「那智 (重巡洋艦)」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
55行目: 55行目:
9月6日20時56分ごろ、大湊から幌筵島に向かっていた「那智」に向けてアメリカ潜水艦「[[ハリバット (潜水艦)|ハリバット]]」 (''USS Halibut, SS-232'') が[[魚雷]]3本を発射し、うち2本が後部煙突直下と艦尾に命中した。しかし、この魚雷は2本とも不発に終わり、へこみと若干の浸水が生じたこと以外は何もなかった。
9月6日20時56分ごろ、大湊から幌筵島に向かっていた「那智」に向けてアメリカ潜水艦「[[ハリバット (潜水艦)|ハリバット]]」 (''USS Halibut, SS-232'') が[[魚雷]]3本を発射し、うち2本が後部煙突直下と艦尾に命中した。しかし、この魚雷は2本とも不発に終わり、へこみと若干の浸水が生じたこと以外は何もなかった。


[[1944年]](昭和19年)10月15日、[[台湾沖航空戦]]での過大な戦果報告により大損害を与えたと考えられた米[[機動部隊]]攻撃のため重巡洋艦「[[足柄 (重巡洋艦)|足柄]]」などとともに[[瀬戸内海]]を出撃。17日[[奄美大島]][[薩川湾]]に入港、18日出航。20日[[馬公市|馬公]]に進出し翌21日、[[レイテ湾]]に来襲したアメリカ軍攻撃のため第二遊撃部隊(いわゆる志摩艦隊)旗艦として出撃。25日に[[スリガオ海峡]]で大破した重巡洋艦「[[最上 (重巡洋艦)|最上]]」と衝突し損傷する。28日[[マニラ]]入港。11月5日、[[マニラ湾]]で米[[航空母艦|空母]]「[[レキシントン (CV-16)|レキシントン]]」 (''USS Lexington, CV-16'') からの艦機による空襲を受け多数の爆弾、魚雷の命中により沈没。乗員807名が戦死し、220名が救助された。
[[1944年]](昭和19年)10月15日、[[台湾沖航空戦]]での過大な戦果報告により大損害を与えたと考えられた米[[機動部隊]]攻撃のため重巡洋艦「[[足柄 (重巡洋艦)|足柄]]」などとともに[[瀬戸内海]]を出撃。17日[[奄美大島]][[薩川湾]]に入港、18日出航。20日[[馬公市|馬公]]に進出し翌21日、[[レイテ湾]]に来襲したアメリカ軍攻撃のため第二遊撃部隊(いわゆる志摩艦隊)旗艦として出撃。25日に[[スリガオ海峡]]で大破した重巡洋艦「[[最上 (重巡洋艦)|最上]]」と衝突し損傷する。28日[[マニラ]]入港。11月5日、[[マニラ湾]]で米[[航空母艦|空母]]「[[レキシントン (CV-16)|レキシントン]]」 (''USS Lexington, CV-16'') からの艦機による空襲を受け多数の爆弾、魚雷の命中により沈没。乗員807名が戦死し、220名が救助された。


== 兵装  ==
== 兵装  ==

2013年7月22日 (月) 04:27時点における版

那智
艦歴
発注 大正12年度艦艇補充計画
起工 1924年11月26日
進水 1927年6月15日
就役 1928年11月26日
その後 1944年11月5日戦没
除籍 1945年1月20日
性能諸元
排水量 基準:10,902トン、公試:13,281トン
全長 203.76m、水線長:201.63m、垂線間長:192.48m
全幅 19m、水線幅:17.86m
吃水 10.97m
機関 ロ号艦本式12基、艦本式タービン4基、13,0000馬力
最大速 35.6ノット
航続距離 7,000(14ノット時)
乗員
兵装
航空機 水偵3機(射出機:呉式2号1型1基、後に呉式2号5型2基)

