旧三笠ホテル

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三笠ハウス(旧三笠ホテル)
Old mikasa hotel02s3872.jpg
ホテル概要
設計 岡田時太郎
階数 1 - 2階
部屋数 30室
開業 1906年5月
閉業 1970年
最寄駅 軽井沢駅
最寄IC 碓氷軽井沢インターチェンジ
所在地 〒389-0100
長野県北佐久郡軽井沢町大字軽井沢字唐堀1339番342
位置 北緯36度22分23.5秒 東経138度37分34.5秒 / 北緯36.373194度 東経138.626250度 / 36.373194; 138.626250座標: 北緯36度22分23.5秒 東経138度37分34.5秒 / 北緯36.373194度 東経138.626250度 / 36.373194; 138.626250
公式サイト 公式サイト
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Japanese Map symbol (Museum) w.svg 旧三笠ホテル
施設情報
正式名称 重要文化財・旧三笠ホテル[1]
前身 三笠ホテル
事業主体 軽井沢町
管理運営 軽井沢町教育委員会
所在地 389-0100
長野県軽井沢町大字軽井沢1339-342
プロジェクト:GLAM
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旧三笠ホテル(きゅうみかさホテル)は長野県北佐久郡軽井沢町にある歴史的建造物。国の重要文化財。三笠ホテルという名称は、敷地前方の愛宕山が奈良県の三笠山に似ていることから、有島生馬里見弴、山本直光によって付けられたという。

概要[編集]

玄関

実業家山本直良によるホテル開業は1906年(明治39年)5月[2]

建物は1905年(明治38年)に竣工した日本人の設計による純西洋風建築で、また文化人財界人が多く宿泊したことから、「軽井沢の鹿鳴館」とも呼ばれていた。設計は岡田時太郎、監督は佐藤万平、棟梁は小林代造。建築様式はアメリカのスティックスタイル(木骨様式)、扉のデザインはイギリス風、下見板はドイツ風、用材は小瀬のアカマツを現場で製材した。

1906年(明治39年)、営業を開始し、客室は30室、定員は40名、宿泊料は一等が12円、二等が8円、三等が5円。1907年(明治40年)、本館が完成した。1910年(明治43年)、洪水のため流出した。

1925年大正14年)に経営母体が変わり、(株)三笠ホテルとなり、明治屋に名義変更し、太平洋戦争中は、1944年、休業し、軽井沢が駐日外国人の主要疎開地として指定された事から、外務省の軽井沢出張所が設置された。 戦後は米陸軍第一騎兵師団に接収され、進駐軍の施設になり、1952年、米陸軍第八軍の使用が終了し、その後三笠ハウスの名称で営業を再開し(支配人山名伝兵衛)、1970年昭和45年)まで営業を続けた。1972年2月、日本長期信用銀行によって買収され、1974年2月、現在地の南方から70m移転し、1980年3月27日、日本長期信用銀行から軽井沢町に贈与された。

廃業の時点で竣工当初のおよそ50%の建物が現存しており、1980年(昭和55年)5月31日に「旧三笠ホテル」として国の重要文化財に指定を受け[3]、保護されている。

施設[編集]

  • 客室数30室(定員40人)
  • プール
  • 水洗トイレ


建築概要[編集]

  • 建築主 - 山本直良[2]
  • 設計 - 岡田時太郎[2]
  • 施工 - 小林代造
  • 工事監督 - 佐藤万平(初代)。[2]
  • 起工 - 1904年(明治37年)
  • 竣工 - 1905年(明治38年)
  • 構造 - 木造、2階建、玄関ポーチおよび屋根八角塔屋付、スレート葺
  • 所在地 - 〒389-0100 長野県北佐久郡軽井沢町大字軽井沢1339-342

利用情報[編集]

内部公開は1983年4月から行なわれている。[2]

  • 開館時間 - 9-17時(入館は16時30分まで)
  • 休館日 - 年末年始(12月28日から翌年1月4日まで)

交通アクセス[編集]

周辺[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 重要文化財・旧三笠ホテル条例
  2. ^ a b c d e 旧三笠ホテルパンフレット
  3. ^ 同日文部省告示第114号「文化財を重要文化財に指定する件」

外部リンク[編集]

関連項目[編集]