ローマ帝国の国境線

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世界遺産 ローマ帝国の国境線
イギリスドイツ
ハドリアヌスの長城
ハドリアヌスの長城
英名 Frontiers of the Roman Empire
仏名 Frontières de l'Empire romain
面積 526.9 ha
(緩衝地域 5225.7 ha)
登録区分 文化遺産
登録基準 (2), (3), (4)
登録年 1987年
拡張年 2005年、2008年
公式サイト ユネスコ本部(英語)
地図
ローマ帝国の国境線の位置
使用方法表示

ローマ帝国の国境線(ローマていこくのこっきょうせん)は、ユネスコ世界遺産登録物件名である。ローマ帝国の繁栄と衰退を残す文化的景観が評価されて、1987年にイギリスハドリアヌスの長城が単独で登録された。その後、2005年にドイツリーメスを拡大登録した際に現在の名称となり、2008年にはイギリスのアントニヌスの長城も含まれることが決定した。

概要[編集]

ハドリアヌスの長城[編集]

ハドリアヌスの長城は、イングランド北部のスコットランドとの境界線近くにある長城で、1世紀後半に版図にブリタニアを組み込んだローマ帝国がケルト人のうち、ローマに服従していないピクト人など北方諸部族の進入を防ぐために築いた。皇帝ハドリアヌスが長城の建設を命じ、122年に工事が開始される。

ニューカッスル・アポン・タインからカーライルまでの118kmにも及んだ。壁の高さは4から5m、厚さ約3m。後の方で建設された部分は、約2.5mに狭くなっている。完成当初は、土塁であった。その後、石垣で補強されたと考えられている。約1.5kmの間隔で、監視所も設置されていた。

リーメス[編集]

復元されたリーメスの物見櫓

リーメスまたはリメス(Limes)は,ドイツライン川ドナウ川の間に残るローマ帝国時代の長城跡。リーメスの建設は、紀元前2世紀頃から始まり、目的としては、ゲルマン民族の侵入からライン川・マイン川流域の肥沃な土地と通商路を守るためであった。リーメスの遺構は、主に長城物見櫓に分けられる。

長城の総延長は約550kmで、東はドナウ川から西はライン川まで達する。長城は大きく分けて、上部ドイツ(Upper-Germanすなわちゲルマニア・スペリオル、約330km)とラエティア(Raetian、約220km)の2つの部分に分けられる。上部ドイツ部分は、ライン川とライン川の支流であるマイン川に沿って、土塁による長城と堀が設けられていた。堀は約8mの幅と約2.5mの深さを持っていた。また上部ドイツ部分には長城にそって約40の砦が築かれていた。ラエティア部分は、うち約167kmは高さ約3m、幅1.2mの石塁で築かれた。石塁は、付近から産出する石を使用していた。

物見櫓は長城の塁に沿って、およそ300mから800mの間隔で建てられた。現在、896箇所が確認され、うち260箇所は現在でも構造の一部が残る。櫓の構造は、土台が4mから8mほどの大きさの正方形をしており、その上に見晴台が築かれたと推定されている。

長城に沿って、大型のものは約60以上の砦跡が確認されている。大型の砦には1つあたり約100から1000人程度の守備隊が配置され、長城の警備および長城を通過する人々を管理する関所の役割を果たしたと考えられている。また20から30人の配置規模の偵察や監視を目的とした小さな砦も多数存在していた。

リーメスの砦の中で調査が行われているものの1つのザールブルク砦(Saalburg fort)は、上部ドイツの部分に属し、砦の初期は紀元前90年頃の建築と推定され、長方形の形をしており、面積は約0.7haであった。ザールブルク砦の発掘調査は、19世紀後半から始まった。1897年にドイツ皇帝ヴィルヘルム2世が、このザールブルク砦の再建を命じ、第一次世界大戦前に完成した。現在ではこの時に復元されたザールブルク砦が博物館として使用されている。

アントニヌスの長城[編集]

登録基準[編集]

この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。

  • (2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
  • (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
  • (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。