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2018年3月11日 (日) 08:19時点における版
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 福岡県久留米市 |
生年月日 | 1940年2月19日(84歳) |
身長 体重 |
175 cm 67 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 捕手 |
プロ入り | 1962年 |
初出場 | 1963年 |
最終出場 | 1964年 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
| |
コーチ歴 | |
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この表について
|
淡河 弘(おごう ひろし、1940年2月19日 - )は、福岡県[1]出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。
経歴
久留米商では同期の手島征男(法大-日産)とバッテリーを組み、2年次の1956年に春の選抜へ出場。1回戦で堀川高に敗退したが、3年次の1957年の選抜にも連続出場。準決勝で早実と対戦したが、王貞治投手に0-6で完封され、決勝進出はならず[2]。1年下のチームメートに松本俊一がいた。卒業後の1958年に東洋高圧大牟田へ入社し、田中勉とバッテリーを組む。1960年の都市対抗に出場。2回戦(初戦)で松下電器と対戦し、先制適時打を放つも1-2で惜敗。1961年の大会では準々決勝に進出し、エース・大工勝を擁する富士鉄広畑と延長12回1-1で引き分け。この試合で淡河は貴重な同点本塁打を打っているが、再試合では連投の大工に0-5で完封負けを喫した[3]。1962年に読売ジャイアンツへ入団[1]。2年目の1963年に一軍初出場を果すが、森昌彦の控えにとどまる。1965年からは一軍の試合には出場せず、支配下登録扱いだったがチーム内での役割はブルペン捕手だった。1964年に現役を引退。
引退後は巨人のコーチを務め、1975年に監督の長嶋茂雄の要請で[4]一軍バッテリーコーチを務めたが球団初の最下位に終わる。1976年は二軍バッテリーコーチになり、同年限りで解任[5]。1977年から1979年までヤクルトスワローズ二軍バッテリーコーチ、1984年は日本ハムファイターズの一軍バッテリーコーチを務めたが最下位に終わり、1985年から1988年・1991年から1995年まで二軍バッテリーコーチ, 1989年から1990年までスカウトを務めた。日本ハムコーチ時代の1984年1月には経済界より「あんな奴でもモノになるーシラケ、反抗人間を取り込む75の法」を出版。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1963 | 巨人 | 12 | 14 | 13 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 4 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | .308 | .357 | .308 | .665 |
1964 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- | |
通算:2年 | 13 | 14 | 13 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 4 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | .308 | .357 | .308 | .665 |
背番号
- 60 (1962年)
- 39 (1963年 - 1970年)
- 62 (1971年 - 1974年)
- 82 (1975年 - 1976年)
- 61 (1977年 - 1979年)
- 81 (1984年 - 1988年)
- 85 (1991年 - 1995年)