岸和田だんじり祭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

岸和田だんじり祭りの模様

岸和田だんじり祭(きしわだだんじりまつり)は、大阪府岸和田市で毎年秋に行われる祭り。曳き手が走り、速度に乗っただんじりを方向転換させる「やりまわし」を見所として、多くの観光客を集める。元々は岸和田藩の領民が岸和田藩主とともに、その年の五穀豊穣を岸和田城内三の丸稲荷神社に感謝した稲荷祭が起源。現在では各町のだんじりがそれぞれの氏神社に宮入りし、五穀豊穣・無病息災などを祈願する。全国的にも知名度が高く、日本を代表する祭りの一つである。

目次

[編集] 歴史

その歴史には諸説あるが、1703年元禄16年)、岸和田藩主岡部長泰が、京都伏見稲荷大社岸和田城内三の丸に勧請し、五穀豊穣を祈願して行った稲荷祭がその始まりと伝えられ、約300年の歴史伝統を誇る。

[編集] 概要

岸和田市には82台のだんじりがあり、大きく8つの地区に分かれて祭礼を行う。そのうちの2地区が9月に祭礼を行い、残りの6地区(山手地区)が10月に祭礼を行う。同じ岸和田市でも、春木地区や山手地区のだんじり祭の起源は、岸和田(旧市)地区のそれと全く異なる。

平成19年までは9月祭礼2地区、10月祭礼(山手)7地区として祭礼を行ってきたが、平成20年から10月祭礼の旭・大田地区と修斉地区が合併し、東岸和田地区となった。このため、平成20年からは9月祭礼2地区、10月祭礼6地区となり、岸和田市全体では8地区となった。

9月祭礼地区(35町)
岸和田(旧市)地区:22町
春木地区:13町  
10月祭礼地区(47町)
八木地区:11町  南掃守地区:8町  山直地区:8町  
山直南地区:6町  山滝地区:3町
東岸和田地区:11町(旧旭・太田地区:5町、旧修斉地区:6町)

[編集] 岸和田(旧市)地区22町

上記の8つの地区の中でも全国的に知られているのが、9月に行われる、市制施行当時の岸和田市域(ただし、昭和23年より春木南が参入)である岸和田(旧市)地区の祭礼で、だんじりを所有する22町で構成されている。各町から選出された「年番」(=町会の代表)により「岸和田地車祭禮年番」(きしわだだんじりさいれいねんばん)が組織され、祭礼の運営にあたる。 岸和田地区は、その中で、さらに中央・浜・天神の3つの地区(三郷)に分けられ、地区毎にその年の当番町を各1町選出し(本年番)、当番町3町が中心となって、その年のだんじり祭の運営を行う(年番長1町、副年番長2町)。毎年9月1日に、岸和田市港緑町の浪切ホールにおいて三郷の寄合いを行う伝統があり、その席で祭礼の重要事項を決定する。祭礼第2日目の本宮には岸城神社へ15町、岸和田天神宮へ6町、弥栄神社へ1町が宮入りを行い、安全を祈願する。

中央地区(8町)
(岸城神社)宮本町、上町、五軒屋町、北町、堺町、本町、南町、南上町(平成19年度から)
浜地区(7町)
(岸城神社)大北町、中北町、大手町、中町、紙屋町、中之濱町、大工町
天神地区(7町)
(岸和田天神宮)沼町、筋海町、並松町、下野町、藤井町、別所町
(弥栄神社)春木南

三郷とは本来、城下建設後の岸和田における町方浜方村方の3つの地区を指す呼称であり、以下の通りに分かれる。括弧内はだんじりを所有しない町。

町方
北町、堺町、本町、南町、(魚屋町)
岸和田城下。紀州街道が必ず通る。後の城下拡張による沼村領新屋敷(並松町)を除き「五ヶ町」とも称される。
浜方
大北町、中北町、大手町、中町、紙屋町、中之濱町、大工町
城下建設により分断された岸和田村の浜側。「浜七町」とも称される。中町は海に面さないが、かつて浜方の庄屋が居を構えていた。
村方
宮本町、上町、五軒屋町、南上町、(野田町)、(岸城町)
岸和田村。もと村方の氏神社を城内で祀るようになった為、宮入り(城入り)は村方から。ただし南上町は新規参入の為くじ引き(参入間もない現在は最後尾)。

[編集] 日程

当初は年3回例祭が行われていたが、最も盛大な秋の例祭に次第に一本化されていった。明治に入り新暦に換算され、9月14日が宵宮、15日が本宮となった。1966年昭和41年)、敬老の日が制定されて以降は14日だけが平日であったが、2003年平成15年)、ハッピーマンデー制度導入により、15日も平日となった。祭りの観客動員数が減少してしまうことや、社会人や高校生以上の学生などの曳手が参加できなくなり、曳行に支障が出ることを踏まえて、2006年(平成18年)、日程が130年ぶりに(ただし、130年前は単なる新暦への換算であり、事実上初めて)変更され、敬老の日(9月第3月曜日)の直前の土・日曜日に開催されるようになった。

