速報!TVスタジアム
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速報!TVスタジアム | |
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ジャンル | スポーツ情報番組 |
出演者 |
野村克也 溝口泰男 宮嶋泰子 |
製作 | |
制作 | テレビ朝日 |
放送 | |
放送国・地域 | 日本 |
速報!TVスタジアム | |
放送期間 | 1983年4月14日 - 1983年9月29日 |
放送時間 | 木曜 22:00 - 22:54 |
放送枠 | テレビ朝日系列スポーツニュース枠 |
放送分 | 54分 |
TVスタジアム | |
放送期間 | 1983年10月13日 - 1984年3月29日 |
放送時間 | 木曜 22:00 - 22:54 |
放送枠 | テレビ朝日系列スポーツニュース枠 |
放送分 | 54分 |
『速報!TVスタジアム』(そくほう テレビスタジアム)は、1983年4月14日から同年9月29日までテレビ朝日系列局で生放送されていたテレビ朝日製作のスポーツ情報番組である[注 1]。その後も1983年10月13日から1984年3月29日まで『TVスタジアム』(テレビスタジアム)と題して放送されていた[注 2]。放送時間は毎週木曜 22:00 - 22:54 (日本標準時)[注 3]。
概要
[編集]この節には独自研究が含まれているおそれがあります。 |
野村克也が野球解説者としての所属先をTBS[注 4]からテレビ朝日へ変えたのを機にスタートした番組で、野村がメインキャスターを務めていた。
1983年当時の民放テレビは、2時間ドラマや情報番組の台頭で連続ドラマ、連続時代劇、連続アニメのうち最低1本は減りバラエティ番組や情報番組にシフトしていた。例えば同年4月にスタートした『わくわく動物ランド』(TBS)や後述する『世界まるごとHOWマッチ』(毎日放送)の前番組はいずれも連続ドラマ枠だった。また翌年開催のロス五輪では、NHKだけでなく民放でも主な競技を生中継することになっていた。そのため、民放各局は、野球以外の競技も取り上げるスポーツ情報番組の新設で民放でも五輪が視聴出来る習慣の足掛かりを掴みたかった。この番組の前番組は音楽番組だったがその音楽番組枠を火曜21時台に移動した。その火曜21時台も前番組は連続時代劇枠だった。同年4月には前番組は連続アニメ枠だった『サントリースポーツ天国』(フジテレビ)とテレビ東京がテレビ愛知の開局で東名阪のネットワーク「メガTONネットワーク」の完成を見越して『メガTONスポーツTODAY~プロ野球速報~』もそれぞれスタート[5]。同年9月からは前番組が連続時代劇枠だった『サンデースポーツ9』(日本テレビ)もスタートした。
プライムタイムで1時間のスポーツ情報番組を放送することは当時では画期的なことだった。
プロ野球シーズン中には、試合の速報とスポーツ界を巡るさまざまなドキュメントを放送していた。またスタート当初は、スポーツに関するトピックスや週末の主なスポーツ競技についても取り上げていた。目玉のコーナーは、野村が主なプロ野球選手を毎回選んで分析する「ノムさんのあいつ分析」だった[6]。これにより平日の週1回しか放送出来ないハンデを克服し他局のスポーツ情報番組の模倣であるという声は聴かれなかった。[注 5]
スタジオセットは野球場をイメージしたもので、放送開始から半年間はセットのスタンド部分に観客を入れ、さらに観客席の上には番組スポンサー6社(後期においては3社)を表示していた。
同時間帯の『世界まるごとHOWマッチ』や『木曜ゴールデンドラマ』(読売テレビ)の在阪局制作の番組に大きく水をあけられたがタイトル、スポンサーを変えながら1年間放送することが出来た。1年間放送出来た背景には、放送当時のスポーツ情報番組は、プロ野球が主体で日本シリーズやドラフト会議などは10月以降に行われるため放送期間が半年では、それらに関する特集が出来ないこと。また翌年には、サラエボ五輪やロス五輪が控えておりそれらの関連情報を流さなければならなかったことが挙げられる。さらに当時の同局は木曜のこの時間帯と21時台が強力な裏番組の存在で苦戦していたため前番組のような音楽番組やかっての連続ドラマに戻しても高視聴率が望めないことから継続出来たのではという見方もある。
目標としていた帯番組化[7]は出来なかったが同局で1985年スタートの『ニュースステーション』やその後番組である『報道ステーション』の「スポーツコーナー」で開花したほか『やべっちFC~日本サッカー応援宣言~』、『TOKYO応援宣言』、『GET SPORTS』(以上同局)や宮嶋もインタビュアーを務めた『ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~』(BS朝日)でもこの番組のエッセンスが活かされている。
