ロイスアンドロイス

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ロイスアンドロイス
欧字表記 Royce and Royce
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1990年3月10日
死没 1996年6月14日(7歳没・旧表記)
トニービン
ザッツマイパル
母の父 Key to the Mint
生国 日本の旗 日本北海道早来町
生産者 社台ファーム早来
馬主 (株)テンジン
調教師 松山康久美浦
競走成績
生涯成績 28戦3勝
獲得賞金 2億1275万5000円
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ロイスアンドロイス日本競走馬レースでは勝ち切れないが、未勝利戦でもGIでも3着に来たため、ナイスネイチャ[注 1]とともにブロンズコレクターと称された。[要出典]中央競馬で全28戦のうち2着を9回、3着を7回記録しているが、重賞勝ちはなかった。

経歴[編集]

馬齢は旧表記で統一する。

3歳〜4歳春[編集]

ロイスアンドロイスは1992年12月、中山競馬場での新馬戦でデビュー。そこから新馬戦と未勝利戦のみ6戦したが、2着5回3着1回と勝てなかった。デビュー戦からの6戦は坂井千明が手綱を取っている。

未勝利の身で青葉賞へ[編集]

ロイスアンドロイスは未勝利のまま、ダービートライアルの青葉賞に挑戦する事になった[注 2]。当時の青葉賞では、東京優駿(日本ダービー・G1)への優先出走権は上位2頭に与えられる。しかし、未勝利馬は東京優駿には出走できない[注 3]ため、ロイスアンドロイスの場合は青葉賞2着で優先出走権を獲得しても、依然として未勝利馬なので東京優駿には出走できない[注 4]。つまり、ロイスアンドロイスが東京優駿に出走するためには青葉賞で1着になる必要があった。だが、安田富男とのコンビで挑んだこの青葉賞では、勝ったステージチャンプから2馬身半離れた3着に終わり、ダービー出走は叶わなかった。

4歳秋[編集]

ダービー出走が叶わなかったロイスアンドロイスは次の未勝利戦で後藤浩輝とのコンビで挑み、5馬身差の圧勝で8戦目で待望の初勝利を挙げた[注 5]

その後、ロイスアンドロイスはラジオたんぱ賞 では3着、自己条件の500万円以下条件戦でも2戦連続で2着と勝ちきれないレースが続いたが、菊花賞トライアルのセントライト記念で2着に入り、1勝馬の身で菊花賞に参戦する事になった。

横山典弘とのコンビで挑んだ菊花賞ではビワハヤヒデウイニングチケットナリタタイシンに次ぐ4番人気(複勝は3番人気)に支持された。レースでは道中、中団を進んだが伸び切れず、勝ったビワハヤヒデから1.8秒離された7着に終わった。

菊花賞後、ロイスアンドロイスは12月に1500万円以下条件戦の冬至ステークスに出走したが5着に敗れ、この年を終えている。

5歳[編集]

5歳になったロイスアンドロイスは復帰初戦こそ2着に敗れたが、1500万円以下条件戦のむらさき賞で勝利を収め、遂にオープン入りする。菊花賞以来の重賞挑戦となったエプソムカップで8着に敗れて、一度は準オープンクラスに降格したものの、サロベツステークスで勝利して再びオープン入りした。

秋はオールカマーから始動し、当時の最強馬であるビワハヤヒデと前年の日本ダービー馬ウイニングチケットに次いで3着に入った。秋の天皇賞では前述の2頭に先着しての3着となり、ジャパンカップへと駒を進めることになった。

ジャパンカップへ[編集]

天皇賞の後、ロイスアンドロイスは、世界の強豪が相手となるジャパンカップに出走登録[注 6]した。この年は、ビワハヤヒデとウイニングチケットが先の天皇賞での故障発生により引退。天皇賞を勝ったネーハイシーザー三冠を達成したナリタブライアンも出走を見合わせたため、JRA選出馬にG1馬が1頭もいないという事態となった。選出馬の実績は、ナイスネイチャフジヤマケンザンマチカネタンホイザの3頭でG13着6回・4着9回。マーベラスクラウンも、前走の京都大賞典で重賞2勝目を挙げたとはいえ、G2・G3で2着4回を記録しており、日本馬はすべて"勝ちきれない馬"ということになり、上位人気は外国勢が独占した。そんな中、ロイスアンドロイスは、中団を追走し、直線大外から一瞬突き抜けるというレースを展開するも、内の2頭(マーベラスクラウン、パラダイスクリーク)に差し返され、またしても3着となった。

6〜7歳[編集]