那智(なち)は、日本海軍重巡洋艦妙高型の2番艦である。命名の由来は和歌山県那智山

艦歴

呉海軍工廠にて建造。就役後、1932年(昭和7年)には第一次上海事変で警備に従事。

日中戦争では1937年(昭和12年)8月20日から24日まで上海上陸作戦に参加。

1941年(昭和16年)12月に太平洋戦争が始まるとパラオに進出し、ダバオメナドアンボン島マカッサルなどの攻略作戦を支援する。

1942年(昭和17年)2月17日スターリング湾を出撃しチモール島デリークーパン攻略を支援。22日スターリング湾に帰投し、24日ジャワ島攻略作戦支援のため出撃。27日、28日スラバヤ沖で連合軍艦隊と交戦(スラバヤ沖海戦)。3月10日北方部隊に編入。4月11日、厚岸に入港し第5艦隊旗艦となる。5月26日アリューシャン作戦のため大湊を出航。

尚、小泉信三の長男である小泉信吉は主計中尉として本艦に乗船しており、1942年(昭和17年)に戦死している。

1943年(昭和18年)3月7日から13日、アッツ島への輸送作戦に参加。22日、2度目の輸送作戦で幌筵島を出撃。27日にはアッツ島沖海戦に参加し、米重巡洋艦「ソルトレイクシティ」 (USS Salt Lake City, CA-25) などと交戦するが攻撃を受け小破し戦死11名、負傷21名の損害を出す。

9月6日20時56分ごろ、大湊から幌筵島に向かっていた「那智」に向けてアメリカ潜水艦「ハリバット」 (USS Halibut, SS-232) が魚雷3本を発射し、うち2本が後部煙突直下と艦尾に命中した。しかし、この魚雷は2本とも不発に終わり、へこみと若干の浸水が生じたこと以外は何もなかった。

1944年(昭和19年)10月15日、台湾沖航空戦での過大な戦果報告により大損害を与えたと考えられた米機動部隊攻撃のため重巡洋艦「足柄」などとともに瀬戸内海を出撃。17日奄美大島薩川湾に入港、18日出航。20日馬公に進出し翌21日、レイテ湾に来襲したアメリカ軍攻撃のため第二遊撃部隊(いわゆる志摩艦隊)旗艦として出撃。25日にスリガオ海峡で大破した重巡洋艦「最上」と衝突し損傷する。28日マニラ入港。11月5日、マニラ湾で米空母レキシントン」 (USS Lexington, CV-16) からの艦上機による空襲を受け多数の爆弾、魚雷の命中により沈没。乗員807名が戦死し、220名が救助された。

兵装 

(新造時)

  • 50口径3年式20cm連装砲5基 10門
  • 45口径10年式12cm高角砲 6基
  • 留式7.7mm単装機銃 2基
  • 13式水上固定発射管 12門 (魚雷:8年式2号61cm 24本) 

(最終時)

  • 50口径3年式II号20cm(20.3cm)連装砲5基 10門
  • 40口径89式12.7cm連装高角砲 4基
  • 96式25mm連装機銃 10基 同 単装 28基
  • 92式4連装発射管 2基 (魚雷:93式酸素魚雷61cm 16本)
  • 2号1型電探 1基
  • 2号2型電探 2基
  • 1号3型電探 1基
  • E-27 逆探 (搭載数不明)

歴代艦長

艤装員長

  1. 新山良幸 大佐:1928年5月21日 - 1928年9月10日

艦長

  1. 新山良幸 大佐:1928年9月10日 -
  2. 大西次郎 大佐:1929年11月30日 -
  3. 平田昇 大佐:1930年12月1日 -
  4. 田畑啓義 大佐:1931年12月1日 -
  5. 大和田芳之介 大佐:1932年12月1日 -
  6. 祝原不知名 大佐:1933年11月15日 -
  7. 小松輝久 大佐:1934年11月15日 -
  8. 戸塚道太郎 大佐:1935年12月2日 -
  9. 福田良三 大佐:1936年11月16日 -
  10. 岩越寒季 大佐:1937年12月1日 -
  11. (兼)佐藤勉 大佐:1939年10月10日 -
  12. 八代祐吉 大佐:1939年11月15日 -
  13. 高間完 大佐:1940年11月15日 -
  14. 清田孝彦 大佐:1941年8月20日 -
  15. 曽爾章 大佐:1942年11月16日 -
  16. 渋谷紫郎 大佐:1943年9月10日 -
  17. 鹿岡円平 大佐:1944年8月20日 - 11月5日戦死

同型艦

関連項目