シュチェチン
| シュチェチン Szczecin |
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| 座標: 北緯53度26分17秒 東経14度32分32秒 / 北緯53.43806度 東経14.54222度 | |||
| 国 | |||
| 県 | 西ポモージェ県 | ||
| 行政 | |||
| - 市長 | Piotr Krzystek | ||
| 面積 | |||
| - 計 | 300.53km2 (116mi2) | ||
| 標高 | 131m (430ft) | ||
| 人口 (2008年) | |||
| - 計 | 406,941人 | ||
| - 人口密度 | 1,355人/km² (3,509.4人/mi²) | ||
| 郵便番号 | 70-018 - 71-871 | ||
| 市外局番 | (+48) 91 | ||
| ナンバープレート | ZS | ||
| ウェブサイト | www.szczecin.pl | ||
シュチェチン(ポーランド語: Szczecin)は、ポーランドの都市で、西ポモージェ県の県都。ドイツ名はシュテッティン(ドイツ語: Stettin)。ポーランド北西部にあり、ドイツとの国境沿いに位置する。バルト海に面し、ポーランドではグダニスクに次ぐ第2の規模の港湾都市で機械工業などが盛んである。歴史的にプロイセンの影響下にあった時代が長い。
目次 |
歴史 [編集]
鉄器時代、この一帯で栄えていたラウジッツ文化において建設されたと思われる要塞があったことから、この時代あたりから定住が始まっていたと見られる。ポモージェ人の要塞は8世紀にオドラ川の浅瀬近くに建設された。
ポーランドのボレスワフ3世によって支配されキリスト教に改宗した頃には、すでにシュチェチンは1万人ほどの住民を抱え、商業の中心地として繁栄していた。1243年に自治権を与えられ、1630年頃までは、ポモージェ公が支配する地域の首都であった。ポモージェ公家が断絶したのち、シュチェチンは1720年までスウェーデンの支配下に置かれ、その後プロイセン王国に組みこまれ、1870年からはドイツの領土となった。ドイツ時代にはストゥヴァー社が自動車を生産していた。
第二次世界大戦後はふたたびポーランド領となり、ドイツ系の住民が大量に追放された( → 「ドイツ人追放」)。旧シュチェチン県の県都となり、主要な産業拠点とするべく工業化がすすめられた。シュチェチン市街は第二次世界大戦におけるドイツ軍(ドイツ国防軍)とソ連軍(赤軍)の戦闘でその65%が破壊されていた。特に歴史地区を含む市街中心部と港湾は100%破壊されていたが、戦後、残された資料をもとにポーランド市民の手によって正確に復元された。
また1946年3月のウィンストン・チャーチル英首相による「鉄のカーテン」演説で米ソ冷戦を象徴する街として有名となった。
1970年と1980年には大規模な反社会主義暴動が起こり、のちに生まれる「連帯」の活動へ大きな影響を与えた。
1999年からは西ポモージェ県の県都となっている。
地理 [編集]
ポーランドの北西端、ドイツとの国境沿いにある。オドラ川の両岸に市街が広がっており、それぞれ左岸地区、右岸地区として栄えている。市の北にはシュチェチン湾があり、オドラ川はここを経てバルト海に注ぐ。市の東端にはドンビェ湖がある。 オドラ川付近は鳥獣保護区域に指定されている。
経済 [編集]
シュチェチンには3つの造船会社(レモント・グリフ造船社、ポメラニア造船社、シュチェチン造船社)がある。そのうちシュチェチン造船社はポーランド最大の造船会社。シュチェチンは水産業が盛んで、また製鉄会社もある。街には国際空港のシュチェチン・ゴレニュフ空港と国際貿易港のシュチェチン港がある。シュチェチン港はポーランドで3番目に大きな港。また、食品加工会社のドロビメックス社、船会社のポーランド汽船社、建設資材メーカーのコムフォット社、ビールメーカーのボスマン社、医薬品製造のツェファルム社などといった大企業がシュチェチンを拠点としており、またIT系の新興企業群もみられる。
