「山中毅」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Ptbotgourou (会話 | 投稿記録)
m r2.7.2) (ロボットによる 追加: ko:야마나카 츠요시
編集の要約なし
1行目: 1行目:
{{Infobox Swimmer
{{MedalTop}}
| 氏名 = 山中 毅
{{MedalSport|男子 [[競泳]]}}
| 画像 =
{{MedalSilver|[[メルボルンオリンピック|1956]]|400m自由形}}
| 画像サイズ =
{{MedalSilver|[[メルボルンオリンピック|1956]]|1500m自由形}}
| 画像説明 =
{{MedalSilver|[[ローマオリンピック|1960]]|400m自由形}}
| フルネーム =
{{MedalSilver|[[ローマオリンピック|1960]]|4×200mリレー}}
| ニックネーム =
{{MedalBottom}}
| 国籍 = {{JPN}}
| 泳法 = [[自由形]]
| 所属 =
| 生年月日 = {{生年月日と年齢|1939|1|18}}
| 生誕地 = [[石川県]][[輪島市]]
| 没年月日 =
| 死没地 =
| 身長 = 171cm
| 体重 = 75kg
| show-medals = yes
| medaltemplates =
{{MedalSilver|[[メルボルンオリンピック|1956 メルボルン]]|400m自由形}}
{{MedalSilver|[[メルボルンオリンピック|1956 メルボルン]]|1500m自由形}}
{{MedalSilver|[[ローマオリンピック|1960 ローマ]]|400m自由形}}
{{MedalSilver|[[ローマオリンピック|1960 ローマ]]|4×200mリレー}}
}}
'''山中 毅'''(やまなか つよし、[[1939年]][[1月18日]] - )は、[[石川県]][[輪島市]]生まれの[[競泳]]選手。
'''山中 毅'''(やまなか つよし、[[1939年]][[1月18日]] - )は、[[石川県]][[輪島市]]生まれの[[競泳]]選手。


== 人物 ==
== 人物 ==
[[石川県立輪島高等学校]]在学中の[[1956年]][[メルボルンオリンピック]]に出場。[[自由形]]400mと1500mの2種目では、[[オーストラリア]]の[[マレー・ローズ]]([[1939年]] - )に敗れて銀メダル。
[[石川県立輪島高等学校]]在学中の[[1956年]][[メルボルンオリンピックにおける競泳競技|メルボルンオリンピック]]に出場。[[自由形]]400mと1500mの2種目では、[[オーストラリア]]の[[マレー・ローズ]]([[1939年]] - )に敗れて銀メダルを獲得した<ref>{{cite web|url=http://sankei.jp.msn.com/london2012/news/120729/swm12072908210011-n1.htm |title=萩野が56年ぶりの高校生銅メダル「8秒台が出てよかった」 |publisher=産経ニュース |date=2012-07-29 |accessdate=2012-07-28 }}</ref><ref name="kotobank"/>


[[早稲田大学]]進学後の[[1959年]]、自由形200m、400mで世界新記録を作った<ref name="kotobank">{{cite web|url=http://kotobank.jp/word/%E5%B1%B1%E4%B8%AD%E6%AF%85 |title=山中毅 |publisher=[[コトバンク]] |accessdate=2012-07-28 }}</ref>。
[[早稲田大学]]進学後の[[1960年]][[ローマオリンピック]]でも、自由形400mでローズに敗れ銀メダル。


[[1964年]][[東京オリンピック]]とあわせて、3度のオリンピックで延べ7種目出場し、4個の銀メダルを含めて、すべて入賞した。
[[1960年]][[ローマオリンピックにおける競泳競技|ローマオリンピック]]も、自由形400mでローズ敗れ銀メダルを獲得した<ref name="kotobank"/>


早稲田大学卒業後、[[南カリフォルニア大学]]に留学。[[1961年]]には、2ヶ月間に自由形200mの世界新記録を3度更新するなど、同じ大学に留学してきたローズとともに南カリフォルニア大学の黄金時代を築いた。
早稲田大学卒業後、[[南カリフォルニア大学]]に留学<ref>{{cite web|url=http://grfx.cstv.com/photos/schools/usc/sports/m-swim/auto_pdf/mens-mg-history.pdf |title=USC's McDonald's Swim Stadium |publisher=USC |format=PDF |accessdate=2012-07-28 }}</ref>。[[1961年]]には、2ヶ月間に自由形200mの世界新記録を3度更新するなど、同じ大学に留学してきたローズとともに南カリフォルニア大学の黄金時代を築いた。

[[1964年]]の[[東京オリンピックにおける競泳競技|東京オリンピック]]にも出場した。

3度のオリンピックで延べ7種目に出場し、4個の銀メダルを含めて、すべて入賞した。


帰国後は大洋漁業(現[[マルハニチロ水産]])に就職した。また、[[イトマンスイミングスクール]]の取締役も務めている。
帰国後は大洋漁業(現[[マルハニチロ水産]])に就職した。また、[[イトマンスイミングスクール]]の取締役も務めている。


