「千代保稲荷神社」の版間の差分
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[[ファイル:Chiyoho Inari Shrine Nagoya Branch.jpg|300px|thumb|right|千種区[[園山町]]にある名古屋支所]] |
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* [[名古屋市]][[千種区]]に[[1952年]](昭和27年)創建の名古屋支所がある。 |
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2021年1月3日 (日) 01:45時点における版
千代保稲荷神社 | |
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拝殿(2006年5月) | |
所在地 | 岐阜県海津市平田町三郷1980 |
位置 | 北緯35度15分48.7秒 東経136度38分47.8秒 / 北緯35.263528度 東経136.646611度座標: 北緯35度15分48.7秒 東経136度38分47.8秒 / 北緯35.263528度 東経136.646611度 |
主祭神 | 大祖大神、稲荷大神、祖神 |
創建 | 平安時代 |
千代保稲荷神社(ちよほいなりじんじゃ)は、岐阜県海津市平田町三郷1980にある稲荷神社である。地元の岐阜県西濃地方などではお千代保稲荷(おちょぼいなり)と呼ばれることが多く、通称「おちょぼさん」として親しまれている。
地元では京都の伏見稲荷、愛知の豊川稲荷とともに、日本三大稲荷の一つともいわれることもあるが[1]、神社側では否定している[2]。
毎月月末の日の夜から翌日1日の明け方にかけ、夜通しで"
由来
平安時代、源八幡太郎義家の六男の義隆が分家する際、森の姓をもらいうけ、義家より「先祖の御霊を千代に保て」と祖神と共に宝剣と義家の肖像画を受け賜わったのが始まりと伝えられる。千代保稲荷神社の名も、この言葉からきている。
後に室町時代の文明年間(1469年 - 1486年)、子孫の森八海がこの地に祖神を祀ったのが開祖となり、現在は19代目という。
特徴
祭神は大祖大神、稲荷大神、祖神。
商売繁盛、縁結び、合格祈願などにご利益がある。伏見稲荷や豊川稲荷と比べるとかなり小規模だが、年間250万人が参拝している。特に正月三ヶ日や月末月始の月並祭、15日は大変混雑する。商売繁盛の神社という特色上、同じ西濃地方の南宮大社などに比べ、税理士などの専門職も含め自営業者の参拝が多い。
「先祖の御霊を千代に保て」という教えより、現在でも境内ではお札やお守り等は一切出していない。ただし角柱形の御神籤箱によるおみくじは置かれている。お供えとしては、稲藁で結んだ油揚げと蝋燭が使用される。
門前町
約150店が軒を連ねる。境内ではお札やお守り等は一切出していないため、この門前町には縁起物を扱う店が多い。また、名物としては草餅、川魚料理(鰻・鯰・モロコの甘露煮・鮒味噌など)、串カツと土手煮、漬物等がある。かつては大豊泰昭(元中日他野球選手)の店もあり、晩年を過ごした場所でもあった。
特に串カツとどて串は有名で、玉家など多くの店が軒を連ねている。 客は軒先で立ったまま揚げたての串カツを自由に摘んで、どて串を煮込む鍋の味噌仕立ての煮汁に各自が漬け入れて食べる独特の光景が見られる。 土日や祝祭日には、これらの店はいずれも大変な活況を見せており、千代保稲荷名物として非常に有名である。
交通
道路
名神高速道路大垣インターチェンジより南東方向へ車で約15分。
バス
お千代保稲荷停留所下車
かつては、名鉄大須駅より岐阜乗合自動車おちょぼ稲荷線が運行されていた。南口大鳥居東側に須脇案内所とバスターミナルがあった。