「アーヌンド・ヤーコブ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Triesemir (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
編集の要約なし
15行目: 15行目:
|宗教=[[キリスト教]]ローマ[[カトリック]]
|宗教=[[キリスト教]]ローマ[[カトリック]]
}}
}}
'''アーヌンド・ヤーコブ'''([[スウェーデン語]]:Arnund Jacob,[[1008年]][[1050年]])は、スウェーデン王(在位:1022年-1050年)。
'''アーヌンド・ヤーコブ'''([[スウェーデン語]]:Arnund Jacob,[[1008年]] - [[1050年]])は、スウェーデン王(在位:1022年-1050年)。


== 生涯 ==
== 生涯 ==
23行目: 23行目:


=== ヘルゲアの戦い ===
=== ヘルゲアの戦い ===
1026年スウェーデンのアップランドまたはスコーネのヘルゲ川でデンマーク・イングランド軍600隻対するスウェーデンノルウェー連合軍は500隻で海戦が行われたが、結果はスウェーデンノルウェー連合軍の敗北で終わり,オーラヴ2世の力は弱体化して1028年にクヌーズによって王位を追われることとなる。
1026年スウェーデンのアップランドまたはスコーネのヘルゲ川でデンマーク・イングランド軍600隻対するスウェーデンノルウェー連合軍は500隻で海戦が行われたが、結果はスウェーデンノルウェー連合軍の敗北で終わり,オーラヴ2世の力は弱体化して1028年にクヌーズによって王位を追われることとなる。


=== 後継者問題 ===
=== 後継者問題 ===
アーヌンドは[[ハーコン・シグルザルソン|ホーコン・シグルツソン]]の孫娘ラグンヒルドと結婚したが人の間に子はなかった。そしてアーヌンドは子を残さず1050年に死んだ。彼の死後王位は庶兄にあたる[[エームンド (スウェーデン王)|エームンド]]が継いだ。
アーヌンドは[[ハーコン・シグルザルソン|ホーコン・シグルツソン]]の孫娘ラグンヒルドと結婚したが、2人の間に子はなかった。そしてアーヌンドは子を残さず1050年に死んだ。死後王位は庶兄にあたる[[エームンド (スウェーデン王)|エームンド]]が継いだ。


== 注意事項と参考文献 ==
== 注と参考文献 ==
{{Reflist}}
{{Reflist}}{{先代次代|[[スウェーデン王]]|1022年-1050年|[[オーロフ・シェートコヌング(スウェーデン王)|オーロフ・シェートコヌング]]|[[エームンド(スウェーデン王)|エームンド]]}}{{スウェーデン王}}


{{先代次代|[[スウェーデン王]]|1022年 - 1050年|[[オーロフ・シェートコヌング(スウェーデン王)|オーロフ・シェートコヌング]]|[[エームンド(スウェーデン王)|エームンド]]}}
{{デフォルトソート:やあこふ}}
{{スウェーデン王}}


{{デフォルトソート:ああぬんと やあこふ}}
[[Category:1050年没]]
[[Category:スウェーデンの君主]]
[[Category:ユングリング家]]
[[Category:11世紀生]]
[[Category:11世紀生]]
[[Category:スウェーデン王室]]
[[Category:1050年没]]

2020年4月16日 (木) 15:45時点における版

アーヌンド・ヤーコブ
arnund・yorcob
スウェーデン王
在位 1022年 - 1150年

出生 1008年 - 1050年
死去 1050年
配偶者 ラグンヒルド
家名 マンショ家
王朝 ユングリング朝
父親 オーロフ
母親 エストリッド
宗教 キリスト教ローマカトリック
テンプレートを表示

アーヌンド・ヤーコブスウェーデン語:Arnund Jacob,1008年 - 1050年)は、スウェーデン王(在位:1022年-1050年)。

生涯

アーヌンド・ヤーコブはスウェーデンで生まれた。父はオーロフ・シェートコヌング、母はエストリッド。

父の死により王位を継いだが治世前半は庶兄による反乱の鎮圧に追われていたという。成人すると親政を開始した。そんな中、1026年にデンマークイングランド王クヌーズ2世によってノルウェー王位を追われかけていたオーラヴ2世がスウェーデンに同盟を持ち掛けてきた。そして王位を固めるため援軍を要請してきた。スウェーデンはデンマークと対立していたがアーヌンドの臣下はクヌーズに戦いを挑んでも負けるだけと思い反対し。だがアーヌンドはこれをクヌーズの北海帝国を打ち破る機会とみてクヌーズと戦うことを決意した。

ヘルゲアの戦い

1026年スウェーデンのアップランドまたはスコーネのヘルゲ川でデンマーク・イングランド軍600隻対するスウェーデン・ノルウェー連合軍は500隻で海戦が行われたが、結果はスウェーデン・ノルウェー連合軍の敗北で終わり,オーラヴ2世の力は弱体化して1028年にクヌーズによって王位を追われることとなる。

後継者問題

アーヌンドはホーコン・シグルツソンの孫娘ラグンヒルドと結婚したが、2人の間に子はなかった。そしてアーヌンドは子を残さず1050年に死んだ。死後、王位は庶兄にあたるエームンドが継いだ。

脚注と参考文献

先代
オーロフ・シェートコヌング
スウェーデン王
1022年 - 1050年
次代
エームンド