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2009年10月21日 (水) 16:13時点における版
ジン・キニスキー | |
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プロフィール | |
リングネーム |
ジン・キニスキー ジン・ケリー ビッグ・サンダー |
本名 | ユージン・ニコラス・キニスキー |
ニックネーム | 荒法師 |
身長 | 193cm |
体重 | 122kg(全盛時) |
誕生日 | 1925年11月23日(98歳) |
出身地 |
カナダ アルバータ州エドモントン |
スポーツ歴 | アメリカンフットボール |
トレーナー |
ドリー・ファンク・シニア スチュ・ハート |
デビュー | 1952年2月13日 |
引退 | 1992年2月25日 |
ジン・キニスキー(Gene Kiniski、1925年11月23日 - )はカナダの元プロレスラー。本名はユージン・ニコラス・キニスキー(Eugene Nicholas Kiniski)。アルバータ州エドモントン出身のポーランド系カナダ人である。日本での異名は「荒法師」。
来歴
アリゾナ大学在籍時からアメリカンフットボール選手として名を馳せ、卒業後はCFLのエドモントン・エスキモーズに在籍しつつ、カルガリーでスチュ・ハートのコーチを受け1952年からプロレスラーとしても活動を開始。1954年よりプロレスに専念するようになる。以降、キラー・コワルスキー、ジョニー・バレンタインと並んで「ポーランド系の三凶鬼」として畏怖された。
1961年7月7日、セントポールでバーン・ガニアを破り第3代AWA世界ヘビー級王者となり、1965年8月21日にはインディアナポリスでディック・ザ・ブルーザーを下しWWA世界ヘビー級王座も獲得した。この間、1964年には日本プロレスのワールドリーグ戦に初来日、豊登と決勝戦で戦ったほか、カリプス・ハリケーンとのコンビで豊登&吉村道明からアジアタッグ王座を奪取。2週間で豊登&ジャイアント馬場に奪回されるが、これが馬場にとって国内初タイトルとなった。
1966年1月7日、セントルイスのキール・オーディトリアムでルー・テーズを破り第45代NWA世界ヘビー級王者となる。団体として全盛期にあった際のAWA世界ヘビー級王座とNWA世界ヘビー級王座の双方を獲得したのは偉大な記録である。1967年には王者として日本プロレスに登場、ジャイアント馬場のインターナショナル・ヘビー級王座に挑戦(NWA王座は懸けていない)。8月14日に大阪球場で行われた一戦は、馬場が後年自身のベストマッチに選ぶほどの名勝負となった。
1969年2月、ドリー・ファンク・ジュニアに敗れてNWA王座転落。1970年にはジャイアント馬場を破りインターナショナル王者となっている。1975年には全日本プロレスのチャンピオン・カーニバルに登場し決勝戦で馬場に敗退。現役選手としての最後の来日は1979年4月だった。
1968年から1983年にかけては、カナダのバンクーバーでNWAオールスター・レスリングを主宰、プロモーターとしても活動した。
1993年、ジャイアント馬場5000試合達成記念試合のスペシャルゲストとして来日。
1999年5月2日にはジャイアント馬場没後の「引退記念試合」に際し、馬場&ザ・デストロイヤーの対戦相手としてブルーノ・サンマルチノと共に指名され来日。自身が生前の馬場と戦っている映像が流れた際には、皆が静観する中で一人握り締めた拳を振りかざしていた。その後の挨拶で「ババ、君は偉大なスポーツマン、レスラー、アスリートであり、本物のプロフェッショナル・レスラーだった。私は君と日米で闘えたことを誇りに思う」と馬場を称えた。
2000年秋には全日本プロレスの分裂による三冠王者空位を受けて行われた「新三冠王者決定トーナメント」の立会人として来日している。
得意技
獲得タイトル
- NWA世界ヘビー級王座:1回
- NWA世界タッグ王座(シカゴ版):1回(w / ディック・ザ・ブルーザー)
- NWA世界タッグ王座(サンフランシスコ版):3回(w / ロード・ブレアース)
- NWAインターナショナルTVタッグ王座(ロサンゼルス版):1回(w / ジョン・トロス)
- NWAインターナショナル・ヘビー級王座(アマリロ版):1回
- NWA北米ヘビー級王座(ハワイ版):3回
- NWAハワイ・ヘビー級王座:2回
- NWAハワイ・タッグ王座:1回(w / ロード・ブレアース)
- NWAミズーリ・ヘビー級王座:1回
- NWAテキサス・ヘビー級王座:1回
- NWAテキサス・タッグ王座:1回(w / レニー・モンタナ)
- NWAカナディアン・オープン・タッグ王座:2回(w / フリッツ・フォン・エリック、ドン・レオ・ジョナサン)
- NWA大英帝国ヘビー級王座(トロント版):2回
- NWAオールスター・レスリング
- NWAパシフィック・コースト・ヘビー級王座:7回
- NWAパシフィック・コースト・タッグ王座:3回(w / キラー・コワルスキー、ハードボイルド・ハガティ×2)
- NWAカナディアン・タッグ王座(バンクーバー版):10回(w / ミスターX×2、ドン・レオ・ジョナサン、ボブ・ブラウン×2、ザ・ブルート、ダッチ・サベージ、ミスター・サイトー、デイル・ルイス、ジークフリード・スタンキー)
- NWA大英帝国ヘビー級王座(バンクーバー版):2回
- AWA世界ヘビー級王座:1回
- AWA世界タッグ王座:2回(w / ハードボイルド・ハガティ)
- AWA USヘビー級王座:1回
- WWWF USタッグ王座:1回(w / ワルドー・フォン・エリック)
- WWA世界ヘビー級王座(インディアナポリス版):1回
- インターナショナル・ヘビー級王座:1回
- アジアタッグ王座:1回(w / カリプス・ハリケーン)
補足
- 大変血の気の多い性格で、70歳近くになってもOB会でルー・テーズと取っ組み合い寸前の喧嘩をしたほどである。しかし馬場とのエピソードで垣間見られるような義理堅い人格者であるためか、憎まれるようなことはなかった。