マヌエル・ノリエガ
| マヌエル・アントニオ・ノリエガ・モレノ Manuel Antonio Noriega Moreno |
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| 1934年2月11日(78歳)– | |
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米軍に拘束されたマヌエル・ノリエガ |
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| 生誕地 | |
| 最終階級 | 最高司令官(将軍) |
マヌエル・アントニオ・ノリエガ・モレノ(Manuel Antonio Noriega Moreno, 1934年2月11日 - )は、パナマ共和国の軍人、政治家。国家元首、最高司令官(将軍)。
目次 |
[編集] 人物
[編集] 経歴
パナマ大学を卒業後にペルーに留学。帰国後、国家警備隊に入隊し、パナマの米州学校で訓練を受けた[要出典]。
1983年、パナマ軍最高司令官に就任。隣国コロンビアの麻薬組織(メデジン・カルテル)と結びつき、パナマからアメリカ合衆国へコカインなどを密輸するルートとして私物化。さらに、反米国家のリビア人(カダフィ政権)やキューバ人に対してアメリカ合衆国の査証やパスポートを闇ルートで転売していた。1989年に大統領選挙に出馬したが、落選が確実になると軍をあげて選挙の無効を宣言し、新たに国家最高指導者のポストを作り、1989年12月に自ら就任した[要出典]。。
しかしその5日後、麻薬の不正浄化や在パナマ米軍兵士の殺害、選挙結果の不履行を理由にジョージ・H・W・ブッシュ大統領による米軍のパナマ侵攻を受ける。圧倒的な物量差を前にパナマ国防軍は敗北する。戦闘による混乱の中彼は拘束され、麻薬密輸の罪で懲役40年(後に30年に減刑)の判決を受ける。フロリダ州マイアミで服役中だったが、模範囚であることを理由に刑期は短縮され2007年9月9日に釈放された。
本人はパナマに帰国して隠退生活を望んでいるとされるが、フロリダ州連邦地裁は2007年8月28日にノリエガの身柄を刑期終了後にフランスに引き渡すとする決定を下した[1]。フランスでは、同国内の銀行口座を使って麻薬資金の洗浄を行っていたとして1999年に欠席裁判のままノリエガに対し禁固10年の有罪判決が下されており、アメリカに対して身柄引き渡しを要求していた。その後アメリカ国務長官ヒラリー・クリントンが引き渡し命令に署名し、2010年4月26日にノリエガはフランスへ移送され[2]、同年7月7日にパリの裁判所にて禁固7年の有罪判決が下されている[3]。
パナマでは、政敵であったウーゴ・スパダフォラ殺害の容疑にて、ノリエガに禁固20年の判決が出ている。ノリエガはこれに対して、裁判で無実を勝ち取るとしている。
2011年12月11日、ノリエガはフランスからパナマへ送還され現地到着後収監された。彼にとって22年振りの母国帰国となった[4]。
2012年2月5日、ノリエガは高血圧症のためパナマ市内の病院に搬送された[5]。
[編集] その他
ノリエガは、1950年代からCIAのために活動していたことも明らかになっている。ノリエガはブッシュ大統領がCIA長官時代にその尖兵となり、キューバのカストロ政権やニカラグアのサンディニスタ政権など中米・カリブ海の左派政権の攪乱に協力していた。だが、キューバの二重スパイとなった疑いがもたれている。
[編集] 脚註
- ^ パナマのノリエガ元将軍、刑期終了後は仏へ…米連邦地裁 読売新聞 2007年8月29日
- ^ パナマのノリエガ元将軍、米から仏へ身柄引き渡し
- ^ “パナマ・ノリエガ元将軍に禁固7年判決…仏裁判所” ((日本語)). 読売新聞. (2010年7月7日) 2010年7月7日閲覧。
- ^ ノリエガ元将軍22年ぶりパナマ帰国、即収監
- ^ 服役中のノリエガ元将軍、病院に搬送 パナマ
[編集] 関連項目
| 軍職 | ||
|---|---|---|
| 先代: ルベン・ダリオ・パレデス (en) |
1983 - 1989 |
次代: ギジェルモ・エンダラ (en) (軍解体、大統領) |