バンスカー・シュチャヴニツァ
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バンスカー・シュチャヴニツァの広場
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| 英名 | Historic Town of Banská Štiavnica and the Technical Monuments in its Vicinity | ||
| 仏名 | Ville historique de Banská Štiavnica et les monuments techniques des environs | ||
| 面積 | 核心地域 20632 ha 緩衝地域 62128 ha |
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| 登録区分 | 文化遺産 | ||
| 登録基準 | (4), (5) | ||
| 登録年 | 1993年 | ||
| 備考 | 2006年に現在の登録名に変更 | ||
| 公式サイト | ユネスコ本部(英語) | ||
| 地図 | |||
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| 使用方法・表示 | |||
座標: 北緯48度27分29秒 東経18度53分47秒 / 北緯48.45806度 東経18.89639度
バンスカー・シュチャヴニツァ(バンスカー・シュチャウニツァ:Banská Štiavnica, ドイツ語:Schemnitz シェムニッツ, ハンガリー語:Selmecbánya シェルメツバーニャ)は、スロヴァキアの古い鉱山都市である。2002年時点の人口は10600人である。1993年にユネスコの世界遺産に登録された。
歴史 [編集]
中世からハンガリー王国における金、銀の鉱山の町として、14世紀の地震の被害や、トルコとの戦いの前線の街であったことなどの歴史をもつが、鉱山の町として繁栄した。
1627年には火薬による採掘がはじめて行われ、1762年にはマリア・テレジアによってヨーロッパ初の鉱山学校がこの地に設立された。鉱業生産は18世紀の半ばに最盛期を迎え、1782年には4万人ほどの人口のハンガリー王国で3番目の都市となった。
19世紀の後半から鉱業生産は衰退を始めた。
第一次世界大戦後、チェコスロヴァキアがオーストリア・ハンガリー帝国から分離すると、鉱山学校もハンガリーのショプロンに移り、その歴史はハンガリーのミシュコルツ大学に引き継がれている。
登録基準 [編集]
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター[1]からの翻訳、引用である)。
- (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
- (5) ある文化(または複数の文化)を代表する伝統的集落、あるいは陸上ないし海上利用の際立った例。もしくは特に不可逆的な変化の中で存続が危ぶまれている人と環境の関わりあいの際立った例。
外部リンク [編集]
| 文化遺産 | |
|---|---|
| ヴルコリニェツ | バンスカー・シュチャヴニツァ | レヴォチャ、スピシュスキー城とその関連文化財 | バルデヨフ市街保護区 | カルパティア山脈地域のスロバキア側の木造教会群 | |
| 自然遺産 | |
| アグテレク・カルストとスロバキア・カルストの洞窟群(ハンガリーと共同)| カルパティア山脈のブナ原生林(ウクライナと共同) | |
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