケ峯を遠景としている。
文化財[編集]
重要文化財[編集]
- 金地着色松図(襖8面、戸襖4面)12面、俵屋宗達筆
- 着色杉戸絵(表獅子・裏波に麒麟図、表獅子・裏白象図)4枚(8面)、俵屋宗達筆
アクセス[編集]
脚注[編集]
- ^ 『日本歴史地名大系 京都市の地名』、pp.274 - 275
参考文献[編集]
- 『日本歴史地名大系 京都市の地名』、平凡社、1979