[[1983年]]、「国際水泳殿堂」 (International Swimming Hall of Fame) に選出された。
[[1983年]]、「国際水泳殿堂」 (International Swimming Hall of Fame) に選出された<ref>{{cite web|url=http://www.hickoksports.com/history/iswimhof.shtml#swimmers |title=Swimmers |publisher=国際水泳殿堂 |accessdate=2012-07-28 }}</ref>


山中の母親は[[海人|海士]]で、出産の数日前まで海に潜っていた。そのため「山中は生まれる前から泳いでいる」の逸話が残っている。
山中の母親は[[海人|海士]]で、出産の数日前まで海に潜っていた。そのため「山中は生まれる前から泳いでいる」の逸話が残っている。


[[1995年]]に行われた参議院議員選挙の比例区に[[さわやか新党]]から出馬している。
[[1995年]]に行われた参議院議員選挙の比例区に[[さわやか新党]]から出馬している。

== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}

== 関連項目 ==
* [[メルボルンオリンピック日本選手団]]
* [[ローマオリンピック日本選手団]]
* [[東京オリンピック日本選手団]]

== 外部リンク ==
* [http://www.sports-reference.com/olympics/athletes/ya/tsuyoshi-yamanaka-1.html Biography and Olympic Results] {{en icon}}


{{デフォルトソート:やまなか つよし}}
{{デフォルトソート:やまなか つよし}}
{{日本スポーツ賞大賞}}
{{日本スポーツ賞大賞}}

[[Category:1939年生|やまなか つよし]]
[[Category:日本の競泳選手|やまなか つよし]]
{{デフォルトソート:やまなか つよし}}
[[Category:オリンピック水泳日本代表選手|やまなか つよし]]
[[Category:日本の競泳選手]]
[[Category:日本のオリンピック銀メダリスト|やまなか つよし]]
[[Category:オリンピック水泳日本代表選手]]
[[Category:石川県出身人物|やまなか つよし]]
[[Category:日本オリンピック銀メダリスト]]
[[Category:マルハニチログループの人物]]
[[Category:日本の国政選挙の立候補経験者|やまなか つよし]]
[[Category:マルハニチログループ人物|やまなか つよし]]
[[Category:日本実業家]]
[[Category:日本の実業家|やまなか つよし]]
[[Category:日本の国政選挙の立候補経験者]]
[[Category:存命人物|やまなか つよし]]
[[Category:石川県出身の人物]]
[[Category:1939年生]]
[[Category:存命人物]]


[[de:Tsuyoshi Yamanaka]]
[[de:Tsuyoshi Yamanaka]]

2012年7月29日 (日) 00:02時点における版

山中 毅
国籍 日本の旗 日本
泳法 自由形
生年月日 (1939-01-18) 1939年1月18日(85歳)
生誕地 石川県輪島市
身長 171cm
体重 75kg
獲得メダル
1956 メルボルン 400m自由形
1956 メルボルン 1500m自由形
1960 ローマ 400m自由形
1960 ローマ 4×200mリレー
テンプレートを表示

山中 毅(やまなか つよし、1939年1月18日 - )は、石川県輪島市生まれの競泳選手。

人物

石川県立輪島高等学校在学中の1956年メルボルンオリンピックに出場。自由形400mと1500mの2種目では、オーストラリアマレー・ローズ1939年 - )に敗れて銀メダルを獲得した[1][2]

早稲田大学進学後の1959年、自由形200m、400mで世界新記録を作った[2]

1960年ローマオリンピックでも、自由形400mでローズに敗れ銀メダルを獲得した[2]

早稲田大学卒業後、南カリフォルニア大学に留学[3]1961年には、2ヶ月間に自由形200mの世界新記録を3度更新するなど、同じ大学に留学してきたローズとともに南カリフォルニア大学の黄金時代を築いた。

1964年東京オリンピックにも出場した。

3度のオリンピックで延べ7種目に出場し、4個の銀メダルを含めて、すべて入賞した。

帰国後は大洋漁業(現マルハニチロ水産)に就職した。また、イトマンスイミングスクールの取締役も務めている。

1983年、「国際水泳殿堂」 (International Swimming Hall of Fame) に選出された[4]

山中の母親は海士で、出産の数日前まで海に潜っていた。そのため「山中は生まれる前から泳いでいる」の逸話が残っている。

1995年に行われた参議院議員選挙の比例区にさわやか新党から出馬している。

脚注

  1. ^ 萩野が56年ぶりの高校生銅メダル「8秒台が出てよかった」”. 産経ニュース (2012年7月29日). 2012年7月28日閲覧。
  2. ^ a b c 山中毅”. コトバンク. 2012年7月28日閲覧。
  3. ^ USC's McDonald's Swim Stadium” (PDF). USC. 2012年7月28日閲覧。
  4. ^ Swimmers”. 国際水泳殿堂. 2012年7月28日閲覧。

関連項目

外部リンク