その後、多くのスポーツ情報番組がスタートしたがその中でもNHK総合で1985年スタートの『サンデースポーツスペシャル』は週1回プライムタイムの放送で編成面で似ているだけでなくキャスター陣も当時のNHK野球解説者星野仙一をメインキャスターに置き当時フリーアナウンサーの野中ともよと当時NHKアナウンサーだった大塚範一が支えプロ野球以外の競技も詳しく伝えるという点では構成面でも似ていた。現在も『サンデースポーツ』とタイトルを変えてキャスター、放送時間を変えて放送中である。
出演者
[編集]- 溝口泰男 - 総合司会[注 6]。『モーニングショー』から移行。[要出典]
- 宮嶋泰子(当時テレビ朝日アナウンサー) - 総合司会[注 7]。企画・制作にもかかわった[注 8]。
- 野村克也 - キャスター[注 9]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 参考:
- ^ 参考:
- ^ 参考(放送日時):
- ^ 1951年5月にラジオ東京として会社設立。同年12月25日にラジオ放送局として開局。当初は、コールサインの「JOKR」または下二桁の「KR」が略称の代わりに使用されたが、1953年12月よりKRTの略称を採用。1955年4月にテレビ本放送開始・ラテ兼営局となる。1960年11月29日に社名を東京放送・略称をTBSへ変更。2001年10月にラジオ局部門がTBSラジオ&コミュニケーションズ(略称:TBS R&C)、2009年4月にテレビ局部門がTBSテレビへそれぞれ分離し、放送持株会社化(社名を東京放送ホールディングス・略称をTBSHDにそれぞれ変更)。TBSの略称はTBSテレビへ移行した。2016年4月にTBS R&CはTBSラジオへ社名変更。2020年10月にTBSHDはTBSホールディングスへ社名変更。
- ^ 参考:
- 開始当時の新聞記事より、その日に行われたプロ野球をはじめとする各種スポーツ競技結果の告知をはじめ、野村克也がプロ野球各球団の戦力を分析する「あいつ分析」コーナー、スポーツ人物ドキュメント、情報コーナーで構成することが記載[2]。
- ^ 参考:
- ^ 参考:
- ^ 参考:
- ^ 参考:
出典
[編集]- ^ a b c d e 『ザ・テレビ欄』P139掲載の1983年4月14日付テレビ朝日番組表より、午後10:00 - 10:54にて『[新]速報!TVスタジアム』の番組名あり。出演者として“総合司会=溝口泰男 宮嶋泰子”“キャスター=野村克也”のクレジットあり。局名・放送時間表記は、原資料に基づく。“[新]”…“□”に“新”
- ^ a b c d e 『朝日新聞』東京朝刊1983年4月14日付24面ラテ欄より…
- テレビ朝日番組表
- スポーツ番組情報欄内『速報!TVスタジアム』番組情報
- ^ a b c d テレビ朝日公式サイト内で配信されていた、宮嶋泰子の担当番組一覧(インターネットアーカイブ2004年11月22日付保存キャッシュ)
- ^ a b 『ザ・テレビ欄』P145掲載の1983年10月13日付テレビ朝日番組表より、午後10:00 - 10:54にて『TVスタジアム』の番組名あり。出演者として“[司]溝口泰男 宮嶋泰子”のクレジットあり。局名・放送時間表記は、原資料に基づく。“[司]”…“□”に“司”
- ^ 『朝日新聞縮刷版』朝日新聞社、1983年3月4日付夕刊の記事より
- ^ 『Hoppoken = 北方圏 北の今・人・明日』第44号、北方圏センター、1983年7月1日、115頁、NDLJP:2832860/58。
- ^ 『朝日新聞』1983年3月4日付夕刊の記事より、テレビ朝日スポーツ部員の発言から。
- ^ a b c 『日刊スポーツ』1983年2月24日付に掲載された、同23日に行われた本番組の発表会を伝える記事。
- ^ 『週刊読売』1985年10月20日号P138に掲載された、宮嶋のプロフィール
参考資料
[編集]- 『ザ・テレビ欄 1975〜1990』(2009年3月31日、TOブックス発行) ISBN 9784904376072 ※1975年から1990年に発行された『スポーツニッポン』『報知新聞』各紙東京版テレビ欄の一部が収録(奥付に「協力」として「株式会社スポーツニッポン新聞社」「株式会社報知新聞社」のクレジットあり)。
関連項目
[編集]テレビ朝日系列 木曜22:00枠 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
歌のグランドショー
(1982年10月28日 - 1983年3月17日) |
速報!TVスタジアム
(1983年4月14日 - 1983年9月29日) ↓ TVスタジアム (1983年10月13日 - 1984年3月29日) |
ニュードキュメンタリードラマ昭和
松本清張事件にせまる (1984年4月12日 - 1984年9月27日) |