瀬戸欣哉

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瀬戸 欣哉(せと きんや、1960年昭和35年)6月25日 - )は、日本のプロ経営者株式会社MonotaRO創業者。ベンチャー企業を11社創業した実績を持つ[1]。現在は、株式会社LIXILグループ 取締役 代表執行役社長 兼 CEOを務めている。

せと きんや

瀬戸欣哉
生誕 1960年6月25日
国籍 日本の旗 日本東京都
出身校

東京大学経済学部

ダートマス大学経営大学院
配偶者 瀬戸陽子
子供 3人
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経歴[編集]

東京都杉並区[1]生まれ。武蔵中学・高等学校を経て[1]東京大学経済学部卒業、ダートマス大学経営大学院修了。

1983年、住友商事株式会社入社[1]、鉄鋼部門に配属される[1]。1994年には、米ダートマス大学(Tuck)でMBA(経営学修士)を取得。2000年には「MonotaRO」の前身である「住商グレンジャー」を社内ベンチャーで設立し[1]、翌年代表取締役社長に就任した[1]。2009年、MonotaROを東証一部に上場させる[1]。2016年の成長率ランキングで MonotaROリーマンショック以降、日本では1位、世界では9位の成長と紹介された。(日経ビジネス2016年1月11日号「成長率ランキング100」)。2021年2月現在、MonotaRoの株価は、上場以来400倍となり、自身出身の住友商事より時価総額を上回る成長を遂げている。

2016年に、LIXILグループの前身企業の1つであるトステムの創業家出身で、実質的なオーナーだった取締役会議長の潮田洋一郎元会長から、藤森義明の後任として招聘をされ、代表執行役に就任[1][2]。当時のLIXILグループは過去5年間の投資総額5000億円超の大型M&Aを行った結果、660億円の損失があった[3]。瀬戸の「MonotaRO(モノタロウ)を創業し東証1部に上場させた実績」を買われたかたちであった[1]

2018年、株式会社LIXILグループCEOを突然解任される。解任の原因の1つに、潮田洋一郎CVCLXILを買収させて株式を非公化し、本社をシンガポールに移そうとしたところ、瀬戸が国内事業が売上高7割を占める同社が本社を海外に移すのは現実的でないとして反対した事にある[3]。実際、当時の潮田は月の半分以上はシンガポールに滞在し、会社には殆ど顔を出す事はなかった。

この解任決定過程について、欧米の機関投資家が疑問を持ち、2018年12月にマラソン・アセット、2019年1月にはブラックロックが会社側に説明を求める書簡を提出[4]。LIXILの企業統治を厳しく問う動きが広がった。2019年6月25日の定時株主総会では、瀬戸と機関投資家が株主提案として自身のCEO復帰および自身が指名した人物の取締役就任を求め、会社側とプロキシーファイトを展開。総会では解任の経緯など会社側の姿勢を問いただす声が相次ぎ、採決では株主提案が可決され、株式会社LIXILグループCEOに返り咲いた。敗れた潮田側に付いた藤森義明は「太陽が西から昇るようなものだ」と悔しがったと言う[3]。物言う株主の主張を積極的に受け入れた点で、日本のガバナンス史上で大きな意味を持ったと評価されている[5][6]。復帰後の株価は2021年9月時点で7割以上上昇している。

2023年、国連が主催するSWAの評議員に就任した。

人物[編集]

身長184㎝。身長184㎝で見た目が大きい事から、初対面の人には先ず大きいと言われる事が多い。2017年に山本公一環境相と環境省で意見交換した際にも体格の大きさが早速話題になり「放射能の影響で大きくなりました」と発言し、問題となった。瀬戸は、自身の体格が大きくなったことを、当時上映されていた「シン・ゴジラ」をイメージして場を和ませる冗談のつもりで発言したようである。しかし、福島第一原子力発電所事故の記憶を踏まえて、公の場で発言することは不適切であったとして謝罪をした[7]

