「ジェームス・ブラック」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
DRKAWA (会話) による ID:36437588 の版を取り消し
Cat+2
3行目: 3行目:
{{Thumbnail:ノーベル賞受賞者|1988年|ノーベル生理学・医学賞|薬物療法における重要な原理の発見}}
{{Thumbnail:ノーベル賞受賞者|1988年|ノーベル生理学・医学賞|薬物療法における重要な原理の発見}}
{{Thumbnail:end}}
{{Thumbnail:end}}
'''ジェームス・ワイト・ブラック'''('''Sir James Whyte Black'''、[[1924年]][[6月14日]] - [[2010年]][[3月22日]])は[[スコットランド]]の[[薬理学者]]。[[ダンディー大学]]長。
'''ジェームス・ワイト・ブラック'''('''Sir James Whyte Black'''、[[1924年]][[6月14日]] - [[2010年]][[3月22日]])は[[スコットランド]]の[[薬理学者]]。[[ダンディー大学]]長。


== 経歴 ==
== 経歴 ==
28行目: 28行目:
[[Category:ノーベル生理学・医学賞受賞者]]
[[Category:ノーベル生理学・医学賞受賞者]]
[[Category:メリット勲章]]
[[Category:メリット勲章]]
[[Category:ダンディー大学の教員]]<!--教員歴あり。-->
[[Category:ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンの教員]]
[[Category:ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンの教員]]
[[Category:キングス・カレッジ・ロンドンの教員]]
[[Category:キングス・カレッジ・ロンドンの教員]]
[[Category:グラスゴー大学の教員]]
[[Category:マラヤ大学の教員]]
[[Category:マラヤ大学の教員]]
[[Category:スコットランドの人物]]
[[Category:スコットランドの人物]]

2011年3月10日 (木) 04:18時点における版

ノーベル賞受賞者ノーベル賞
受賞年:1988年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:薬物療法における重要な原理の発見

ジェームス・ワイト・ブラックSir James Whyte Black1924年6月14日 - 2010年3月22日)はスコットランド薬理学者ダンディー大学総長。

経歴

英国ICIにてアドレナリンベータ受容体遮断薬プロプラノロールを発明した後,英国スミスクライン&フレンチラボラトリーズで初のヒスタミンH2受容体遮断薬シメチジンの開発に成功,シメチジンは胃潰瘍・十二指腸潰瘍の治療において革命的な変化をもたらすとともに,標的分子を特定しそれに選択的な低分子阻害薬を開発するという現代の創薬研究の嚆矢と呼べるものであった。これらの栄誉が讃えられ,1988年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。

ビース高等学校(スコットランド、ファイフ州、Cowdenbeath)を卒業後、セント・アンドルーズ大学にて医学を学ぶ。その後、マラヤ大学グラスゴー大学獣医学校で講義を行い、ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン及びキングス・カレッジ・ロンドンにて教授となる。1988年のノーベル生理学・医学賞の他、1976年には王立協会の会員となり、同じ年にアルバート・ラスカー臨床医学研究賞を受賞、1979年にはガードナー国際賞を受賞、1981年にはナイト・バチェラーに叙せられる。1982年、ウルフ賞医学部門受賞。

2000年にはエリザベス2世によりメリット勲章が授与された。この勲章は24人にのみ与えられ、イギリス君主が授与できる物の中で最も名誉な物とされる。

彼は医師として、また基礎科学者として、心臓病の基礎的及び臨床的な知識に貢献した。交感神経β受容体遮断薬であるプロプラノロールの発明は狭心症の治療に革命をもたらし、20世紀臨床医学及び薬理学への最も重要な寄与の一つとされる。彼の研究方法、アドレナリン薬効薬理の発見、心臓のメカニズムの解明、これらは全て彼の仕事の強さである。

2010年3月22日、逝去[1]。85歳没。

脚註

  1. ^ Nobel Prize winning scientist dies Scottish TV-News 2010-3-22