オスリャービャ (大型揚陸艦)

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BDK-101
オスリャービャ
1994年6月9日に撮影されたBDK-101
艦歴
BDK-101
БДК-101
竣工 1981年12月19日 北造船所
所属 ソ連海軍太平洋艦隊
ロシア海軍太平洋艦隊
オスリャービャ
Ослябя
改称 2006年2月17日
所属 ロシア海軍太平洋艦隊
要目
艦種 大型揚陸艦
艦型 775号計画型
工場番号 775/14
排水量 基準排水量 3,450 t
満載排水量 4,080 t
全長 112.5 m
全幅 15 m
喫水 3.7 m
機関 ディーゼルエンジン2 基 10,500 馬力
推進 2推進
電源 ディーゼル発電機 1 基
発電量 500 kWt
速力 最大速度 17.8 kn
巡航速度 12 kn
航続距離 6,000 /19 kn
7,500 浬/14 kn
行動期間 30 日間
乗員 87 名
武装 個艦防空用艦対空ミサイル9K34「ストレラ-3M」連装発射機 2 基
57 mm連装両用AK-725 2 基(弾数1,100 発)
122 mm20連装ロケット発射システムA-215「グラートM」 2 基(弾数320 発)
機雷 90 個
レーダー 対空・対水上捜索照準レーダーMR-302「ループカ」 1 基
水上捜索照準レーダーMR-352「ポジチーフ」 1 基
射撃管制レーダー MR-103「バールス」(主砲用) 1 基
積載物搭載量 総量 480 t
貨物室寸法 95 x 4.5 x 4.5 m
兵士 225 名
戦車 13 両
搭載機 なし

オスリャービャ(ロシア語:Ослябяアスリャービャ)は、ロシア連邦大型揚陸艦(Большой десантный корабль)である。

艦名[編集]

艦名はクリコヴォの戦いにおけるロシアの英雄ロジオン・オスリャービャ」に因んだもので、歴代のロシア艦艇に使用された由緒ある艦名である。

ロジオン・オスリャービャはモスクワ大公国の保護下にあった至聖三者聖セルギイ大修道院修道士で、1380年に大公ドミートリイ・ドンスコイママイ汗率いるジョチ・ウルスの軍勢と対峙した際、アレクサンドル・ペレスヴェートとともにモスクワ軍に参加、「タタールのくびき」からの解放の契機となったこの戦いにおいて大きなる武功を挙げた。ロシアでは伝統的にオスリャービャとペレスヴェートの名を艦船名に用いており、大型揚陸艦オスリャービャの姉妹艦もペレスヴェートと命名されている。歴代の艦の中では、ともに日露戦争に参加した戦艦の名として知られている。

艦歴[編集]

オスリャービャは、ポーランド人民共和国で開発された775号計画型大型揚陸艦の14番艦BDK-101(БДК-101エームデーカー・ストー・アヂーン)として、グダニスクの「ヴェステルプラッテの英雄記念」北造船所(現・株式会社北造船所」)で建造された。工場番号は、No.775/14であった。1981年12月19日に竣工すると、ソ連海軍に引き渡され太平洋艦隊に配備された。

1985年から1986年にかけて、また1990年から1990年にかけての期間、BDK-101は軍事任務を帯びてインド洋航海に赴いた。1986年の任務では、イエメン紛争の勃発に伴い、同国からソ連市民を救出するため南イエメンアデンに赴いた。エチオピア・エリトリア国境紛争に関連する1991年の任務では、エチオピアノクラからソ連市民を救出した。

1994年6月10日に撮影されたBDK-101

その年末にソ連は崩壊し、BDK-101は所属をロシア海軍に移すこととなった。その後、BDK-101は1996年1997年1999年カムチャツカ半島で艦隊内での物資輸送に用いられた。1999年末には、ヴラジヴォストークダリザヴォートにてオーバーホールを受けた。

2006年2月17日には、艦名はオスリャービャと改めた。なお、僚艦BDK-11もこのときペレスヴェートに艦名を改めている。

2021年11月28日には、ナヌチュカ型コルベットと共に宗谷岬西140kmを航行するのを、海上自衛隊第2航空群P-3C哨戒機が確認した[1]

出典[編集]

  1. ^ “(お知らせ)ロシア海軍艦艇の動向について”. 統合幕僚監部. (2021年11月30日). https://www.mod.go.jp/js/Press/press2021/press_pdf/p20211130_02.pdf 2021年12月18日閲覧。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]