クリスチャン1世 (デンマーク王)
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クリスチャン1世 Christian 1. | |
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デンマーク国王 ノルウェー国王 スウェーデン国王 | |
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在位 |
デンマーク王:1448年 - 1481年 ノルウェー王:1450年 - 1481年 スウェーデン王:1457年 - 1464年 |
別号 |
シュレースヴィヒ公:1459年 - 1481年 ホルシュタイン公:1474年 - 1481年 |
出生 |
1426年2月 神聖ローマ帝国 オルデンブルク伯領、オルデンブルク |
死去 |
1481年5月21日(55歳没) デンマーク、コペンハーゲン |
埋葬 | デンマーク、ロスキレ大聖堂 |
配偶者 | ドロテア・フォン・ブランデンブルク |
子女 |
オラフ クヌーズ ハンス マルグレーテ フレゼリク1世 |
家名 | オルデンブルク家 |
王朝 | オルデンブルク朝 |
父親 | オルデンブルク伯ディートリヒ |
母親 | ハイルヴィヒ・フォン・ホルシュタイン |
クリスチャン1世(Christian I, 1426年2月 - 1481年5月21日)は、カルマル同盟時代のデンマーク王(在位:1448年 - 1481年)、ノルウェー王(在位:1450年 - 1481年)、スウェーデン王(在位:1457年 - 1464年)。オルデンブルク朝の祖。
概要
[編集]父はオルデンブルク伯ディートリヒ、母はホルシュタイン伯ゲルハルト6世の娘ハイルヴィヒ。1459年からはシュレースヴィヒ公、1474年からはホルシュタイン公を兼ねた。母方を通じてデンマーク王エーリク5世の子孫であったため、デンマーク王位の継承者に選ばれた。
先代の王クリストファ・ア・バイエルン(クリストファ3世)の宰相カール・クヌートソンが反乱を起こし、勝手にスウェーデン・ノルウェーの王に即位した為、カールを打ち破って王座を奪った。しかし、カールはその後もスウェーデン王を僭称、1470年にカールが死去、クリスチャン1世の長男ハンスがスウェーデン王に即位するのは1497年までかかる事になる。
クリストファ・ア・バイエルンの未亡人ドロテア(ブランデンブルク=クルムバッハ辺境伯ヨハン(錬金術伯)の娘)と1449年に結婚し、5子をもうけた。
- オラフ(1450年 - 1451年)
- クヌーズ(1451年 - 1455年)
- ハンス(1455年 - 1513年) - デンマーク、ノルウェー、スウェーデンの王
- マルグレーテ(1456年 - 1486年) - スコットランド王ジェームズ3世妃
- フレゼリク1世(1471年 - 1533年) - デンマーク、ノルウェーの王
その他
[編集]- イギリス王室のうち、エリザベス2世とフィリップ王配の子孫(マウントバッテン=ウィンザー家)の男系血統の始祖にあたる人物。
脚注
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