2009年(平成21年)は、本宮が彼岸の入り(20日)と重なるため、日程の変更が検討されたが、例年通りの開催が決定された。

[編集] 岸和田(旧市)地区のだんじりの曳行

灯入れ曳行

で作られただんじりは鳴り物と呼ばれる大太鼓や鐘、笛を備えている。町ごとに1台ずつ持ち、岸和田旧市で22台が存在している。地車に100mほどの2本の綱をつけ、500人程度で地元の町を疾走する。基本的には、16–23歳程度までの若者が綱を曳き、欅に女神が宿ると信じられているため、女性を地車に乗せないが、曳き手として参加することは許されている。テレビ報道等では、地車が家の屋根を破壊する映像が取り上げられることが多い[1]が、そのような事故はそう多くはない。

祭礼第1日目の早朝、午前6時から一斉に各町のだんじり22台が通称カンカン場へ向かって繰り出し、やりまわしを行い、『曳き出し』が始まる。早い町は午前5時半頃には自町を出発し、『曳き出し』に参加する。第1日目の午後1時から南海岸和田駅前にて『パレード』が行われる。第2日目の午前9時過ぎから祭の最大の神事『宮入り』が岸城神社・岸和田天神宮・弥栄神社で行われ、クライマックスに達する。特に、岸城神社に向かう際の岸和田市役所前(コナカラ坂)のシーンは人気があり、圧巻である。両日の午後7時から10時頃までの間は、『灯入れ曳行』(ひいれえいこう)と呼ばれ、約200個の提灯で飾られただんじりを小さい子供から老人まで楽しめるよう歩行曳行し、昼間のだんじりの「動」に対し、雅やかな「静」を演出している。曳行時の掛け声は「ソーリャ、ソーリャ」である。後梃子を持つ人間は曳き手と同じか「ホイサ、ホイサ」と言う町もあり、掛け声のテンポは囃子とは拘わらない町が多い。尚方向転換、修正の際はほとんどの町で「セイノ、ホイ」と云う。

[編集] その他の地区

[編集] 9月祭礼(敬老の日(9月第3月曜日)の直前の土・日曜日)

春木地区(13町)
(弥栄神社)春木本町,春木中町,春木大小路町,春木宮川町,春木若松町,春木旭町,春木宮本町,春木大国町,戎町,八幡町,松風町,磯上町,大道町

[編集] 10月祭礼(体育の日(10月第2月曜日)の直前の土・日曜日)

八木地区(11町)
(夜疑神社)中井町、吉井町、荒木町、下池田町、箕土路町、西大路町、小松里町、額町、額原町、大町、池尻町
南掃守地区(8町)
(兵主神社)西之内町、八坂町、下松町
(上松菅原神社)上松町
(岸和田天神宮)山下町
(尾生菅原神社)尾生町、中尾生町、福田町
東岸和田地区(11町)
(旧旭・太田地区)
(土生神社)土生町
(岸和田天神宮)作才町
(波多神社)畑町
(矢代寸神社)極楽寺町、流木町
(旧修斉地区)
(矢代寸神社)八田町、神須屋町、真上町
(意賀美神社)土生瀧町、阿間河瀧町、葛城町
山直地区(8町)
(今木菅原神社)今木町
(田治米菅原神社)田治米町
(淡路神社)摩湯町
(穂椋神社)三田町、三田町小倉
(岡山町菅原神社)岡山町山出小路、岡山町大西小路、岡山町東出小路
山直南地区(6町)
(楠本神社)包近町
(中村神社)山直中町
(稲葉菅原神社)稲葉町西、稲葉町東
(積川神社)積川町(西)、積川町橋室(東)
山滝地区(3町)
(山直神社)内畑町、内畑町下出
(大沢菅原神社)大沢町

[編集] 岸和田

だんじり」は、岸和田だけでなく、泉州河内や大阪、神戸奈良など、関西一円の祭の形態として、広く存在している。「だんじり」には大きく分けて、岸和田型の「下だんじり」と、堺市河内大阪市および阪神間などに多い「上だんじり」がある。岸和田市内に82台あるだんじりは、全て岸和田型の「下だんじり」である。また、岸和田市近隣の泉佐野市貝塚市和泉市(上代町を除く)、熊取町忠岡町田尻町にあるだんじりも、全て岸和田型の「下だんじり」である。(和泉市上代町も平成22年の新調で下だんじりになる)。「上」「下」というのはだんじり全体の重心が比較的「上」の方にあるか、「下」の方にあるかという意味で、下だんじりは重心が低いため、速く曳行したり、やりまわしをしたりするのに向いており、上だんじりは重心が高いため、ゆっくりと曳行するのに向いている。

岸和田だんじり祭は、昭和の終わりから平成のはじめにかけて、多くのメディアに取り上げられたこともあり、それまで、関西の一地方の祭であったものが、一気に全国区の祭へとなる。岸和田だんじり祭は、今でもだんじりを保有する町が年々増加し、ますますその規模を拡大している。また、堺市高石市和泉市泉大津市(濱八町を除く)などの近隣の市でも、今まで「上だんじり」を保有していた町が、新調を機に岸和田型の「下だんじり」に買い換えることがある[2]

