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2009年はキャンプを一軍でスタートするも、オープン戦で結果を残すことができず開幕は二軍スタートとなった。 |
2009年はキャンプを一軍でスタートするも、オープン戦で結果を残すことができず開幕は二軍スタートとなった。 |
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5月に不調に陥った[[ルイス・ヒメネス (野球)|ルイス・ヒメネス]]に変わり一軍に昇格。チームの都合上すぐ抹消されたが、印象に残る満塁本塁打や火の出るようなタイムリーを放って存在感をアピールした。 |
5月に不調に陥った[[ルイス・ヒメネス (野球)|ルイス・ヒメネス]]に変わり一軍に昇格。チームの都合上すぐ抹消されたが、印象に残る満塁本塁打や火の出るようなタイムリーを放って存在感をアピールした。{{by|2009年}}[[10月11日]]付で退団となった。<ref>http://www.fighters.co.jp/news/detail/945.html</ref> |
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== 年度別打撃成績 == |
== 年度別打撃成績 == |
2009年10月11日 (日) 05:46時点における版
北海道日本ハムファイターズ #39 | |
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レンジャーズ時代のボッツ(2008年) | |
基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | カリフォルニア州パソロブレス |
生年月日 | 1980年7月26日(43歳) |
身長 体重 |
198 cm 113 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投両打 |
ポジション | 指名打者、一塁手、外野手 |
プロ入り | 1999年 46順目 |
初出場 |
MLB / 2005年9月14日 NPB / 2008年7月8日 |
年俸 | 4,700万円(2009年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ジェイソン・ボッツ(Jason Carl Botts , 1980年7月26日 - )は、NPB・北海道日本ハムファイターズに所属しているプロ野球選手(内野手)。
アメリカ合衆国カリフォルニア州パソロブレス出身。パソロブレス出身としてはハル・レインに次いで史上2人目のメジャーリーガーである。
来歴・人物
2005年9月14日の対ボルチモア・オリオールズ戦でテキサス・レンジャーズの選手としてメジャーデビュー。この年は27打数で8安打3打点を挙げたものの13三振を喫した。2006年5月28日のオークランド・アスレチックス戦でカーク・サールースからメジャー初本塁打を放つ。しかしこの年もほとんどを3Aで過ごすことになった。2007年は8月1日に再昇格し、自己最多の48試合に出場。打率.240、2本塁打、14打点という成績を残す。また、指名打者での出場がほとんどだった。
2008年は2本塁打を放ったものの打率.158と結果を残すことが出来ず、4月29日にレンジャーズから戦力外に。その後傘下の3Aでプレーしていたが、6月13日に日本の北海道日本ハムファイターズから入団が発表された(名前が「ジェイソン」だったことと、当日が「13日の金曜日」だったことでファンの間で話題となった)。
日本ハム入団後の7月1日のファームデビュー戦でいきなりサヨナラ本塁打を放つと、7月5日には左右両打席で本塁打を放ち、首脳陣の度肝を抜いた。
翌週には一軍に昇格するが、日本特有の落ちるボールに苦戦し、しばらくは打率.160と低迷。左打席では1本も安打を打てず、右投手相手に右打席に入ったこともあった。[1]しかし、8月中旬森本稀哲から精神面でのアドバイスを受けたことや、自らが日本の野球に慣れたことで8試合連続安打2本塁打と打撃が軌道に乗り始め、終盤は左投手相手のスタメンや代打などでの出場が増え、8月以降の打率が.307という活躍で最終的には打率も.254まで上げた。さらに右打席では3割5分を超える打率を残した。 来日一年目で、シーズンとクライマックスシリーズを通し、自身が在籍する日本ハム以外のパ・リーグ5球団から本塁打を打っている。
応援歌は、来日当初はトニー・ブリューワ用に作られ、後にマイク・マーシャル、ナイジェル・ウィルソンに使われたものが用意された。さらに、同年8月10日の対埼玉西武ライオンズ戦では、『崖の上のポニョ』の主題歌のサビが関東の球場限定の応援歌として使用開始。この応援歌の歌誌の最後は、当初「大きなファウル」だったが、後に彼の調子が上がっていき、「大きなホームラン」に変わった。2009年シーズンより新しい応援歌が作られた
当初は2008年のシーズン終了までの契約だったが、後半戦の活躍から来季の飛躍を期待するとして12月3日に1年間の契約延長が正式に発表され、ブライアン・スウィーニー、ターメル・スレッジと共に2009年も日本ハムに在籍することになった。
2009年はキャンプを一軍でスタートするも、オープン戦で結果を残すことができず開幕は二軍スタートとなった。 5月に不調に陥ったルイス・ヒメネスに変わり一軍に昇格。チームの都合上すぐ抹消されたが、印象に残る満塁本塁打や火の出るようなタイムリーを放って存在感をアピールした。2009年10月11日付で退団となった。[2]
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2005 | TEX | 10 | 30 | 27 | 1 | 8 | 0 | 0 | 0 | 8 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 13 | 1 | .296 | .367 | .296 | .663 |
2006 | 20 | 60 | 50 | 8 | 11 | 4 | 0 | 1 | 18 | 6 | 0 | 0 | 0 | 2 | 8 | 1 | 0 | 18 | 0 | .220 | .317 | .360 | .677 | |
2007 | 48 | 190 | 167 | 19 | 40 | 8 | 1 | 2 | 56 | 14 | 1 | 0 | 0 | 1 | 19 | 0 | 3 | 59 | 8 | .240 | .326 | .335 | .661 | |
2008 | 15 | 46 | 38 | 2 | 6 | 3 | 0 | 2 | 15 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 | 0 | 0 | 18 | 0 | .158 | .304 | .395 | .699 | |
日本ハム | 55 | 159 | 142 | 14 | 36 | 9 | 0 | 5 | 60 | 16 | 0 | 0 | 0 | 1 | 14 | 0 | 2 | 53 | 2 | .254 | .327 | .423 | .750 | |
MLB:4年 | 93 | 326 | 282 | 30 | 65 | 15 | 1 | 5 | 97 | 28 | 1 | 0 | 0 | 3 | 38 | 1 | 3 | 108 | 9 | .230 | .325 | .344 | .669 | |
NPB:1年 | 55 | 159 | 142 | 14 | 36 | 9 | 0 | 5 | 60 | 16 | 0 | 0 | 0 | 1 | 14 | 0 | 2 | 53 | 2 | .254 | .327 | .423 | .750 |
- 2008年度シーズン終了時
記録
- NPB
登場テーマ曲
脚注
- ^ この間、当時ヒット中だった映画『崖の上のポニョ』をもじって「崖っぷちのボッツ」と新聞の見出しにされたこともあった。
- ^ http://www.fighters.co.jp/news/detail/945.html