クリスティアン・キヴ
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| 名前 | ||||||
| 本名 | クリスティアン・エウジェン・キヴ | |||||
| ラテン文字 | Cristian CHIVU | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | ||||||
| 生年月日 | 1980年10月26日(32歳) | |||||
| 出身地 | レシツァ | |||||
| 身長 | 184cm | |||||
| 体重 | 81kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| 在籍チーム | ||||||
| ポジション | DF / MF | |||||
| 背番号 | 26 | |||||
| 利き足 | 左足 | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
| 1996-1998 1998-2000 2000-2003 2003-2007 2007- |
CSMレシツァ ウニヴェルシタテア・クライオヴァ アヤックス・アムステルダム ASローマ インテル・ミラノ |
23 (2) 32 (3) 107 (13) 85 (6) 89 (2) |
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| 代表歴2 | ||||||
| 1999-2011 | 75 (3) | |||||
| 1. 国内リーグ戦に限る。2011年5月22日現在。 2. 2010年11月17日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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クリスティアン・エウジェン・キヴ(Cristian Eugen Chivu、1980年10月26日 - )は、ルーマニア・レシツァ出身のサッカー選手。セリエAのインテル・ミラノ所属。ポジションはDF、MF。
目次 |
来歴[編集]
ルーマニアの南西部に位置するレシツァに生まれる。父親は地元のCSMレシツァでコーチを務めていた人でもあり、キヴ自身もCSMレシツァで競技生活をスタートさせる。自然が広がるレシツァで子供の頃はノルディックスキーも好んで親しんでいた[1]。
16歳で地元のクラブCSMレシツァでデビューした。ルーマニアのビッグクラブであるウニヴェルシタテア・クライオヴァを経て18歳6ヶ月でアヤックスへ移籍した。この頃、のちにチームメイトとなるズラタン・イブラヒモビッチやマクスウェル、ヴェスレイ・スナイデルといった選手達と共にプレーする。その後2003年に移籍金1800万ユーロでイタリアのASローマへ移籍。[2]入団直後からフリーキックなどで得点を重ね、目覚しい活躍を見せるもその後スランプが続いた。代表ではEURO2000での活躍が評価され「マルディーニの再来」との評価を得た。
2007年、インテル・ミラノをはじめレアル・マドリードやFCバルセロナなど複数のクラブが獲得に興味を示したが、7月1日にインテルへの移籍が決定した。インテルはキヴの獲得のために1300万ユーロの移籍金とマルコ・アンドレオッリの共同保有権をローマに譲渡した。[3]
インテルでは得意とするフリーキックは同じく名手のヴェスレイ・スナイデルに譲っているため、得点は少ないが、現在もセンターバックや左サイドバック、センターハーフをこなし、多くの試合に出ている。
2010年1月6日のACキエーヴォ・ヴェローナ戦でキエーヴォのキャプテンセルジオ・ペリッシエールと接触し、頭蓋骨を負傷。ヴェローナ市内で緊急手術を行った[2]。復帰後はヘッドギアを着用している(サッカーのフィールドプレーヤーでは初めてのケースと思われる。キヴ以前の着用者としてGKペトル・チェフ、Jリーグでの着用者としてGK金鎮鉉[4]やDF水本裕貴が知られる)。2011年にはASバーリ戦でマルコ・ロッシを殴ったとして4試合の出場停止を科された[5]。
2011年5月21日、インテルの公式サイトを通じてルーマニア代表からの引退を表明している[6]。
エピソード[編集]
ローマ時代にファンからつけられたあだ名は「スワロフスキー」。[7]世界的クリスタルアクセサリーメーカー、スワロフスキーのブランドネームであるが、試合中、キヴの光輝く左足でのプレーをクリスタルの輝きに喩えられたものである。
少年時代の憧れの選手はパウロ・ソウザ、模範にしている選手はパオロ・マルディーニ[8]。
父親のことを今でも慕い尊敬しているが、キヴが18歳のときに病に冒され死去[1]。
インテルではサイドバックで起用されることも多いが、キヴ本人はセンターバックが本職であると考えている[9]。
古典的なDFが淘汰されたのは古典的なFWが淘汰されたから、という持論を語っており、現代の守備に最も必要なのは先手をいかに多く打てるか、敵の攻め上がりに対していかに予測し即座に対処できるか、という考え方の必要性を説いている[8]。また現代のFWの代表格にして(キヴの現代FWの定義:敏捷でオフ・ザ・ボールの動きを多用する)自身が最も苦手とした選手にアンドリー・シェフチェンコの名を挙げている[8]。
所属クラブ[編集]
- 1996-1998
CSMレシツァ - 1998-2000
ウニヴェルシタテア・クライオヴァ - 2000-2003
アヤックス・アムステルダム - 2003-2007
ASローマ - 2007-
インテル・ミラノ
獲得タイトル[編集]
クラブ[編集]
アヤックス
- エールディヴィジ : 2001-02
- KNVBカップ : 2001-02
- ヨハン・クライフ・シャール : 2002
ローマ
- コッパ・イタリア : 2006-07
インテル
- セリエA : 2007-08, 2008-09, 2009-10
- イタリアスーパーカップ : 2008, 2010
- コッパ・イタリア : 2009-10
- UEFAチャンピオンズリーグ : 2009-10
個人[編集]
- マルコ・ファン・バステン賞 : 1999-2000
- エールディヴィジ年間最優秀選手 : 2002
- ルーマニア年間最優秀選手 : 2000, 2002
- UEFAベストイレブン : 2002
脚注[編集]
- ^ a b クリスティアン・キヴ「クリスティアン・キヴの「C'S DIARY」」 『WORLD SOCCER DIGEST No.279』 第14巻第22号、日本スポーツ企画出版社、2008年、76-77頁。雑誌 29893-11/20
- ^ a b “キブが骨折、戦線離脱” (日本語). uefa.com (2004年7月30日). 2009年2月1日閲覧。
- ^ “UPDATE 1-Soccer-Chivu joins Inter Milan after protracted talks” (英語). REUTERS UK (2007年7月27日). 2009年2月1日閲覧。
- ^ 2009年J2開幕当初のみ。
- ^ “サッカー=インテルのキブ、暴力行為で4試合の出場停止”. ロイター. (2011年2月5日) 2011年5月22日閲覧。
- ^ “キヴが代表引退を発表”. goal.com. (2011年5月22日) 2011年5月22日閲覧。
- ^ “Chivu's Roma pride” (英語). uefa.com (2006年11月3日). 2009年2月1日閲覧。
- ^ a b c クリスティアン・キヴ「クリスティアン・キヴの「C'S DIARY」」 『WORLD SOCCER DIGEST No.282』 第15巻第1号、日本スポーツ企画出版社、2009年、74-75頁。雑誌 29891-1/1
- ^ キヴ:「僕はサイドバックじゃない」 - Goal.com:
外部リンク[編集]
- Official website
- Profile of Cristian Chivu
- Player details at Sky Sports
- UEFA Profile
- Cristian Chivu - FIFA主催大会成績
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