2010年現在、シュチェチン市内にはハイパーマーケットのカールフールが3店、Realが3店、テスコ1店、Auchan1店、電化製品安売り店 MEDIA MARKT,Saturnなどといった大型家電小売店がビジネスを展開している。また市内のショッピングセンターGALAXYには回転寿司(日本人経営)もオープンし、市民の生活に日本の食文化も浸透しつつある。シュチェチンはドイツが近いということもあって、生鮮食品や食品などを買いにくる近隣地域のドイツ人が目立つ。彼らドイツ人にとってシュチェチンは自宅から一番近い大都市なので、休日はよくシュチェチンにやってきて買い物したり食事やデートをしたりして過ごす。また彼らがヨーロッパの他の地域へ行くのにシュチェチンの空港や港が利用されている。ポーランド通貨はズウォティであるが、多くの小売店ではユーロで支払うことも出来る。近年は人口増加によりシュチェチン中心部の再開発が進み、だんだんと不動産価格が高くなった時期もあったが、2011年ごろから次第に下落している。
交通機関 [編集]
空路 [編集]
LOTポーランド航空(LOT Polish Airlines)の国内線と、ヨーロッパ格安航空のライアンエアー(アイルランド)、ジェットエアー(ポーランド)、ノーウィージャン・エアー・シャトル(ノルウェー)が就航する国際空港のシュチェチン-ゴレニュフ「連帯」記念空港(Port Lotniczy Szczecin-Goleniów im. NSZZ "Solidarność")があり、ワルシャワ、ロンドン、ダブリン、リヴァプール、オスロ、シャルム・エル・シェイク(エジプト)、フルガダ(エジプト)への便が就航している。
ベルリンのテーゲル空港からもアウトバーン(ドイツ側の呼称)とアウトストラーダ(ポーランド側の呼称)でおよそ170kmほどであり、1時間半ほどで来ることが出来る。
陸路 [編集]
鉄道 [編集]
ワルシャワ、ポズナン、グダンスク、ベルリン方面にはユーロシティー特急(EC)、インターシティー特急(IC)、地方特急(RE)、(日本のL特急に相当する)格安特急(TLK)が直通運転している。
自動車 [編集]
アウトストラーダ(ポーランドの高速道路の呼称)が通っており、ドイツに入るとアウトバーン(ドイツの高速道路の呼称)と接続している。ポーランドやドイツを含めたヨーロッパの各地からシュチェチンへの都市間バスが定期運行しており、遠くはアイルランドやスペインなどへも直通している。
海路 [編集]
シュチェチンと郊外のシフィノウイシチェの間の一帯はロストックを凌いで旧東ドイツと西部ポーランドを合わせた経済地域における最大の国際商業港を形成しており、シフィノウイシチェからスウェーデンのイースタッドとデンマークのコペンハーゲンへの定期カーフェリーが運航している。
シフィノウイシチェからシュチェチン中心部へ毎日定期運行している交通機関は鉄道(シフィノウイシチェ港駅-シュチェチン本駅間の普通列車、120分)、超高速水中翼船(シフィノウイシチェ港-シュチェチン港間のハイドロフォイル、75分)、郊外路線バス。
観光 [編集]
第二次世界大戦で徹底的に破壊された中世の街並みが戦後にポーランド市民の手によって再建され、現在の街の中心はすべてが旧市街といったおもむきで、オドラ川左岸にはオペラ座、国立劇場、博物館、商船大学などが立ち並ぶ。近くにはアンティークショップ、画廊、土産物店などで買い物が楽しめる。 また、地元のサーカークラブ、ポゴンにはもと浦和レッズの赤星貴文が所属しており活躍しているため、市内では有名な日本人となっている。
出身者 [編集]
- ヘルマン・グラスマン - 言語学者
- オスカー・ハマースタイン - オスカー・ハマースタイン2世の祖父
- エレン・シュヴィールス - 女優
- マルギット・ニュンケ - 女優、歌手
- カール・レーヴェ - 作曲家。移住した
- エカテリーナ2世- 1729年にこの地の領主の娘ゾフィー・アウグスタ・フレデリーケとして生まれ、1744年にロシアへ行くまでの15年間を過ごした。
- シモン・シェブチック - プロバスケットボール選手。ポーランド代表。
姉妹都市 [編集]
エスビャウ、デンマーク
ブレーマーハーフェン、ドイツ
グライスフェルト、ドイツ
ロストック、ドイツ
フリードリヒスハイン=クロイツベルク区、ベルリン、ドイツ
大連市、中国
キングストン・アポン・ハル、イングランド
クライペダ、リトアニア
リューベック、ドイツ
マルメ、スウェーデン
ムルマンスク、ロシア
セントルイス、アメリカ合衆国
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
- Niezwykły Szczecin(ポーランド語、ドイツ語) (写真が多数掲載)
- Photos of modern Szczecin
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