エフゲニー・ベルズィン
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| 個人情報 | ||||
| 本名 | Евгений Берзин エフゲニー・ベルズィン |
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| 生年月日 | 1970年6月6日(42歳) | |||
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| チーム情報 | ||||
| 所属 | 引退 | |||
| 分野 | ロードレース&トラックレース | |||
| 役割 | 選手 | |||
| プロ所属チーム | ||||
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1993
1994–1995 1996 1997 1998 1999 2000 |
メカイル・バッラン ゲヴィス・バッラン ゲヴィス・プレイバス バティック・デルモンテ ラ・フランセーズ・デ・ジュー アミーカ・チップス=コスタ・デ・アルメリア モービルヴェッタ・デザイン=ロッシン モービルヴェッタ・デザイン=フォルマッジ・トレティーニ |
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| 主要レース勝利 | ||||
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ジロ・デ・イタリア リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ 1994 |
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| 最終更新日 2010年1月7日 |
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エフゲニー・ベルズィン(Evgeni Berzin、1970年6月3日 - )は、ロシア、ヴィボルグ出身の元自転車競技選手。ジロ・デ・イタリアを1994年、ロシア国籍選手として初めて制覇した。
自転車競技雑誌等では、エフゲニー・ベルツィンと表記している例もみられる。ロシア語表記はЕвгений Берзинとなり、「з」の文字は、国際音声記号では『z』であることから、ベルツィンという表記は適当とは言いがたい。
経歴 [編集]
アマチュア時代は、1988年のジュニア世界自転車選手権の団体追い抜き優勝。1989年、1990年の団体追い抜き及び1990年の個人追い抜きと、トラックレース世界自転車選手権で3度マイヨ・アルカンシエルを手中にした。
1993年、メカイル・バッランと契約を結んで、プロロードレース選手に転向。
1994年、リエージュ〜バストーニュ〜リエージュを制覇。ジロ・デ・イタリアでは、マルコ・パンターニ(2位)、ミゲル・インドゥライン(3位)らを抑え、第4ステージよりマリア・ローザを手中にし、そのまま最後まで守り通して総合優勝(第4、8、18ステージも制覇)を果たした。また、国内選手権・個人タイムトライアルを優勝。
1995年のジロ・デ・イタリアでは、第21ステージを制し総合2位。エウスカル・ビシクレタ総合優勝。
1996年、ツール・ド・フランス第8ステージ制覇。2日間マイヨ・ジョーヌ堅持。ジロ・デ・イタリア第19ステージを制覇し、総合10位。
2000年、ジロ・デ・イタリア開幕直前のドーピング検査において、ヘマトクリット値が50%を超えたことから参加を拒まれた[1]。これが影響して、同年限りで現役を引退した。
脚注 [編集]
- ^ Berzin out of the Giro - サイクリングニュース2000年5月14日付記事
外部リンク [編集]
- エフゲニー・ベルズィン - サイクリングアーカイヴス (英語)