紀元前391年

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紀元前391年(きげんぜん391ねん)は、ローマ暦の年である。

当時は、「フラウウス、メドゥリヌス、カメリヌス、フスス、マメルキヌス、マメルキヌスが執政武官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元363年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前391年と表記されるのが一般的となった。

他の紀年法[編集]

できごと[編集]

ペルシア帝国[編集]

ギリシア[編集]

シチリア[編集]

共和政ローマ[編集]

中国[編集]

  • 宜陽を攻撃し、六つの邑を取る。
  • 大夫田和が斉の康公の姜貸を海上の孤島に追放し、食邑として城を1つだけ与えられ、祖先の霊を祀ることとされた。

誕生[編集]

死去[編集]

脚注[編集]

注釈

出典

関連項目[編集]