ステファノ・ガルゼッリ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
|
||||
|---|---|---|---|---|
| 個人情報 | ||||
| 本名 | Stefano Garzelli ステファノ・ガルゼッリ (ステファノ・ガルツェッリ) |
|||
| 生年月日 | 1973年7月16日(39歳) | |||
| 国籍 | ||||
| チーム情報 | ||||
| 所属 | アクア&サポーネ=カッフェ・モカンボ | |||
| 分野 | ロードレース | |||
| 役割 | 選手 | |||
| プロ所属チーム | ||||
|
1997–2000
2001–2002 2003–2004 2005–2006 2007– |
メルカトーネ・ウノ マペイ・クイックステップ ヴィーニ・カルディローラ リクイガス アクア&サポーネ=カッフェ・モカンボ |
|||
| 主要レース勝利 | ||||
|
ジロ・デ・イタリア ツール・ド・スイス (1998)ティレーノ〜アドリアティコ (2010) |
||||
| 最終更新日 2011年5月30日 |
||||
ステファノ・ガルゼッリ(Stefano Garzelli、1973年7月16日- )は、イタリア、ヴァレーゼ出身の自転車競技ロードレース選手。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] 1996年
- ピッコロ・ジロ・ディ・ロンバルディア優勝。
[編集] 1997年
- マルコ・パンターニ擁するメルカトーネ・ウノ=ビアンキと契約を結びプロ転向。
- パンターニのアシストとしての役割を果たす傍ら、同年のジロ・デ・イタリア(以下、ジロ)に出場し総合9位と健闘。
[編集] 1998年
[編集] 1999年
- ティレーノ〜アドリアティコ総合3位
- GP・ミゲル・インドゥライン優勝
- ツール・ド・フランスに初出場(総合32位)。
[編集] 2000年
- 第18ステージを制覇した他、第20ステージ終了後にマリア・ローザを獲得。最後はフランチェスコ・カーザグランデ、ジルベルト・シモーニとの競り合いを制して、同年のジロ総合優勝を果たす。
[編集] 2001年
- パオロ・ベッティーニ、オスカル・フレイレも在籍(ガルゼッリを加えてマペイのビッグスリーとも称された)しており、当時最強の自転車チームと評されていたマペイ・クイックステップに移籍した。
[編集] 2002年
- ジロにおいて、第2~第5ステージまでマリア・ローザを堅持したが、第9ステージ終了後にマペイチーム全体にドーピング疑惑が伝えられ、監督のジョルジョ・スクイツィが、利尿薬とプロベニシドの使用が発覚したという理由につき、ガルゼッリをレースから除外したことで一件落着させた。加えて同年5月21日、マペイはガルゼッリとの契約を打ち切った。
[編集] 2003年
- ヴィーニ・カルディローラ=サウニエル・ドゥバル(後のジェオックス・TMC)に移籍。
- ジロでは第7ステージを制し、ジルベルト・シモーニに次いで総合2位に入った。
[編集] 2004年
- ジロ 総合6位
[編集] 2005年
- リクイガス(後のリクイガス・キャノンデール)に移籍。
- ツール・ド・ロマンディでポイント賞を獲得
- トレ・ヴァッリ・ヴァレジーネ 優勝
[編集] 2006年
[編集] 2007年
- アクア&サポーネ=カッフェ・モカンボ(後のアクア & サポーネ)に移籍。
- ジロ第14、16ステージを勝利(総合16位)。
[編集] 2009年
- ティレーノ〜アドリアティコ総合2位
- ジロでは、山岳賞を獲得した他、タイムトライアルでも健闘が光り、総合7位に食い込んだ。
[編集] 2010年
- ティレーノ〜アドリアティコ第6ステージ終了時点で、総合首位のミケーレ・スカルポーニに2秒差の総合2位につけ、最終第7ステージを迎えたが、残り40km及び20km地点に設けられたボーナスタイムを利してスカルポーニと同タイムゴールを果たし全区間を終了。そして全区間通じ、区間順位成績がスカルポーニよりも上回ったことから逆転で総合優勝を果たし[1]、加えて同レースのポイント賞も獲得。
- ジロ・デ・イタリアでは、山岳タイムトライアルの第16ステージを制した。
[編集] 2011年
- ジロ・デ・イタリアで通算2度目の山岳賞を獲得し、アルベルト・コンタドールの主要3部門(総合、ポイント、山岳)独占を阻止した。
[編集] 脚注
- ^ ガルゼッリがタイム差ゼロで逆転の総合優勝!最終スプリントは若き天才ボアッソンが制す - CYCLINGTIME.com 2010年3月17日付記事
[編集] 外部リンク
- ステファノ・ガルゼッリ - サイクリングアーカイヴス (英語)