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* [[プラレス3四郎]](キャラクターデザイン・作画監督)
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* [[うる星やつら (アニメ)|うる星やつら]](原画)
* [[うる星やつら (アニメ)|うる星やつら]](原画)
* [[シティーハンター (アニメ)|ィーハンター]](作画監督
* [[BIRTH]](アニメョンコーデーター)
** シティーハンター2(作画監督)
* [[ワット・ポーとぼくらのお話]](キャラクターデザイン)
* [[ワット・ポーとぼくらのお話]](キャラクターデザイン)
* [[魔法のプリンセスミンキーモモ]](原画)
* [[魔法のプリンセスミンキーモモ]](原画)

2011年4月14日 (木) 09:42時点における版

いのまた むつみ(本名:猪股 むつみ(読み同じ)、1960年12月23日 - )は、日本イラストレーターアニメーター漫画家神奈川県出身。血液型はO型。愛称は「むっち」。左利き

略歴

アニメファンで、高校時代から東映動画の仕上げをするマキプロダクションで、セル画の仕上げのアルバイトを行なう。1978年、高校の卒業時に、マキプロダクション社長の紹介で、大島りえとともにアニメ制作会社葦プロダクションへ入社し、『くじらのホセフィーナ』でアニメーターデビュー。以後、数々のテレビアニメアニメーターとして腕を奮い、キャラクター作りの才能が認められて、キャラクターデザイナーにまで抜擢される。

1982年に葦プロダクションから若手スタッフが抜けて、アニメ制作会社カナメプロダクションを創立。いのまたもこれに加わり、数々のキャラクターデザインでアニメファンに人気を博し、徳間書店から1983年に創刊された『ザ・モーションコミック』で、漫画家デビューを果たす。1984年夏に、カナメプロダクションは退社するが、フリーのスタッフとして、同社作品への参加は続けた。

同社作品『プラレス3四郎』などで仕事をした脚本家藤川桂介の小説『宇宙皇子』シリーズのイラストを1984年から担当し、これがイラストレーターに仕事の軸足を移す契機となった。

人物

CGが主流となった現在もアナログでの表現を主とするイラストレーター。目が大きい肉感的なキャラクターを多く描く。少女漫画のような繊細さと独特の線の細さを持ち、業界の内外にファンを持つ。

彼女の活躍は、田村英樹みつみ美里など、多くのクリエイターに影響を与えた。

絵の何処かしらに「Mutsumi.I」のサインが書かれている。

鉄拳』の風間仁のような筋肉系のキャラクターが好きである。また、自動車やロボットなどの固いものを描くのは苦手だと語っている[1]

エピソード

1987年10月16日、来日公演を行っていたマイケル・ジャクソンが京都の書店で見つけた『宇宙皇子』の画集を気に入り、マイケル本人の希望で対面を果たしている。「画集のどの部分に惹かれたか」の質問に、「色の使い方が新鮮」との感想を述べた[2]。 このことがあり、2009年6月25日にマイケルが亡くなった際には公式ブログで「ご冥福をお祈りします」「ビリージーンとか好きだったなあ」とコメントしている[3]。 『ブレンパワード』のキャラクターデザインを担当した際、富野由悠季から眼を小さく描くようにと指示された事もあった。

書籍

漫画

  • 『GBボンバー』(モーションコミックス) ゲートボールのスポ根。
  • 『にゃおんのおはなし』(アニメージュコミックス) 愛猫を描いたエッセイ。

画集

CD-ROM画集

  • 「いのまたむつみイラストレーションズ」(光栄)
  • 「hades」初回特典マウスパッド入り(バンダイ・ビジュアル)

関連作品

挿絵・イラスト

小説

ほか多数

その他

アニメ

キャラクターデザイン

アニメ

ゲーム

特撮

関連項目

脚注

  1. ^ テイルズ オブ エターニア』攻略本インタビューより。
  2. ^ 月刊ニュータイプ』1988年1月号より。2010年7月3日付のアニメNEWTYPEチャンネルに画像とともに一部再録されている(こちら)。
  3. ^ 公式ブログ2010年7月3日本文より

外部リンク