「三峯神社」の版間の差分
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[[画像:Mitumine005.jpg|thumb|right|160px|奥宮 妙法ケ岳の山頂]] |
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奥宮は三峯神社から東南東へ1時間ほど山道を登った妙法ケ岳(1329m)の山頂にある。 |
奥宮は三峯神社から東南東へ1時間ほど山道を登った妙法ケ岳(1329m)の山頂にある。 |
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山頂には小さな祠と[[秩父宮]] |
山頂には小さな祠と[[秩父宮]]登山記念碑がある。 |
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登山道の途中には[[両部鳥居]]がある。 |
登山道の途中には[[両部鳥居]]がある。 |
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2012年10月24日 (水) 06:18時点における版
三峯神社 | |
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所在地 | 埼玉県秩父市三峰298-1 |
位置 | 北緯35度55分31秒 東経138度55分49秒 / 北緯35.92528度 東経138.93028度 |
主祭神 |
伊弉諾尊 伊弉册尊 |
社格等 | 県社・別表神社 |
創建 | 景行天皇の御代 |
例祭 | 4月8日 |
三峯神社(みつみねじんじゃ)は、埼玉県秩父市三峰にある神社である。秩父神社、宝登山神社と並ぶ秩父三社の一つ。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。宮司は中山高嶺。
伊弉諾尊・伊弉册尊の二神を主祭神とし、造化三神と天照大神を配祀する。拝殿の手前には珍しい三ツ鳥居がある。
山奥の聖域であり、通常の神社とは趣が異なる。
歴史
社伝によれば、景行天皇の時代、日本武尊の東征の際、碓氷峠に向かう途中に現在の三峯神社のある山に登り、伊弉諾尊・伊弉册尊の国造りを偲んで創建したという。景行天皇の東国巡行の際に、天皇は社地を囲む白岩山・妙法山・雲取山の三山を賞でて「三峯宮」の社号を授けたと伝える[1]。伊豆国に流罪になった役小角が三峰山で修業をし、空海が観音像を安置したと縁起には伝えられる。
三峰の地名と熊野の地名の類似より、三峰の開山に熊野修験が深くかかわっていることがうかがえる。熊野には「大雲取・小雲取」があり、三峰山では中心の山を雲取山と呼んでいる。
中世以降、日光系の修験道場となって、関東各地の武将の崇敬を受けた。しかし、正平7年(1352年)、足利氏を討つために挙兵し敗れた新田義興・義宗らが当山に身を潜めたことより、足利氏により社領が奪われ、衰退した。
文亀年間(1501年 - 1504年)に修験者の月観道満により堂舍が再興され、以降、聖護院派天台修験の関東総本山とされ、隆盛した。本堂を「観音院高雲寺」と称し、三峯大権現と呼ばれた。
江戸時代には、秩父の山中に棲息する狼を、猪などから農作物を守る眷族・神使とし、「お犬さま」として崇めるようになった。さらに、この狼が盗戝や災難から守る神と解釈されるようになり、当社から狼の護符を受けること(御眷属信仰)が流行った。修験者たちが当社の神得を説いて回り、当社に参詣するための講(三峯講)が関東・東北等を中心として信州など各地に組織された。
明治の神仏分離により寺院を廃して「三峯神社」に改称した。明治16年(1883年)に県社に列した。
当社への登拝路上に、昭和14年(1939年)に三峰ロープウェイが、昭和41年(1966年)に三峰観光道路が開通した。しかし、三峰ロープウェイは施設老朽化から平成19年(2007年)12月1日に廃止となった。現在は西武観光バスの急行バスが西武秩父駅から三峰口駅を経由し、山頂駐車場まで平日3往復、土休日5往復、運行されている。また、そのバスも通る三峰観光道路はアクセス道が「一方通行の狭小トンネル」で有名な駒ヶ滝トンネルを通るためアクセスにやや難がある。
