ポメラニア家
ポメラニア家(ドイツ語:Haus Pommern, ポーランド語:Dynastia książąt pomorskich)は、グライフ家(ドイツ語:Greifen)・グリフ家(ポーランド語:Gryfici)ともいわれ[1]、12世紀から1637年までポメラニア公国を領した貴族の家系。グライフもしくはグリフの名は15世紀以降に同家で用いられるようになったが[2]、公家の紋章の図柄グリフィンから採られた名である。ヴァルティスラフ1世(1091年頃 – 1135年8月9日)が、最初のポメラニア公国の領主であり、公家の始祖である。最も有名なのはエリクで、1397年にカルマル同盟の王となりデンマーク、スウェーデン、ノルウェーを統治した。最後のポメラニア公はボギスラフ14世で30年戦争の最中に死去し、その死によりポメラニアはブランデンブルク=プロイセンとスウェーデンの間で分割されることとなった。ボギスラフ13世の娘クロイ公夫人アンナが1660年に死去し、同家は断絶した。
家名[編集]
この家は、領地の名にちなんだポメラニア(ポンメルン・ポモージェ)と、12世紀後半以降に用いられた紋章の図柄にちなんだグリフィン(グライフ・グリフ)の両方の家名で知られている。グリフィンが用いられた最初の確認できる例はカジミェシュ2世の紋章の紋章においてであり、盾にこの想像上の動物が描かれており、1194年の文書に見られる[3][4]。ポメラニアの名はスラヴ語のpo moreからきており、海沿いの地を意味する[5]。
起源[編集]
この家系の起源は明らかでないが、スラヴ系貴族もしくはポーランドのピャスト家が起源とされることが多い[6][7]。中世のポーランドの年代記作者ヤン・ドゥウゴシュは、小ポーランドといわれる南ポーランド出身のポーランド貴族シュフィエボジツェ家に結びつけているが、シュフィエボジツェ家もまた紋章にグリフィンを用いており、ピャスト家の分家とみられている。いずれにせよ、年代記作者ガル・アノニムは「ポーランド年代記(Gesta principum Polonorum)」の中で、ポメラニア家を同時代のポーランド大公ボレスワフ3世クシヴォウスティの「近しいいとこ(close cousins)」とし、ピャスト家との関係を述べている。
17世紀には、この家はGryphusもしくはBaltusといわれるソルブ人の伝承中の伝説的人物を始祖とするようになった[8]。
この家出身で確認できる最初の人物はヴァルティスラフ1世とラティボル1世の兄弟である。ヴァルティスラフが1630年までポメラニア公であった家系の先祖とみられている。ラティボルは同家のラティボル系の先祖とみられ、この家系は断絶するまでスワブノ=スウプスクを支配し、後にこの地はポンメルン公国に吸収された。また、スヴァンティボル系で最初に確認できる人物はポメラニアの城主として知られるヴァルティスラフ(2世)である。
系図[編集]
スウァトポルク | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヴァルティスラフ1世 | ラティボル1世 | プリブィスラヴァ (ヴォルィーニ公ヤロスラフもしくはキエフ大公ヤロスラフ2世娘) | スヴァンティボル | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ボグスワフ1世 | アナスタシア (ポーランド大公ミェシュコ3世娘) | カジミエシュ1世 | ラティボル系 | スヴァンティボル系 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ボグスワフ2世 | ミロスワヴァ (ポメレリア総督ムシチュイ1世娘) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
バルニム1世 | メヒティルト (ブランデンブルク辺境伯オットー3世娘) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ボグスワフ4世 ヴォルガスト公 | オットー1世 シュチェチン公 | メクレンブルク家 | フォルクング家 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヴァルティスラフ4世 | エウフィーミア =デンマーク王クリストファ2世 | シュチェチン公家 (1464年断絶) | アルブレヒト2世 シュヴェリーン公 | エウフェミア (スウェーデン王マグヌス4世妹) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
エルジュビェタ (ポーランド王カジミェシュ3世娘) | ボグスワフ5世 | アーデルハイト (ブラウンシュヴァイク=グルベンハーゲン公エルンスト1世娘) | インゲボー (デンマーク王ヴァルデマー4世娘) | ハインリヒ3世 メクレンブルク公 | バルニム4世 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
エリーザベト =皇帝カール4世 | カジミェシュ4世 | ヴァルティスラフ7世 | マリア | ボグスワフ8世 | マルガレーテ =オーストリア公エルンスト | ヴァルティスラフ6世 バルト公 | ボグスワフ6世 ヴォルガスト公 | ユッタ (ザクセン=ラウエンブルク公エーリヒ2世娘) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
エーリク7世 デンマーク王 | カタリーナ・ゾフィー | ヨハン プファルツ=ノイマルクト公 | ボグスワフ9世 | バルニム6世 | ヴァルティスラフ8世 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