ジャパンカップ後、疲れが出て休養に入ったロイスアンドロイスは春は大阪杯から復帰したが4着と敗れてしまう。再び休養に入り、秋初戦の富士ステークスで3着になったが、ジャパンカップは7着、有馬記念でも7着に敗れた。

翌年の春はAJC杯日経賞、春の天皇賞と3戦したが、AJC杯は4着、日経賞は8着、春の天皇賞は11着とレースを走るごとに順位を落とし、往年の走りは影を潜めてしまった。そして、立て直しを図るべく放牧に出たが、放牧先で腸捻転を発症し、死亡した。

競走成績[編集]

年月日 競馬場 競走名 頭数 枠番 馬番 オッズ
(人気)
着順 騎手 斤量 距離(馬場) タイム
(上り3F)
タイム差 勝ち馬/(2着馬)
1992 12. 13 中山 3歳新馬 12 5 5 8.7 (5人) 02着 坂井千明 54 芝1600m(良) 1:37.1 (35.7) 0.1 クエストフォベスト
12. 26 中山 3歳新馬 18 7 14 4.0 (2人) 02着 坂井千明 54 芝2000m(良) 2:03.9 (37.5) 0.1 シンコウヤマブキ
1993 2. 14 東京 4歳未勝利 13 4 4 1.4 (1人) 03着 坂井千明 55 ダ1600m(良) 1:41.9 (40.9) 1.7 ノーザンレインボー
2. 28 中山 4歳未勝利 16 3 6 3.9 (2人) 02着 坂井千明 55 芝2200m(稍) 2:18.4 (37.8) 0.2 マックスディガー
3. 13 中山 4歳未勝利 16 1 2 1.8 (1人) 02着 坂井千明 55 芝2000m(稍) 2:06.4 (39.4) 0.2 キクノセンリ
4. 3 中山 4歳未勝利 16 6 12 1.8 (1人) 02着 坂井千明 56 芝2200m(良) 2:16.3 (37.3) 0.1 サクラリズムオー
5. 1 東京 青葉賞 OP 16 4 8 14.8 (6人) 03着 安田富男 56 芝2400m(良) 2:28.1 (36.0) 0.4 ステージチャンプ
6. 6 東京 4歳未勝利 13 3 3 1.2 (1人) 01着 後藤浩輝 53 芝1800m(良) 1:50.6 (37.1) -0.8 (オオザガリバー)
7. 4 福島 ラジオたんぱ賞 GIII 9 5 5 8.0 (6人) 03着 竹原啓二 54 芝1800m(良) 1:48.8 (37.7) 0.7 エーピーグランプリ
8. 8 新潟 笹山特別 500万下 9 8 8 1.2 (1人) 02着 岡部幸雄 55 芝1800m(良) 1:49.8 (36.2) 0.1 マジックモーニング
8. 28 新潟 赤倉特別 500万下 9 4 4 1.8 (1人) 02着 坂井千明 55 芝2000m(稍) 2:04.2 (37.1) 0.7 サンブリッジシチー
9. 26 中山 セントライト記念 GII 12 5 6 13.4 (7人) 02着 坂井千明 56 芝2200m(良) 2:15.1 (36.4) 0.3 ラガーチャンピオン
11. 7 京都 菊花賞 GI 18 4 8 19.4 (4人) 07着 横山典弘 57 芝3000m(良) 3:06.5 (35.6) 1.8 ビワハヤヒデ
12. 18 中山 冬至S 1500万下 13 5 7 4.3 (3人) 05着 坂井千明 56 芝2500m(良) 2:35.5 (37.1) 0.9 シャマードシンボリ
1994 5. 7 東京 薫風S 1500万下 16 4 8 7.2 (4人) 02着 後藤浩輝 56 芝2000m(良) 2:01.7 (37.0) 0.2 サクラリュウセイ
5. 29 東京 むらさき賞 1500万下 15 7 12 2.8 (1人) 01着 後藤浩輝 57 芝1800m(良) 1:47.5 (36.1) -0.1 (ベルシャルマンテ)
6. 11 東京 エプソムカップ GIII 14 4 6 3.7 (2人) 08着 後藤浩輝 55 芝1800m(良) 1:47.9 (34.2) 0.4 ワコーチカコ
8. 6 札幌 サロベツS 1500万下 9 4 4 2.8 (1人) 01着 横山典弘 57 芝2000m(良) 2:01.9 (35.2) 0.0 (キョウワアリシバ)
9. 18 中山 オールカマー GIII 8 5 5 35.8 (4人) 03着 横山典弘 57 芝2200m(重) 2:15.0 (35.9) 0.5 ビワハヤヒデ
10. 30 東京 天皇賞(秋) GI 13 4 4 65.7 (11人) 03着 横山典弘 58 芝2000m(良) 1:58.9 (34.5) 0.3 ネーハイシーザー
11. 27 東京 ジャパンカップ GI 14 8 15 18.1 (8人) 03着 横山典弘 57 芝2400m(良) 2:23.8 (36.1) 0.2 マーベラスクラウン
1995 4. 2 京都 産経大阪杯 GII 13 1 1 7.2 (4人) 04着 横山典弘 57 芝2000m(良) 1:59.5 (35.4) 0.2 インターマイウェイ
11. 12 東京 富士S OP 9 8 8 7.6 (3人) 03着 田中勝春 57 芝1800m(良) 1:47.8 (34.8) 0.3 フジヤマケンザン
11. 26 東京 ジャパンカップ GI 14 4 6 15.4 (8人) 07着 横山典弘 57 芝2400m(良) 2:25.4 (35.1) 0.8 ランド
12. 24 中山 有馬記念 GI 12 4 4 26.9 (8人) 07着 横山典弘 56 芝2500m(良) 2:34.8 (36.1) 1.2 マヤノトップガン
1996 1. 21 中山 AJCC GII 9 7 7 5.7 (3人) 04着 横山典弘 57 芝2200m(良) 2:15.6 (34.1) 0.6 カネツクロス
3. 17 中山 日経賞 GII 11 5 5 12.9 (4人) 08着 岡部幸雄 57 芝2500m(不) 2:38.4 (37.9) 1.1 ホッカイルソー
4. 21 京都 天皇賞(春) GI 16 7 13 128.0 (14人) 11着 坂井千明 58 芝3200m(良) 3:20.3 (37.4) 2.5 サクラローレル