平成16年(2004年)に社殿を修復した。
祭事
- 歳旦祭・元旦祈願祭(1月1日)
- 豆入り神事(1月第3・第4日曜日)
- 節分追儺祭(ごもっともさま)(2月3日)
- 大祭(太々神楽)(4月8日)
- 奥宮山開祭(5月3日)
- 大祓(6月30日)
- 大日祭(土用の丑の日)
- 諏訪神社祭(獅子舞)(8月26日)
- 月読祭(十五夜)(旧8月15日、旧9月13日)
- 奥宮山閉祭(10月9日)
- 大歳のまつり(12月31日)
筒粥神事
筒粥神事は各地に残る年占の1つである。1月15日に一室に籠もった神職により、宵から15日の暁にかけて行事が行われる。これは、神饌所で炊かれた小豆粥に、36本の葦の筒を漬け、この筒の中に入った粥の量により36種の作物の今年の作柄を占うもので、その結果は印刷され、春先に参拝する信者に分けられる。
ごもっともさま
2月3日の節分追儺祭の神事は「ごもっともさま」とも呼ばれる。豆を「福は内、鬼は外」と唱えた後、後に控えた添人が大声で「ごもっともさま」と唱和し、1メートル余りの棒の先に注連縄を巻き、根元に蜜柑2個を麻縄でくくりつけた陰茎を象った大きな棒を突き出す。五穀豊穣・大漁満足・夫婦円満・開運長寿の願いが込められ、子授けに奇瑞があると言われている。
山犬信仰(三峯講)
三峰信仰の中心をなしているものに、御眷属(山犬)信仰がある。 この信仰については、「社記」に享保12年9月13日の夜、日光法印が山上の庵室に静座していると、山中どことも知れず狼が群がり来て境内に充ちた。法印は、これを神託と感じて猪鹿・火盗除けとして山犬の神札を貸し出したところ霊験があったとされる。
また、幸田露伴は、三峰の神使は、大神すなわち狼であり、月々19日に、小豆飯と清酒を本社から八丁ほど離れた所に備え置く、と登山の折の記録に記している。
眷属(山犬)は1疋で50戸まで守護すると言われている。文化14年12月14日に各地に貸し出された眷属が4000疋となり、山犬信仰の広まりを祝う式があり、また文政8年12月2日には、5000疋となり同様の祝儀が行われている。
明治後期の文献と思われる「御眷属拝借心得書」には、御眷属を受け、家へ帰られたならば、早速仮宮へ祀られ注連縄を張り、御神酒・洗米を土器に盛り献饌し、不潔の者の立ち入らぬようにされたいとある(仮宮へ祀るのは講で受けた場合で、個人で受けた場合神棚でよいとされる)。
分祀
付近の観光
三峯神社 奥宮
奥宮は三峯神社から東南東へ1時間ほど山道を登った妙法ケ岳(1329m)の山頂にある。 山頂には小さな祠と秩父宮登山記念碑がある。 登山道の途中には両部鳥居がある。
三ツ鳥居
三ツ鳥居とは明神型鳥居を三つ組み合わせた鳥居である。三峯神社の拝殿の手前に三ツ鳥居がある。
有名な三ツ鳥居は大神神社のものであるが、大神神社の三ツ鳥居は、直接見る事ができない。
大神神社の公式ホームページには三ツ鳥居の模型が掲載されていて、三峯神社の三ツ鳥居とほぼ同じ形式である事が確認できる。
神乃山水
三峰山の上に龍洞という深い井戸がある。竜神が住むと言い伝えられ、水分神がまつられている。この水を三峯神社にて頂くことができる(有料)。特に大寒に汲まれた水を寒の水といい、貴重なものである。寒の水を頂くには予約が必要。
参考文献
関連項目
- 山岳信仰
- 秩父神社
- 宝登山神社
- 若宮八幡宮 - 川崎市川崎区にある神社。境内社である金山神社で4月に行なわれる「かなまら祭」では男性器を象った神輿で練り歩く。
- 田縣神社 - 愛知県小牧市にある神社。男性器の形をした石が祭られている。3月に行なわれる「豊年祭」では、男性器をかたどった神輿やものを担いで練り歩く。
- 大縣神社 - 愛知県犬山市にある神社。女性器の形をした石が祭られている。3月に行なわれる「姫の宮祭り(豊年祭)」では、女性器をかたどったものを、巫女たちが抱えて練り歩く。
- 大山倍達 - 三峯神社において修行をした。
- 釜山神社 - ニホンオオカミを神格化した大口真神を祀る。