ボギスラフ5世 (ポメラニア公)

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ボギスラフ5世
Bogislaw V.
ポメラニア公
ボギスラフ5世と2人の妃
在位 ポメラニア=ヴォルガスト公:1326年 - 1368年
ポメラニア=シュトルプ公:1368年 - 1374年

出生 1318年ごろ
ポメラニア公国スウプスク
死去 1374年4月23日
ポメラニア公国、ビャウォボキ修道院
配偶者 エルジュビェタ・カジミェジュヴナ
  アーデルハイト・フォン・ブラウンシュヴァイク=グルーベンハーゲン
子女 エリーザベト
カシミール4世
ヴァルティスラフ7世
ボギスラフ8世
バルニム5世
マルガレーテ
家名 グリフ家
父親 ポメラニア公ヴァルティスラフ4世
母親 エリーザベト・フォン・リンドウ=ルッピン
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ボギスラフ5世(ボギスラフ5せい、ドイツ語:Bogislaw V., 1318年ごろ - 1374年4月23日)またはボグスワフ5世ポーランド語:Bogusław V)は、ポメラニア公大公(Wielki)と呼ばれる[1]

生涯[編集]

ボギスラフ5世はヴァルティスラフ4世とエリーザベト・フォン・リンドウ=ルッピンの長男で[2]、弟にバルニム4世およびヴァルティスラフ5世がいる。1326年に父ヴァルティスラフ4世が死去した後、兄弟で共同統治者となった。ボギスラフ5世らはドイツ騎士団と対抗するためポーランド王カジミェシュ3世と同盟を結び、カジミェシュ3世の娘エルジュビェタはボギスラフと結婚した。1361年にエルジュビェタは死去し、翌1362年にブラウンシュヴァイク=グルベンハーゲン公エルンスト1世の娘エリーザベトと結婚した。

1366年のバルニム4世の死によりボギスラフ5世とヴァルティスラフ5世の対立が起こったが、1368年に条約が結ばれ、ボギスラフ5世、ヴァルティスラフ5世およびバルニム4世の息子ボギスラフ6世とヴァルティスラフ6世の間でポメラニア公領は分割されたことで解決した。ボギスラフ5世はポメラニア=ヴォルガストのうち東ポメラニアの大部分を受け取り、ポメラニア=シュトルプ公(シュトルプ、現在のスウプスクから名付けられた)となった。弟ヴァルティスラフ5世はノイシュテッティン(現在のシュチェチネク)を受け取り、バルニム4世の息子たちはリューゲン島ウーゼドム島とともに北西ポメラニアを得た。

ボギスラフの娘エリーザベトは1363年に神聖ローマ皇帝ボヘミア王カール4世と結婚し、1370年にボギスラフは婿であるカール4世と同盟を結んだ。

結婚と子女[編集]

1343年2月28日、ボギスラフはエルジュビェタ・カジミェジュヴナと結婚した[3]。エルジュビェタはポーランド王カジミェシュ3世アルドナ・オナ・ゲディミナイテの娘であった。2人の間には2子が生まれた。

エルジュビェタは1361年に死去し、翌1362年にブラウンシュヴァイク=グルーベンハーゲン公エルンスト1世とアーデルハイト・フォン・エーフェルスタインの娘アーデルハイトと結婚した。2人の間には4子が生まれた。

脚注[編集]

  1. ^ Książę wołogoski i słupski Bogusław V Wielki (1317–1374)”. Zamek Książąt Pomorskich w Szczecinie. 2023年1月3日閲覧。
  2. ^ Loud & Schenk 2017, p. xxxiv.
  3. ^ a b Lerski 1996, p. 250.
  4. ^ Frost 2015, p. 7.

参考文献[編集]

  • Frost, Robert I. (2015). The Making of the Polish-Lithuanian Union 1385-1569. 1. Oxford University Press 
  • Lerski, George J. (1996). "Kazimierz IV". Historical Dictionary of Poland, 966-1945. ABC-CLIO.
  • The Origins of the German Principalities, 1100-1350: Essays by German Historians. Routledge. (2017) 
先代
ヴァルティスラフ4世
ポメラニア=ヴォルガスト公
1326年 - 1368年
次代
(分割)
先代
(新設)
ポメラニア=シュトルプ公
1368年 - 1374年
次代
カシミール4世