小学校時代は夏休みの宿題も含め、宿題をした事が無く、先生を悩ます子供だった。ケンカの強さが自慢だった。母は毎日の様に学校に呼び出されたが、どんなに先生に怒られても全く気にしなかった[8]

中学は武蔵中学校に進学[9]。3つ上の兄が同中学に通っており[1][9]、また、当時開成中学は坊主が必須で、それだけは避けたかったのと、武蔵は週休2日で、制服もなかったのが選んだ理由だった。中高時代はバスケットボール[1][10]青山学院大学からパスケットでの入学を誘われたが辞退)、東京大学ではボクシング部に所属[1]。東京大学時代には母校の武蔵高校バスケットボール部でコーチを務め、区大会ですら殆ど勝てなかった弱小チームを都大会に進出するチームにまで育てた[1][8]。高校時代はバスケットボールに夢中だった為、高校3年の6月にバスケットボールのインターハイ出場決定試合に負けるまで受験勉強をした事がなく、6月末に初めて大学受験の模擬試験を受けた時は、マークシートの使い方さえ分からず、友人に呆れられた程だったが、現役で合格している。

中学時代からの同級生であり歴史学者本郷和人は、高校時代の瀬戸について、「スポーツマンで朗らかな彼の周囲にはいつも友だちの輪があり、実社会の中で業績を積み重ねるタイプで外に広く柔軟に開かれていく頭脳明晰さを持っている人物だった」と語っている[11]。同じく歴史学者の大津透建築史家工学院大学理事長になった後藤治[12]宇宙航空研究開発機構 (JAXA) 宇宙科学研究所長國中均医学者柳沢正史、元外交官で現在弁護士の吉野正己も同級生[9]

東京大学経済学部では土屋ゼミに所属した。

略歴[編集]


著書[編集]

  • 『製造コスト削減の盲点』 経営者新書、2013年8月

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 日経ビジネス電子版. “進化する「プロ経営者」LIXIL瀬戸欣哉社長”. 日経ビジネス電子版. 2021年1月22日閲覧。
  2. ^ LIXILグループ新社長”. President Online. 2016年9月12日閲覧。
  3. ^ a b c 『東芝で暗躍「藤森義明」の正体』ファクタ出版株式会社、2021年5月20日、11頁。 
  4. ^ LIXILのCEO退任 機関投資家が書簡”. 日本経済新聞 電子版. 2020年8月2日閲覧。
  5. ^ 緊急リポート LIXIL瀬戸氏を勝たせた 3つの要因”. 日経ビジネス電子版. 2020年5月9日閲覧。
  6. ^ LIXIL、創業家一派を完全放逐へ…抗争再燃の火種、“持ち株会社体制解消”の荒業”. ビジネスジャーナル. 2020年2月20日閲覧。
  7. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2017年2月15日). “「放射能の影響で大きくなりました」 LIXIL社長、環境相との意見交換の場で不適切発言”. 産経ニュース. 2020年6月19日閲覧。[リンク切れ]
  8. ^ a b 『経営教室「反骨のリーダー」』日経BP、2018,5,21、56-57頁。 
  9. ^ a b c 日本経済新聞社・日経BP社. “常に「なぜ」問う、経営にも武蔵の教え LIXIL瀬戸氏|出世ナビ|NIKKEI STYLE”. NIKKEI STYLE. 2021年1月22日閲覧。
  10. ^ 日本経済新聞社・日経BP社. “トップ解任→返り咲き 支えてくれた武蔵高恩師の言葉|出世ナビ|NIKKEI STYLE”. NIKKEI STYLE. 2021年1月22日閲覧。
  11. ^ 豊臣秀吉 世情把握し現場で才能発揮”. 日本経済新聞 電子版. 2020年4月28日閲覧。
  12. ^ 高等教育の明日 われら大学人<78>歴史的建築物の保存修復の権威工学院大学の新しい理事長 後藤治さん”. 日本私立大学協会. 2021年1月23日閲覧。