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2007年11月4日 (日) 12:04時点における版
横路 孝弘(よこみち たかひろ、1941年1月3日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(9期)。衆議院副議長(72代)。
北海道知事(第4代、3期)を歴任。
衆議院議員 横路 孝弘 | |
---|---|
生年月日 | 1941年1月3日 |
出身地 | 北海道札幌市 |
出身校 | 東京大学 |
学位・資格 | 法学士 |
前職 | 弁護士・北海道知事 |
所属委員会 | 衆議院副議長 |
世襲 |
2世 父・横路節雄(衆議院議員) |
選出選挙区 | 北海道第1区 |
当選回数 | 9回 |
所属党派 |
無所属(民主党(横路グループ)) 副議長就任により会派離脱中 |
党役職 | - |
会館部屋番号 | 衆・第二議員会館516号室 |
ウェブサイト | 横路孝弘ホームページ |
概要
社会党のプリンス・若手改革派
北海道札幌市に、父・横路節雄、母・美喜の長男として生まれる。節雄は北教組のリーダーから社会党代議士。美喜は、『日本資本主義発達史』の著者である野呂栄太郎の妹である。
中学時代、交通事故で大怪我を負う(そのため16歳で義務教育修了)。札幌西高校に1年1学期だけ通い転校先の都立九段高校卒業。
東京大学法学部卒。大学在学中から、社青同学生班で活動。また、在学中1965年司法試験に合格し、卒業後は弁護士として全道労協の顧問弁護士などを務めた。
1969年父の急死により第32回衆議院議員総選挙に出馬し初当選。日本社会党の「新しい流れの会」幹事を務めるなど若手の論客としてならし、「社会党のプリンス」とよばれた。
1972年衆議院予算委員会で沖縄返還に伴う密約を示した外務省極秘電信を暴露(情報の取得に違法行為があったとして逮捕者が出た外務省秘密漏洩事件)。
勝手連選挙から自治労選挙、社会党イデオロギーに囚われない施策
衆議院で当選連続5回の後、1983年4月の北海道知事選挙に周囲から推される形で立候補。勝手連による選挙運動で支持を広げ、自由民主党、新自由クラブなどの推す前副知事三上顕一郎らを破って初当選した。2期目も自由民主党など推薦の松浦昭らを退け、3期目は自由民主党推薦佐藤静雄に100万票以上の圧倒的大差をつけ当選。革新王国といわれる北海道でも前代未聞の大勝であった。
一村一品運動を推進して地域経済の活性化をはかり、第1回アジア冬季競技大会も招致。しかし1988年の「世界・食の祭典」では90億円という多額の赤字を出し道議会で問責決議が行われた。道民の間では「ショックの祭典」などと揶揄された。
道議会で、自民党議員の質問に対する答弁で「日の丸は国旗、君が代は国歌」と明言し、出身母体の社会党の方針とは異なる内容だったので話題となった(なお、後に代議士として国旗国歌法の採決では反対票を投じている)。同様に、北海道電力泊原子力発電所についても「行政の継続性」を唱えて、反対をしなかった。
昭和天皇の大喪の礼に対して「天皇(制賛美)につながる」という理由で出席を拒否する一方、その数年後の朝鮮民主主義人民共和国主席・金日成の国葬には、招待されたわけではないにもかかわらず、「偉大なる政治家の死を悼むのは当然」と理由で出席している[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。。
旧社会党右派系から民主党護憲派の重鎮へ
1995年三期目の任期満了をもって北海道知事を退任。社会党に復党を求められたがこれに応じず、旧民主党結成に参加。1996年10月に行われた衆議院総選挙で北海道1区から民主党公認で立候補し当選して国政復帰を果たした。以後、2005年総選挙まで4回連続、小選挙区で当選している。
鳩山由紀夫が党代表に就任時、憲法改正発言を行ったとき辞職を促すなど党内護憲派の代表格。旧社会党系議員を中心にしたグループ、「新政局懇談会」(通称・横路グループ)を率い、民主党内で強い影響力を持つ。一方、改憲論者として知られる小沢一郎との連携には早くから動いていた。2004年には、小沢との間で日本の安全保障、国際協力の基本原則について合意に達し、国連の警察的機能に積極的に貢献するために別組織を作って国際協力を進めるとともに、自衛隊は国土防衛に徹して海外派遣しないことなどを確認した。
第163特別国会から衆議院副議長を務めている。
かつて平和と民主運動(MPD)の呼びかけ人だったことがある。
静岡空港建設反対の国会議員署名活動で署名者に加わっている[1]。
略歴
経歴
政歴
- 1969年
- 12月29日 第32回衆議院議員総選挙(旧北海道1区・日本社会党公認)当選。
- 1972年
- 12月10日 第33回衆議院議員総選挙(旧北海道1区・社会党公認)2期目当選。
- 1976年
- 12月5日 第34回衆議院議員総選挙(旧北海道1区・社会党公認)3期目当選。
- 1979年
- 10月7日 第35回衆議院議員総選挙(旧北海道1区・社会党公認)4期目当選。
- 1980年
- 6月22日 第36回衆議院議員総選挙(旧北海道1区・社会党公認)5期目当選。
- 1983年
- 北海道知事選挙(無所属)当選。
- 1987年
- 北海道知事選挙(無所属)2期目当選。
- 1991年
- 北海道知事選挙(無所属)3期目当選。
- 1996年
- 10月20日 第41回衆議院議員総選挙(北海道1区・民主党公認)6期目当選。
- 2000年
- 6月25日 第42回衆議院議員総選挙(北海道1区・民主党公認)7期目当選。
- 2003年
- 11月9日 第43回衆議院議員総選挙(北海道1区・民主党公認)8期目当選。
- 2005年
- 9月11日 第44回衆議院議員総選挙(北海道1区・民主党公認)9期目当選。
- 衆議院副議長就任
関連項目
脚注
外部リンク
- 横路孝弘ホームページ(公式サイト)
- 民主党北海道ウェブサイト
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