コシャリン
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| コシャリン (Koszalin) | |||
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| 位置 | |||
| 情報 | |||
| 県: | 西ポモージェ県 | ||
| 緯度: | 北緯 54°11'25 | ||
| 経度: | 東経 16°10'54 | ||
| 標高: | 32m | ||
| 面積: | 83.32 km² | ||
| 人口 - 合計 - 人口密度 |
107,376 人 1,288 人/km² |
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| 郵便番号: | 75-900, 75-902, 75-007, 75-016 | ||
| 市外局番: | 48 94 | ||
| 市長: | Mirosław Mikietyński | ||
| 公式サイト: | 市公式ウェブサイト | ||
コシャリン(ポーランド語:Koszalin)は、ポーランド共和国北西部の西ポモージェ県の都市。低ザクセン語でケスリーン(Köslin)とも。1998年までは県都であった。市街から約10km北にバルト海に面する海岸線がある。経済が発達しており、現在では郡から独立している群独立都市となっている。北ドイツ平原に位置し、市街の周りには農地が広がっている。
歴史 [編集]
宗教改革の間の1534年、ヨハネス・ブーゲンハーゲン(Johannes Bugenhagen)の影響により、街はルター派に属した。
1701年のプロイセン王国の成立後、街はその支配下となった。1718年の火災により大きな損害を受けたが、翌年再建された。第四次対仏大同盟の後、1807年フランス軍に占領された。ナポレオン戦争後、街はFürstenthum DistrictとRegierungsbezirk Cöslinの首都となった。Fürstenthum Districtは1872年9月1日に解体され、同年12月13日にCöslin Districtと置き換わった。
プロイセン王国によるドイツ統一の間の1871年、街はドイツ帝国の一部となった。1858年から1878年までの間、シュチェチンから街を通ってグダニスクまで鉄道が敷設された。1776年フリードリヒ2世によって設立された軍幼年学校が、1890年にChełmnoからこの街に移った。
1920年代のヴァイマル共和政の間、街の名前が"Cöslin"から"Köslin"に変更になった。
姉妹都市 [編集]
ドイツ ノイブランデンブルク
ドイツ ノイミュンスター
ドイツ ベルリン
デンマーク グラッドサクセ
フィンランド セイナヨキ
フランス ブールジュ
スウェーデン クリスチャンスタード
オランダ ルールモンド
ベラルーシ リダ
中華人民共和国 フーチョウ
外部リンク [編集]
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