林氏

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尾張林氏[編集]

林氏
(尾張林氏)
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二つ引両
本姓 越智氏庶流稲葉庶流
家祖 林通村
種別 武家
士族
著名な人物 林秀貞
支流、分家 窪川山内氏(武家)
周防林氏
凡例 / Category:日本の氏族


周防林氏[編集]

林氏(伊藤氏)
林氏は本姓越智河野氏の支流といわれる。伊藤博文の実家の家系で、家紋はもと「折敷に三文字」だが、伊藤姓に改姓以後「上がり藤」を用いた。

博文自身の語るところ[1]によれば、「先祖は河野通有の裔で、淡路ヶ峠城主の林淡路守通起である」という。また「実家は周防国熊毛郡束荷村の農家で、博文の祖父林助左衛門は、林家の本家林利八郎養子となり本家を継いだ。林助左衛門の子、十蔵は萩藩の蔵元付中間水井武兵衛の養子となり「水井十蔵」と名乗るが、安政元年(1854年)水井武兵衛が周防国佐波郡相畑の足軽で藤原姓を称する伊藤弥右衛門の養子となり、伊藤直右衛門と名を改めたため、十蔵も伊藤氏を称した[2]」という。伊藤十蔵の長男が、伊藤博文公爵である。博文の跡は養子の博邦(盟友井上馨)が継いだ。


仙台藩士越智姓林氏[編集]

「角川日本姓氏歴史人物大辞典4 宮城県姓氏家系大辞典」に平士150石の仙台藩士に越智姓で稲葉氏一族の四門氏を祖とする林氏がある。稲葉通富の子である通兼の子の林新左衛門通安の数世孫の四門四郎兵衛を祖とする。

四門四郎兵衛は堀秀政堀氏に仕え、慶長年間に近江国岡村に住んで岡村氏を称する。子孫は福島正則の家臣になった後に江戸幕府幕臣となるが、正徳5年(1715年)に浪人となって、医業となった。林通明(従吾)の代で林氏に改姓する。

通明の娘(実は)である円智院伊達宗村側室となり、そのつてで弟の林友諒の代で同家は仙台藩士となる。円智院と林友諒の弟の林子平寛政の三奇人の一人。

三河林氏[編集]

林氏
(三河林氏)
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三つ巴下に一文字?
三階菱?
本姓 清和源氏義光流小笠原支流
家祖 林政家
種別 武家
華族男爵
出身地 信濃国
主な根拠地 信濃国林村
上総国望陀郡請西村
東京都
著名な人物 林忠崇
凡例 / Category:日本の氏族

甲斐源氏小笠原氏の傍系であり、松平親氏の頃より松平氏徳川氏)に仕えたとされる譜代家臣。

江戸時代後期までは代々旗本であったが文政8年(1825年)、林忠英の代に貝淵藩1万石の大名に列せられ、子の忠旭の代に陣屋を移し請西藩となる。

幕末、請西藩第 3代(通算で 4代目)忠崇は藩主であるにも関わらず自ら「脱藩大名」となり旧幕府軍として戊辰戦争に参戦、その責任を取られ請西藩は明治元年(1868年)に明治新政府により取り潰しとなった。しかし、明治26年(1893年)に赦され忠崇は無爵華族に、嫡男忠弘男爵に叙されている。なお、林忠崇は昭和16年(1941年)まで存命しており、「最後の大名」とも呼ばれた。


加賀林氏[編集]

林氏
(加賀林氏)
家紋
本姓 藤原北家利仁流斎藤支流
家祖 林貞宗
種別 武家
主な根拠地 加賀国拝師郷
支流、分家 倉光氏武家
石黒氏武家
凡例 / Category:日本の氏族

藤原利仁の子である藤原叙用(斉藤叙用)の流れを組む斎藤氏の傍系。富樫氏とは同族である。


林家[編集]

