吉田雄人
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よしだ ゆうと
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横須賀市長 吉田雄人
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| 生年月日 | 1975年12月3日(36歳) |
| 出生地 | 東京都北区 |
| 出身校 | 早稲田大学大学院政治学研究科修士課程 早稲田大学政治経済学部政治学科 |
| 前職 | 横須賀市議会議員 |
| 現職 | 横須賀市長 |
| 所属政党 | 無所属 |
| 称号 | 修士(早稲田大学) |
| 公式サイト | 横須賀市長 吉田雄人 公式ホームページ |
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| 当選回数 | 1回 |
| 任期 | 2009年(平成21年)7月10日 - |
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| 当選回数 | 2回 |
| 任期 | 2003年 - 2009年3月 |
吉田 雄人(よしだ ゆうと、1975年(昭和50年)12月3日 - )は、日本の政治家。神奈川県横須賀市長(1期)。元横須賀市議会議員(2期)。
目次 |
[編集] 概要
[編集] 略歴
東京都北区生まれ。神奈川県立横須賀高等学校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。早大在学中は早稲田大学雄弁会に所属していた。1999年(平成11年)、アクセンチュア株式会社に入社し、2002年(平成14年)に同社を退職。2006年(平成18年)、早稲田大学大学院政治学研究科修士課程を修了。大学院では地方自治を専攻した。
2003年(平成15年)、横須賀市議会議員選挙に出馬。当時最年少(27歳)でトップ当選を果たした。2007年(平成19年)も再びトップで再選し、全国一の得票数11,442票(政令市を除く市町村の統一地方選挙)を記録した[1]。
2009年(平成21年)3月、横須賀市長選挙に出馬する意向を表明。同年6月の市長選挙には政党からの支援を受けない無所属候補として立候補し、横須賀市が地盤の小泉純一郎元首相の支援を受けた現職の蒲谷亮一市長(自民・公明・民主推薦)を破り、初当選を果たした[2]。
| 当落 | 得票数 | 候補者 | 党派 | 前歴 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|
| 当 | 68,628 | 吉田雄人 | 無所属 | 新人・市議 | |
| 64,147 | 蒲谷亮一 | 無所属 | 前職 | 自・公・民の支援 | |
| 23,134 | 呉東正彦 | 無所属 | 新人 | 共・社の支援 |
[編集] 人物
- 「媚びない政治、裏切らない政治、つたえていく政治」が政治信条。旧態依然の依存型政治の枠組みを打ち破り、自らの力で立ち、自分の力で律動する「自立・自律」の出来る世の中にしていくという政治理念のもとに活動している。
- 横須賀市長として初登庁した2009年(平成21年)7月10日、登庁式の場で、「職員の尻ぬぐいができる市長に、太陽のように温かい心を持った市長に、厳しい批判にも山のようにどっしりと構えて誠実に対応していけるような市長になりたい」と挨拶した[3]。
- 公式サイトで、日本で3例目のカード決済によるネット献金(PayPalを利用)を導入した[4]。
[編集] 選挙活動
2009年(平成21年)の市長選挙では、吉田陣営の運動員らが選挙中に襷をかけて運動をしていたとして、同市議会の最大会派・新政会がミニコミ誌に「影武者のようで、やり過ぎだ」とする意見広告を掲載した。吉田陣営は、「勝手連が、勝手連活動中に行ったもので、陣営として関知していない」[5]、「襷は『新しい横須賀へ』とキャッチフレーズを書いたもの」であると説明。これに対し同市選挙管理委員会は「本人の名前であれば違反だが、キャッチフレーズは、駄目とも言えない」と、横須賀警察署は「公職選挙法の想定外であり捜査はしていない」とコメントしている[6]。
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ ザ・選挙 -選挙情報- 横須賀市議会議員選挙
- ^ 横須賀市長に元市議の33歳吉田氏 小泉元首相支援の現職破る 47news 2009年6月28日 23:31
- ^ 初登庁の横須賀市長があいさつ「太陽のように心温かい市長に MSN産経ニュース 2009年7月10日 12:43
- ^ 日本初の事例は横粂勝仁(民主党・神奈川11区)、2例目は三村和也(民主党・神奈川2区)
- ^ タスキ掛け影武者と対立会派…横須賀市長選 読売新聞 2009年7月10日
- ^ 33歳市政初日から批判広告 議会はオール野党、前途多難
[編集] 外部リンク
- 横須賀市|市長のページ
- 横須賀市議会議員 吉田雄人(よしだ ゆうと)のホームページ(公式サイト)
- 横須賀市長吉田雄人のユーティング・ブログ!
- 吉田雄人 (YoshidaYuto) - Twitter
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