電山博保

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電山 博保
基礎情報
四股名 吉野 → 右肩上り → 右肩上
→ 吉野 → 電山
本名 吉野 博保
生年月日 (1988-06-08) 1988年6月8日(35歳)
出身 山口県宇部市
身長 175.5cm
体重 144.8kg
BMI 47.0
所属部屋 大嶽部屋
成績
現在の番付 引退
最高位 東幕下29枚目
生涯戦歴 388勝386敗10休(113場所)
データ
初土俵 2004年3月場所
引退 2023年3月場所
備考
2023年3月29日現在

電山 博保(でんざん ひろやす、1988年6月8日 - )は、山口県宇部市出身で大嶽部屋に所属した元大相撲力士。本名は吉野 博保(よしの ひろやす)。身長175.5cm、体重144.8kg、血液型はA型、最高位は東幕下29枚目(2012年9月場所)。かつて右肩上り 博保(みぎかたあがり ひろやす)、右肩上 博保(読み同じ)の珍名で知られた力士である。

来歴[編集]

宇部市立上宇部中学校3年次にスカウトを受けたため大嶽部屋に入門し、2004年3月場所で初土俵を踏んだ。同期入門には共に幕下15枚目格付出の大岩戸高見藤のほか、前相撲から取った豊真将木村山磋牙司里山白乃波出羽鳳らがいる。この場所取った前相撲は負けが込み、3番出世であった。初めて番付に名前が載った翌5月場所こそ勝ち越したが、それ以降は序二段から序ノ口で一進一退が続き、2007年1月場所で初めて三段目に上がるまで5年を要した。三段目昇進以降は三段目の地位に定着し、2008年9月場所では幕下に昇進。しかし幕下の壁にぶつかり、しばらくは幕下と三段目を行き来することとなる。

2009年7月場所から、それまで本名のままとしていた四股名を、師匠の大嶽親方(元関脇・貴闘力)が「全体が暗いのでみんなが幸せになれるように」との思いを込めて名づけた右肩上りに改名した(もともと当時の大嶽親方は、珍名をよく力士に名づける傾向にあった。この四股名について大嶽親方は「力士としては大成しないと思ったので、引退後に営業の仕事などをするときに有利になるように」という思いで付けた、と語っている)。この珍名には新四股名発表と同時に世間からの注目を浴びることとなる。しかし改名後は2場所続けて負け越したため、験を直すため同年11月場所から読みはそのまま四股名を右肩上とした。この再改名場所では4場所ぶりの勝ち越しを決め、それ以降順調に番付を戻し続けた。2011年1月場所では久々の自己最高位更新を決め、しかもその場所を勝ち越している。以降はしばらく幕下の番付を維持し続けていた。しかし、2012年3月場所では幕下下位で負け越し、翌5月場所で三段目へ陥落する事となってしまった。

同年7月場所は西三段目2枚目で4連勝し、優勝争いにも加わっていたが、5番相撲で幕下の千昇に敗れ、1敗。この場所は三段目優勝を逃すこととなったが、翌9月場所は自己最高位を更新して東幕下29枚目。2015年1月場所から「もう珍四股名ではなくて実力で知られるようになろう」と本人が思い立ったことで四股名を一旦本名に戻し、5月場所からは電山に再改名した。2023年3月場所限りで引退[1]

略歴[編集]

  • 初土俵:2004年3月場所
  • 序ノ口:2004年5月場所
  • 序二段:2004年7月場所
  • 三段目:2007年1月場所
  • 幕下:2008年9月場所
  • 引退:2023年3月場所

主な成績[編集]

