大麻 (北海道)
大麻(おおあさ)は北海道江別市の地名で、同市を構成する地区のひとつである。
概要[編集]
石狩川や豊平川、野津幌川、厚別川が形成した低湿地を北側に臨む小高い丘陵地帯。江別市中心部と札幌市のちょうど中間点に位置する。すでに縄文時代から人の生活の痕跡が見られ、地区内を流れる小河川の流域にはこの時代の遺跡が存在する。しかし明治時代に北海道の開拓が本格化するまでは、長らく原生林のままだった。その後、入植した農民によって森林は順次開拓されて畑作地帯となり、さらに札幌駅まで函館本線の電車で20分という地の利を生かし、道営大麻団地が建設された1964年前後からはベッドタウンとして大規模に開発され、札幌市など道内各地から転入者が急増し、太陽族世代~団塊の世代による、典型的なニュータウンが成立した。しかし早期に町の機能が整備完了された事もあって1975年頃には既に膠着状態となり、以後は次第に近隣や札幌市などへの転居、そして21世紀となった今日では住民の高齢化もあいまって地域の衰微が激しい。
地名の由来[編集]
現在の大麻一帯は、かつて3つの部落に分かれていた。各部落名の由来は以下の通り。
- 大曲(おおまがり)
- 1888年(明治21年)に完成した国道12号の旧ルートが、四番通りに接続する手前の2か所で大きく湾曲していたため[1]。
- 麻畑(あさばたけ、あさはた)、または麻地(あさぢ)
- 1889年(明治22年)に野幌屯田兵の授産農事としてアサの栽培が奨励され、その好適地となったため[1]。
- 樹林地(じゅりんち)
- 1901年(明治34年)に野幌屯田兵村の公有財産となり、薪炭建築用材地として使われていたため[1]。
- 1905年(明治38年)、小作制度により小部落ができてこの名がついた[1]。
1935年(昭和10年)に行われた江別町の字名改正に際して3部落が統一されたが、代表となる名称をめぐって議論が紛糾し、最終的に「大曲」と「麻畑」から一文字ずつ引用して「大麻」と称するようになった[2]。
旧部落は以下のように再編された[1]。
- 樹林地→第一部落
- 麻畑→第二部落
- 大曲下組→第三部落
- 大曲上組→第四部落
その後、太平洋戦争終結後の緊急開拓で低地帯に入植した十数戸が、第五部落として追加された[1]。
町名[編集]
大麻地区には以下の町名がある。
また、函館本線以南の地区を文京台というが、それらも大まかな分類では大麻地区に入る。
主な施設[編集]
公共施設[編集]
- 江別市役所大麻出張所
- 地区センター(大麻西、大麻東、文京台)
- 江別市民体育館大麻体育館
- えぽあホール
- 大麻公民館
- 江別市情報図書館大麻分館
- 江別市大麻老人憩の家
- いきいきセンターさわまち
- 江別市消防署大麻出張所
- 江別市消防団大麻分団
- 石狩森林管理署野幌森林事務所
- 北海道立図書館(北方資料室にアイヌ語学者知里真志保などの未公刊資料多数)
学校[編集]
大麻・文京台は大学などの文教施設が複数あり、住民には学生も多いため、規模こそ小さいものの学生街を形成している。
子ども子育て[編集]
認定こども園あけぼの(幼稚園、保育園、学童保育、未就園児クラス、森の幼稚園、子育て支援)
研究・研修施設[編集]
- JAカレッジ(財団法人北海道農業協同組合学校)
- 独立行政法人森林総合研究所林木育種センター北海道育種場
- 北海道自治政策研修センター
- 北海道立教育研究所
- 附属情報処理教育センター
- 北海道立食品加工研究センター
商業施設[編集]
住宅団地[編集]
- 大麻団地 - 江別市, 新住宅市街地開発法に基づく。1964年(昭和39年)
- 旧公団 大麻園町団地
- 旧公団 大麻宮町団地
- 旧公団 大麻中町団地
交通機関[編集]
- 鉄道:JR北海道大麻駅
- バス:北海道中央バス(江別営業所)、ジェイ・アール北海道バス(空知線)、夕張鉄道(夕鉄バス)
- 高速道路:道央自動車道江別西IC
- 一般国道:国道12号
- 都道府県道:北海道道626号東雁来江別線、北海道道864号大麻東雁来線
金融機関[編集]
脚注[編集]
- ^ a b c d e f 大麻開基八十年誌 1971, p. 1.
- ^ 大麻開基百年 1990, p. 2.
参考文献[編集]
- 『大麻開基八十年誌』大麻農事実行組合解散記念事業実行委員会、1971年10月。
- 『大麻開基百年:大麻開基百年誌』大麻開基百年記念事業協賛会、1990年9月。