「メフディ・マハダヴィキア」の版間の差分
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2009年7月12日 (日) 13:03時点における版
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Mehdi MAHDAVIKIA | |||||
ペルシア語表記 | مهدی مهدویکیا | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イラン | |||||
生年月日 | 1977年7月24日(46歳) | |||||
出身地 | テヘラン | |||||
身長 | 172cm | |||||
体重 | 72kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | アイントラハト・フランクフルト | |||||
ポジション | MF、FW | |||||
背番号 | 15 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
代表歴 | ||||||
1996– | イラン |
105 (13) 2008.11.27現在 | ||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
メフディ・マハダヴィキア(メフディー・マフダヴィーキヤー; ペルシア語: مهدی مهدویکیا、Mehdī Mahdavī-kiyā、1977年7月24日 -)は、イラン出身の同国代表のサッカー選手。ポジションはMF。現在はドイツ・ブンデスリーガ・アイントラハト・フランクフルト所属。主に右サイドを主戦場とし、高い突破力とクロスを持ち味とする。
経歴
1997年にアジア年間最優秀ユース選手賞に選出されたのをきっかけに翌年、イランのピルジィからドイツのVfLボーフムに移籍。その年にチームは降格してしまったが、活躍を認められてハンブルガーSVに移籍した。2002-2003シーズンにはブンデスリーガのアシスト王に輝き、2003年のアジア最優秀選手に選ばれた。2006-2007シーズン終了後、長らく在籍したハンブルガーSVから退団し、アイントラハト・フランクフルトへ移籍した。
2009年6月、ワールドカップ予選の韓国戦で緑色のリストバンドをつけて試合に出場したため、代表からの無期出場停止処分を受けた。緑色はイラン大統領選挙で敗れた改革派(現大統領アフマディネジャドによる不正があったと主張している)のシンボルカラーであり、改革派を支持していると受け止められたようだが、政府当局から強要や圧力があったかどうかは不明である。なお、マハダビキアのほかにアリ・カリミら3選手が処分された。[1]
エピソード
高原直泰曰く、いびきがかなりうるさいらしい。
所属クラブ
- 1995年-1998年 ピルズィ・テヘラン( イラン)
- 1998年-1999年 VfLボーフム( ドイツ)
- 1999年-2007年 ハンブルガーSV( ドイツ)
- 2007年- アイントラハト・フランクフルト( ドイツ)
脚注
- ^ スポーツ報知 (2009年6月26日). “イランのサッカー代表4人追放…W杯予選で改革派支持リストバンド”. 2009年7月7日閲覧。