2023年3月場所終了現在

  • 通算成績:388勝386敗10休(113場所)
電山 博保
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
2004年
(平成16年)
x (前相撲) 西序ノ口39枚目
4–3 
西序二段133枚目
3–4 
西序ノ口11枚目
3–4 
東序ノ口15枚目
2–5 
2005年
(平成17年)
東序ノ口23枚目
5–2 
東序二段85枚目
4–3 
西序二段58枚目
3–4 
西序二段76枚目
5–2 
西序二段37枚目
4–3 
東序二段15枚目
2–5 
2006年
(平成18年)
東序二段49枚目
4–3 
東序二段25枚目
2–5 
西序二段56枚目
3–4 
西序二段82枚目
5–2 
東序二段38枚目
4–3 
東序二段14枚目
5–2 
2007年
(平成19年)
東三段目80枚目
4–3 
西三段目60枚目
5–2 
東三段目30枚目
2–5 
東三段目52枚目
6–1 
東三段目2枚目
2–5 
東三段目23枚目
3–4 
2008年
(平成20年)
東三段目39枚目
3–4 
東三段目50枚目
5–2 
西三段目22枚目
4–3 
西三段目9枚目
4–3 
東幕下59枚目
1–6 
東三段目30枚目
6–1 
2009年
(平成21年)
東幕下48枚目
3–4 
西三段目2枚目
4–3 
西幕下53枚目
3–4 
西三段目3枚目
3–4 
西三段目19枚目
3–4 
東三段目34枚目
5–2 
2010年
(平成22年)
西三段目14枚目
3–4 
東三段目28枚目
4–3 
東三段目16枚目
4–3 
東三段目3枚目
3–4 
東三段目10枚目
4–3 
東幕下59枚目
5–2 
2011年
(平成23年)
西幕下44枚目
4–3 
八百長問題
により中止
東幕下38枚目
3–4 
西幕下39枚目
4–3 
東幕下31枚目
3–4 
東幕下38枚目
3–4 
2012年
(平成24年)
東幕下44枚目
3–4 
東幕下52枚目
2–5 
西三段目13枚目
4–3 
西三段目2枚目
6–1 
東幕下29枚目
2–5 
東幕下46枚目
3–4 
2013年
(平成25年)
東幕下55枚目
3–4 
東三段目3枚目
6–1 
東幕下30枚目
3–4 
西幕下37枚目
3–4 
西幕下47枚目
3–4 
東三段目筆頭
3–4 
2014年
(平成26年)
東三段目11枚目
5–2 
東幕下52枚目
4–3 
東幕下44枚目
2–5 
西三段目4枚目
4–3 
西幕下57枚目
3–4 
西三段目6枚目
4–3 
2015年
(平成27年)
西幕下56枚目
4–3 
東幕下47枚目
3–4 
西幕下57枚目
3–4 
東三段目8枚目
3–4 
西三段目24枚目
4–3 
東三段目11枚目
4–3 
2016年
(平成28年)
東幕下60枚目
1–6 
東三段目32枚目
6–1 
東幕下49枚目
2–5 
東三段目11枚目
5–2 
東幕下50枚目
1–6 
東三段目21枚目
4–3 
2017年
(平成29年)
東三段目10枚目
2–3–2 
東三段目40枚目
3–4 
東三段目61枚目
5–2 
西三段目28枚目
3–4 
東三段目51枚目
3–4 
西三段目64枚目
6–1 
2018年
(平成30年)
西三段目9枚目
1–6 
東三段目44枚目
4–3 
西三段目28枚目
4–3 
東三段目18枚目
4–3 
西三段目8枚目
3–4 
西三段目17枚目
3–4 
2019年
(平成31年
/令和元年)
西三段目28枚目
2–5 
東三段目51枚目
3–4 
東三段目68枚目
3–4 
東三段目88枚目
5–2 
西三段目53枚目
5–2 
東三段目24枚目
2–5 
2020年
(令和2年)
西三段目52枚目
3–4 
東三段目65枚目
3–4 
感染症拡大
により中止
東三段目83枚目
2–5 
西三段目99枚目
3–4 
西序二段17枚目
2–5 
2021年
(令和3年)
東序二段53枚目
5–2 
西序二段12枚目
5–2 
東三段目81枚目
3–4 
西三段目95枚目
5–2 
西三段目59枚目
5–2 
西三段目26枚目
2–5 
2022年
(令和4年)
西三段目49枚目
0–3–4 
西三段目99枚目
4–3 
西三段目79枚目
3–4 
東序二段筆頭
3–4 
東序二段21枚目
4–3 
東序二段筆頭
3–4 
2023年
(令和5年)
東序二段33枚目
2–1–4 
西序二段62枚目
引退
3–4–0
x x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴[編集]

  • 吉野 博保(よしの ひろやす) 2004年3月場所 - 2009年5月場所
  • 右肩上り 博保(みぎかたあがり ひろやす) 2009年7月場所 - 2009年9月場所
  • 右肩上 博保(みぎかたあがり ひろやす) 2009年11月場所 - 2014年11月場所
  • 吉野 博保(よしの ひろやす) 2015年1月場所 - 2015年3月場所
  • 電山 博保(でんざん ひろやす) 2015年5月場所 - 2023年3月場所

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ モンゴル出身の元前頭・鏡桜が引退 時虎、透輝の里ら8人 夏場所番付編成会議」『日刊スポーツ』、2023年3月29日。2023年3月29日閲覧。

参考資料[編集]

  • 2009年6月29日付読売新聞夕刊紙面

外部リンク[編集]