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'''土井 利厚'''(どい としあつ、[[宝暦]]9年([[1759年]]) - [[文政]]5年[[6月24日 (旧暦)|6月24日]]([[1822年]][[8月10日]]))は、[[江戸時代]]後期の大名、[[老中]]。[[下総国|下総]][[古河藩]]主。土井家宗家10代。 |
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[[摂津国|摂津]][[尼崎藩]]主・[[松平忠名]]の四男。母は側室の庄司氏。正室は[[板倉勝清]]の娘。子に[[土井利之]](次男)、[[土井利広]](三男)、富([[細川立之]]正室)、娘([[永井直興]]室)。[[従四位]]下侍従・大炊頭。 |
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2019年9月30日 (月) 11:38時点における版
土井 利厚(どい としあつ、宝暦9年(1759年) - 文政5年6月24日(1822年8月10日))は、江戸時代後期の大名、老中。下総古河藩主。土井家宗家10代。
摂津尼崎藩主・松平忠名の四男。母は側室の庄司氏。正室は板倉勝清の娘。子に土井利之(次男)、土井利広(三男)、富(細川立之正室)、娘(永井直興室)。従四位下侍従・大炊頭。
生涯
古河藩主土井利見の養嗣子となり、はじめ利和(としかず)と名乗る。利見が相続後1か月足らずで没した後襲封し、その後45年の長きにわたり古河藩主となった。この間、寺社奉行、京都所司代、老中などの重職を歴任し、1万石の加増も得た。土井家から老中が出たのは利房以来のことであった。
利厚には跡継ぎがいなかったため(嫡子の利広は早世)、分家の三河刈谷藩主土井利徳の四男・利位を養嗣子に迎えた。
略歴
- 宝暦9年(1759年) 生誕
- 安永6年(1777年)12月20日 土井利見の養嗣子となり、古河藩襲封。大炊頭。
- 天明6年(1786年)3月24日 寺社奉行就任。
- 天明8年(1788年)6月26日 寺社奉行辞任。
- 寛政8年(1796年)12月24日 寺社奉行再任。
- 享和元年(1801年)7月11日 京都所司代就任。
- 享和2年(1802年)10月19日 老中就任。
- 文政5年(1822年)3月28日 1万石加増。
- 文政5年(1822年)6月24日 老中在職のまま卒。
関連項目
- ニコライ・レザノフ - 老中在職中に交渉を担当した。