紀元前338年

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世紀: 前5世紀 - 前4世紀 - 前3世紀
10年紀: 前350年代 前340年代 前330年代 前320年代 前310年代
: 前341年 前340年 前339年 紀元前338年 前337年 前336年 前335年
紀元前339年から338年にかけてのピリッポス2世の軍事行動

紀元前338年は、ローマ暦の年である。当時は、「マルクス・フリウス・カミルスガイウス・マエニウス英語版共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元416年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前338年と表記されるのが一般的となった。

できごと[編集]

ペルシア帝国[編集]

  • アケメネス朝ワズィール宦官のバゴアス)がアルタクセルクセス3世の寵愛を失う。バゴアスはアルタクセルクセスを彼の若い息子であるアルセスと交代させることにより、その地位にとどまろうとした。アルセスのほうがコントロールが容易だと考えたのである。バゴアスはアルタクセルクセスと、アルセスを除く彼の息子を全て殺害し、アルセスを玉座に据えた。アルタクセルクセス4世となったアルセスはバゴアスによって操られる傀儡の王にすぎなかった。

ギリシャ[編集]

シチリア[編集]

  • カルタゴは全シチリアを征服するために違う取り組みを始める。カルタゴティモレオン英語版シチリア僭主の間の戦闘を広げるため何人かの傭兵を派遣するが、これはレンティーニに圧政を敷いたヒケタス英語版を打ち負かす結果に終わった。彼は囚えられ、死刑となった。シラクサカルタゴとの間の条約により、シチリアにおけるカルタゴの領土はハリクス川(現在のプラータニ川)の西側に限定されることとなった。
  • カルタゴとの和平が達成され、シラキュースのティモレオンはシチリアの2人の圧政者を取り除くことが可能となり、自身は引退した。

共和政ローマ[編集]

  • ラティウム戦争ラティウム同盟英語版の解体と、個別のラティウム国家が共和政ローマの影響下に置かれることになるという結末をもたらした。多くの都市がローマに組み込まれた。敗北したラティウム同盟との和解を実現するため、ローマは寛大な関係を申し出た。これら多くの都市に住む人々には市民権が与えられ、結果的に、ローマは敵よりはむしろ味方を増やすこととなった。
  • 主要都市アンツィオをローマによって陥落されたことにより、ウォルスキ族はローマに対する抵抗を放棄し、ローマとの同盟を受け入れた。

中国[編集]

  • 孝公が死に、太子駟つまり後の恵文王が即位する。
  • 公子虔らが商鞅が謀反を讒言し、役人に逮捕を命じる。商鞅はに逃れるが、追放される。商鞅は封地の商で兵を集めたが、秦の討伐軍に攻められて殺害された。恵文王の厳命でその遺骸は黽地(めんち、現河南省澠池県)で見せしめとして車裂きの刑に処せられ、身体は引き裂かれて曝しものとなった。

誕生[編集]

死去[編集]