クリストファ3世 デンマーク王 | ヴァルティスラフ9世 | バルニム8世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
エーリヒ2世 | ヴァルティスラフ10世 | エリーザベト (ブランデンブルク=クルムバッハ辺境伯ヨハン娘) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
マルガレーテ (ブランデンブルク選帝侯フリードリヒ2世娘) | ボグスワフ10世 | アンナ (ポーランド王カジミェシュ4世娘) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アマーリエ (プファルツ選帝侯フィリップ娘) | ゲオルク1世 ヴォルガスト公 | マルガレーテ (ブランデンブルク選帝侯ヨアヒム1世娘) | バルニム9世 シュチェチン公 | ゾフィー =デンマーク王フレゼリク1世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フィリップ1世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
エルトムーテ (ブランデンブルク選帝侯ヨハン・ゲオルク娘) | ヤン・フレデリク | ボグスワフ13世 | アンナ (シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク公ハンス娘) | エルンスト・ルートヴィヒ | ゾフィー・ヘートヴィヒ (ヴォルフェンビュッテル公ユリウス娘) | バルニム10世 | アンナ・マリア (ブランデンブルク選帝侯ヨハン・ゲオルク娘) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ゾフィー (シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク公ハンス娘) | フィリップ2世 | フランツ | ゾフィー (ザクセン選帝侯クリスティアン1世娘) | ボグスワフ14世 | エリーザベト (シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク公ハンス娘) | フィリップ・ユリウス | アグネス (ブランデンブルク選帝侯ヨハン・ゲオルク娘) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
出典[編集]
- ^ F. L. Carsten or. Origins of Prussia. Clarendon Press. 1954.
- ^ Werner Buchholz, Pommern, Siedler, 1999, p.38
- ^ Werner Buchholz, Pommern, Siedler, 1999, p.37
- ^ Kyra T. Inachin, Die Geschichte Pommerns, Hinstorff Rostock, 2008, p.18
- ^ Der Name Pommern (po more) ist slawischer Herkunft und bedeutet so viel wie „Land am Meer“. (ドイツ語: Pommersches Landesmuseum)
- ^ A. Małecki, Studya heraldyczne [Heraldic Studies], vol. I, Lwów 1890, pp. 268-285; M. L. Wójcik, Ród Gryfitów do końca XIII wieku. Pochodzenie — genealogia — rozsiedlenie, Historia CVII, Wrocław 1993, p. 39.
- ^ Rodowód książąt pomorskich Edward Rymar Książnica Pomorska, 2005, page 53
- ^ M. L. Wójcik, Ród Gryfitów do końca XIII wieku. Pochodzenie — genealogia — rozsiedlenie [Griffin Dynasty Till the End of the 13th Century. Roots- Genealogy - Location], Historia CVII, Wrocław 1993
参考文献[編集]
- Edward Rymar: Rodowód książąt pomorskich, Szczecin 1995.
- Martin Wehrmann: Genealogie des pommerschen Fürstenhauses. Veröffentlichungen the landesgeschichtlichen Forschungsstelle für Pommern, Reihe 1, Bd. 5. Leon Saunier, Stettin 1937.
- Martin Wehrmann: Geschichte von Pommern. Weltbild Verlag 1992, Reprint der Ausgaben von 1919 und 1921, ISBN 3-89350-112-6
- Udo Madsen: Die Greifen - Das herzogliche Geschlecht von Pommern
- 下津清太郎 編 『世界帝王系図集 増補版』 近藤出版社、1982年
- Jiří Louda, Michael Maclagan, Lines of Succession, Little,Brown & Company, 1981.