伝統的で盛大な祭は古くから栄えた街で存在することが多く、そのための要件としては「城下町」「港町」「門前町」等があげられる。「大きな城下町」であった街の多くは、明治以降、「都道府県庁所在地」としてさらに大きな発展を遂げた。ただ、その発展が、祭にとっては逆にあだとなり、城下町として栄え、祭が存在していた中心部では、オフィスビル化・空洞化という現象により、町衆が減少し、その結果として祭の活力がそがれるという結果になることがある。京都祇園祭などはその典型である。また江戸時代に比較的小さな藩によって築かれた「小さな城下町」の大半は、地方都市として過疎に見舞われ、街の活力とともに祭も活力を失っていったのである。

岸和田は江戸時代に譜代大名岡部氏5万3000石の比較的「小さな城下町」として栄えていた。本来であれば、このような「小さな城下町」は明治以降、衰退の道をたどるのが一般的であるが、岸和田は、大都市・大阪から約20kmという、その恵まれた立地のために、戦後、大阪を中心とする「関西大都市圏」に組み込まれる形で、地方の小城下町でありながら、大阪のベッドタウンとしてさらに発展を続け、人口も増加していったのである。このため、岸和田は「空洞化」・「過疎化」のいずれにも見舞われることなく、町衆は増え続け、そのパワーも温存することができたのである。このことが今日の岸和田だんじり祭の発展の礎となったといえよう。

[編集] 組織

前述したように、京都の祇園祭をはじめとする日本を代表する伝統的な祭りが、都市の空洞化・町民の郊外への流出などにより形骸化していく中、岸和田だんじり祭は、300年余りの間、だんじりを保有する各町の住民たちの手により継承されてきた。現在もその運営は全て町民・町会により行われ、行政や観光協会がかかわることはほとんどない。また、無理やり後世に伝えていくための「保存会」などは存在しないし、その必要もない。あくまで、普段、盆踊り、スポーツ大会、警備などを行っている町会が、そのまま各町のだんじりの運営組織となる。

祭礼になると、町会長はそのまま、各町のだんじり運営の「総括責任者」となる。町会は、祭礼になると年齢別に「世話人会」「若頭」「組」「青年団」「少年団」などのいわゆる「祭礼団体」を組織し、その中から「曳行責任者」を選出する。曳行責任者は現場の最高責任者として、町会の最高責任者である総括責任者とともに、2日間のだんじり曳行の重責を担う[3]

[編集] 役職

世話人
だんじり祭りの運営を行う。
若頭
組、青年団をまとめ、若者の頭として町の祭を取り仕切る。また、地車の足回りの管理も行い、曳行の際は前梃子(まえてこ)を担当する。
前梃子は左右に1人ずつおり、だんじりの前輪の上にある梃子を押し込む事により旋回やブレーキングを行う。左右の呼吸を合わせることが重要な役割なので、双子の兄弟や親友同士が務めるケースが多い。前梃子は最も危険で、重大事故に見舞われる確率が一番高い。
拾五人組、参拾人組など町によって名称が違う。後梃子(うしろてこ)を取り持ち、やりまわしのときには梃子に繋がっている綱(どんす=緞子)を横に引く事で地車を旋回させる。青年団を卒業した主に30歳以降の人たちが受け持つ。
大工方
地車の上で団扇を持ち舞いを舞う。地車の進路をみて、前方の進路をいち早く発見・調整する役目も果たす。上記「組」の一員である場合がほとんどである。祭りの花形。
青年団
特に16 - 25歳の若者で構成される。地車の綱を曳く「綱先」「綱中」「綱元」と、だんじりに乗って太鼓や鐘、笛を鳴らす「鳴り物」とに大別できる。また、綱を持つのを卒業すると、「追い役」となり、曳き手のサポートにまわる。地車の清掃、飾りつけや、進路の路上駐車禁止を呼びかけたり、危険な溝の周りに土嚢を置いたり、ギャラリーを守るなどの役割を負う。

ほかに少年団、子ども会がある。婦人会など、上記組織に属さない地域の者でも、休憩の時に曳き手にお茶や水を振舞うなどの形で参加することがある。

[編集] 脚注

  1. ^ 紀州街道の通称「S字」はクランク状の道となっており、だんじりの曳行が技術的に困難な箇所となっている。この場所は狭隘だが見せ場の一つともなっており、テレビの中継番組でも取りあげられている。
  2. ^ 大阪市東大阪市大阪狭山市南河内郡太子町和歌山県橋本市香川県坂出市などにも岸和田型下だんじりを購入し、曳行している町がある。
  3. ^ 岸和田だんじり祭は、毎年多数の負傷者を出し時には死者さえ出すことでも知られているが、不幸にしてだんじりが事故を起こしたり、死傷者が出た際に刑事責任を問われるのは、全て、この総括責任者(町会長)・曳行責任者であり、行政の長である市長が責任を問われることはない。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

[編集] 参考文献

他の言語