林家
家紋
本姓 藤原北家利仁流?
家祖 林信勝
種別 地下人
平民
出身地 京都
主な根拠地 江戸
入間県大里郡大幡村
著名な人物 林羅山
支流、分家 第二林家(地下人
凡例 / Category:日本の氏族

林家は京都の町人林信時の子の出身である林羅山(本名:林信勝)を祖とする朱子学儒学者一門。「りんけ」と呼び習わされてはいるが、名字は「はやし」である。

羅山以降一族は江戸幕府に儒官として仕え、3代林鳳岡からは代々大学頭を世襲した。しかし7代林信敬には嗣子がなく、岩村藩松平乗薀の子の松平乗衡が養子となり8代林述斎として林大学頭を継いだ。


系図[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 1909年(明治42年)松山での講演会での発言。
  2. ^ 『海南新聞』明治42年(1909年)3月18日号の記事によると、同年3月16日松山道後を訪れた伊藤博文は、歓迎会演説の中で自らの出自に就いて 「予ノ祖先ハ當國ヨリ出デタル者ニテ、伊予ニハ予ト同シク河野氏ノ末流多シト存スルガ、予ノ祖先ハ300年以前ニ於テ敗戰ノ結果、河野一族ノ滅亡ト共ニ中國ヘ移リタル者テ「通起(みちおき)」ト称シ慶長16年(1609年)5月26日ニ死歿シタルガ故ニ、明年ニテ恰モ300年ニ相当ス。彼ハ「林淡路守通起」ト称シ、予ハ其レヨリ第11代目ニ當レリ。「通起」ハ敗戰ノ後、毛利氏ヲ頼リタルモ、毛利氏モ當敗軍ニ属シ、頗ル艱難ヲ極メタル時ナルカ故ニ、遂ニ村落ニ埋歿シ落魄シテ、眞ニ僻遠ナルカ寒村ニ居住シ、其裔孫此処ニ存続シテ、今ヤ一族60餘軒ヲ算スルニ至レリ。予モ即チ其一人ニシテ、明年ヲ以テ齢70ニ達スルガ故ニ、恰モ周防ニ移リタル通起ノ歿後230年ニ出生シタルモノナリ。予カ父母ニ擁セラレテ萩ノ城下ニ出デタルハ僅ニ8歳ノ時ニシテ、爾来幾多ノ変遷ヲ経テ、今日ニ及ベリ。近來家系ノ事ニツイテ當國ノ諸君ガ頗ル調査ニ盡力セラレタル結果、周防移住以前ノ事蹟、大ニ明確ト成リタレハ、明年ハ周防ニオイテ親族ヲ参集シ、通起ノ為ニ300回忌ノ法要ヲ營ム心算ナリ。今次當地ニ於テハ、諸君ガ頗ル厚意ヲ以テ來遊ヲ歓迎セラレタルハ、右ノ縁故ニ基クモノトシテ、予ハ殊更ニ諸君ニ対シテ感謝ノ意ヲ表スル次第ナリ。顧フニ古來成敗ノ蹟ニ就テ考フレハ、予ガ祖先ハ當國ヨリ出デタルモノナレバ、當國ハ即チ祖先ノ故郷ナリ。今ヤ祖先ノ故郷ヘ歸リ來リテ斯クノ如ク熱誠ナル諸君ノ歓迎ヲ受ク。胸中萬感ヲ惹カザルヲ得ズ。加之、本日ハ諸君ガ我過失ヲ論ゼズシテ、唯々微功ヲ録セラレタルニ至テハ、深ク諸君ノ厚意ヲ心ニ銘シテ忘却セズ」と発言している。
  3. ^ 伊藤直右衛門の養子。
  4. ^ 長州藩士・井上光遠の4男、井上馨の甥。
  5. ^ 石井竹二三の子。
  6. ^ 府中小笠原氏・小笠原清宗の子。
  7. ^ 帝京大学教授
  8. ^ 旧姓:高麗氏
  9. ^ 旧姓:富田氏
  10. ^ 美濃岩国藩主松平〈大給〉乗薀の3男。
  11. ^ 旧姓:山高氏