プファルツ=ノイマルクト家
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プファルツ=ノイマルクト家(Pfalz-Neumarkt)は、プファルツ(ライン宮中伯)系ヴィッテルスバッハ家の分家の1つ。ノイマルクト・イン・デア・オーバープファルツ(現バイエルン州オーバープファルツ行政管区の都市)に拠点を置いた。
概要
[編集]1410年の神聖ローマ皇帝兼プファルツ選帝侯ループレヒトの死後、プファルツ系ヴィッテルスバッハ家は4人の息子達の家系に分かれた。ハイデルベルクに拠点を置く次男の選帝侯ルートヴィヒ3世の家系、三男ヨハンに始まるプファルツ=ノイマルクト家、四男シュテファンに始まるプファルツ=ジンメルン家、五男オットー1世に始まるプファルツ=モスバッハ家である[1]。
プファルツ=ノイマルクト家の初代、プファルツ=ノイマルクト公ヨハンはカタリーナ・フォン・ポンメルンとの結婚でクリストフ(クリストファ)(1416年 - 1448年)を儲けた。母がエーリク・ア・ポンメルンの妹であった縁により、クリストファはカルマル同盟下のデンマーク、ノルウェー、スウェーデンの君主となった[2]。
1448年にクリストフが嗣子を残さずに早世した為、プファルツ=ノイマルクト家は2代で断絶した。北欧3国では新たにオルデンブルク朝が王位を継承した。父ヨハン以来の遺領はクリストフの叔父であるプファルツ=モスバッハ公オットー1世が継承し、プファルツ=モスバッハ=ノイマルクトと呼ばれる領邦が成立したが[2]、プファルツ=モスバッハ家もオットー1世の息子オットー2世で断絶し、宗家の選帝侯フィリップが獲得した。
プファルツ=ノイマルクト公
[編集]脚注
[編集]- ^ Benjamin Müsegades (2016年4月13日). “Digitalisat Pfälzische Teilungen”. Historisches Lexikon Bayerns. 2023年5月28日閲覧。
- ^ a b Dominik Dorfner (2013年10月4日). “Pfalz-Neumarkt-Neunburg, Herzogtum”. Historisches Lexikon Bayerns. 2023年5月28日閲覧。
外部リンク
[編集]- Territorium von Pfalz-Neumark (1410) map from: Max Spindler/Gertrud Diepolder: Bayerischer Geschichtsatlas, München 1969, p. 21 - プファルツ=ノイマルクト公領の地図