瀬本容子

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瀬本 容子(せもと ようこ、1930年昭和5年) - )は、日本画家及び、芸術家岡山県倉敷市生まれ。

人物[編集]

中世からルネッサンスにかけての古典技法で、板やガラス羊皮紙テンペラ画を描く[1]ラピスラズリローズマダーイカの墨等を原料として絵の具に使用し、額も制作している。銀座を中心に各地で個展を開催しており、主に幻想的な女性や子供、果実や風景等、多くの作品を制作する。

来歴[編集]

1930年岡山県浅口郡玉島町[2]、五人兄弟の長女として生まれる。父親は証券業を営んでいた。

東京都にある自由学園女子部に入学し[2]、学生時代には倉敷市にある大原美術館白樺派武者小路実篤志賀直哉梅原龍三郎安井曾太郎の座談会やラザール・レビィのピアノ演奏に触れ、芸術を身近に感じることで画家になることを決意する[注 1]。その後、武蔵野美術大学油絵科に進学するが1957年に中退[2]。また、同年には岡山県展入賞。自由美術協会展にも二度出品する。

1962年、以前から希望していたフランスパリに留学し[2]グランド・ショミエール芸術学校に籍を置く。パリでの生活では、教養のある婦人に出会ったことがきっかけになり、フランス料理ファッション・ショーに慣れ親しむ。その他には、語学の習得や美術館巡りをする。また、この時ヨーロッパ各地で制作の基本となるテンペラ画に魅せられていく。また、3年後には、アメリカ旅行を経験している。

1966年に帰国した後、都内にアトリエを定め日本での制作を再開する。この頃から、以前から好んでいた寺院仏像と、留学時代に見た中世からルネッサンスにかけての宗教的木造に共通点を見出し、特に十一面観音をモチーフに選ぶようになる[注 2]。また、ヨーロッパで見たテンペラ画を日本で揃えられる画材で実験的に独学で制作し始めたのもこの頃である。当時東京藝術大学で金地テンペラ画のゼミを持っていた田口安男の研究室に通うようになり、実験・研究を重ねていく。同時に、銀座のみゆき画廊、ミキモトのギャラリー等で個展を定期的に行う。

1990年美術出版社より作品集『一千一枚の花びら』を刊行。二年後には、えでぃしょん光村より作品集『真夏の夜の夢』を刊行。銀座を拠点に各地で個展を行いながら、三省堂文部省検定教科書高等学校国語科用表紙に起用される。

1997年日本橋髙島屋で個展を開催。また、婦人之友社の雑誌『婦人之友』1月号 - 12月号のカットに起用され、2002年には1月号 - 12月号表紙絵にも起用された。その他に文化出版局の雑誌『ミセス』にも掲載される[2]

2004年テレビ朝日徹子の部屋」に出演。2010年にはニューヨークでも個展を行う。2016年岡山県立美術館にて個展を開催[1]。現在も多くの作品を精力的に制作し続け、個展を開催している。

褒章[編集]

収蔵[編集]

主な個展開催場所[編集]

掲載書籍[編集]

主な著書[編集]

  • 作品集『一千一枚の花びら』美術出版社、1990年。ISBN 978-4568170382
  • 作品集『真夏の夜の夢』えでぃしょん光村、1992年。
  • 作品集『改訂増補 一千一枚の花びら』美術出版社、2000年。ISBN 978-4568170467

テレビ出演[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 昭和25年11月、大原美術館で二十周年記念の行事が催された[3]
  2. ^ 特に琵琶湖の東にある寺院には昔から何度も足を運んでおり、特に石道寺十一面観音を最も愛している[3]

出典[編集]

  1. ^ a b 瀬本容子展 美しき金地テンペラ画の世界”. 岡山県立美術館. 2019年10月29日閲覧。
  2. ^ a b c d e 瀬本 容子プロフィール”. 一穂堂. 2019年10月29日閲覧。
  3. ^ a b 瀬本容子『改訂増補 一千一枚の花びら』美術出版社、2000年。ISBN 978-4568170467 

参考文献[編集]

  • 瀬本容子『改訂増補 一千一枚の花びら』美術出版社、2000年。ISBN 978-4568170467

外部リンク[編集]