ジョバンニ・ブルネーロ

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ジョバンニ・ジュゼッペ・ブルネーロ(Giovanni Giuseppe Brunero。1898年3月15日-1934年11月23日)はイタリアサン・マウリーツィオ・カナヴェーゼ出身の名自転車競技選手。

経歴[編集]

1920年にプロ選手となり、同年、イタリアジュニアチャンピオンに輝く。また同年のジロ・ディ・ロンバルディアではアンリ・ペリシエに続く2位に入ったが、同胞のコスタンテ・ジラルデンゴガエターノ・ベローニには先着した。また、後に既にスター選手の地位を確立していたジラルデンゴ、ベローニに加え、1922年にプロ選手となったアルフレッド・ビンダとともにイタリア四天王を形成する[1]

1921年ジロ・デ・イタリア。第7ステージでジラルデンゴからマリアローザを奪ったブルネーロは、追撃してきたベローニを最後は41秒差抑えて初の総合優勝。翌1922年のジロでは追撃してくる選手がおらず圧勝。連覇を達成した。しかし3連覇をかけた1923年のジロでは、最後は一騎打ちとなったジラルデンゴに37秒差及ばず、惜しくも2位に終わる。だが1926年のジロでは、第7ステージでジラルデンゴからマリアローザを奪うと、最後は総合2位のビンダに15分28秒差をつける圧勝で3度目のジロを制覇した。

この他、1922年にミラノ〜サンレモ、1923年・1924年にジロ・ディ・ロンバルディアを制覇した。

脚注[編集]

  1. ^ この他、当時イタリア国籍の著名選手としてオッタビオ・ボテッキアツール・ド・フランスを1924年、1925年と連覇)もいたが、フランスのオートモトチームに所属していたことや、ジロでの実績がほとんどなかったこと、さらに社会主義者と見られたことに対して世間の批判を買っていたこともあり、当時ファシスト政権下だったイタリアでの評価は低かった

外部リンク[編集]