血統表[編集]

ロイスアンドロイス血統ゼダーン系(ナスルーラ系) / Nasrullah5×5=6.25% (血統表の出典)

*トニービン
Tony Bin
1983 鹿毛
父の父
*カンパラ
Kampala
1976 黒鹿毛
Kalamoun *ゼダーン
Khairunissa
State Pension *オンリーフォアライフ Only for Life
Lorelei
父の母
Severn Bridge
1965 鹿毛
Hornbeam Hyperion
Thicket
Priddy Fair Preciptic
Campanette

*ザッツマイパル
That's My Pal
1979 鹿毛
Key to the Mint
1969 鹿毛
Graustark Ribot
Flower Bowl
Key Bridge Princeqillo
Blue Banner
母の母
Beautiful Memory
1973 栗毛
Boldnesian Bold Ruler
Alanesian
My Dear Girl Rugh'n Tumble
Iltis F-No.21-a


エピソード[編集]

後藤騎手は、ロイスアンドロイスを、「初めてその背中に感動した」馬としている。調教では、日々のメニューをすべて把握しており、後藤の言うことを全く聞かず、それでいて、後藤が調教師から指示されたとおりの追い切りを消化して見せたという。後藤は「レースでも、その頭の良さが邪魔をしていた。彼は負けたくて負けていたのだ。きっと彼は2、3着というのを数えられたのだと思う」と述べている。[1]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ ナイスネイチャとは4度対戦しているが、いずれもロイスアンドロイスが先着(ロイスアンドロイスの4戦4勝)している。
  2. ^ 1998年にも、クラシック候補と呼ばれながらデビューが遅れていたジュネーブシンボリがロイスアンドロイスと同様に未勝利の身で青葉賞に出走している(ジュネーブシンボリはこの青葉賞がデビュー戦で、結果は1番人気で4着だった)。
  3. ^ 東京優駿に限らず、2歳戦以外のオープン競走・重賞競走は、原則として未勝利馬は出走できない。ただし、春季開催の3歳G1トライアル競走は、例外的に未勝利馬でも出走可能である。平成28年第2回東京競馬番組
  4. ^ のちに青葉賞は重賞競走に格上げになったため、現在の青葉賞で2着すれば、JRAの定義する未勝利馬(収得賞金が0円の馬)ではなくなり、東京優駿への出走が可能となる。
  5. ^ 後藤騎手はロイスアンドロイスで良績を残しており、3勝の内2勝は後藤とのコンビで挙げたものである。
  6. ^ 当時のJRA所属馬選出枠は5頭のみで、ロイスアンドロイスが出走できる見込みは薄かった。しかし、G1馬が相次いで引退したことや、JRAが実績上位のステージチャンプ(日経賞菊花賞2着)よりも上に見たことで選出された(ステージチャンプは補欠馬)。

参考文献[編集]

出典[編集]

  1. ^ 『UMAJIN 2011年12月号』 p.94(後藤騎手による連載記事)

外部リンク[編集]