林平四郎
林 平四郎[1](はやし へいしろう[2]、1857年12月26日(安政4年11月11日[3][4]) - 1941年(昭和16年)12月11日[2][5])は、日本の醸造家[6]、政治家、実業家、資産家[7]、山口県多額納税者[8][9]。
林 平四郎 はやし へいしろう | |
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林平四郎「聖代偉績芳鑑」より | |
生年月日 | 1857年12月26日 |
出生地 | 長門国下関(現・山口県下関市) |
没年月日 | 1941年12月11日(83歳没) |
所属政党 | 無所属(新政会→交友倶楽部) |
親族 |
義孫・林佳介(元衆議院議員) 曾孫・林義郎(元大蔵大臣) 高孫・林芳正(内閣官房長官) |
選挙区 | 下関市選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1915年3月25日 - 1920年2月26日 |
貴族院議員(交友倶楽部)[10]、衆議院議員(当選2回、新政会)[2][11]、山口県会議員[12]、下関市会議員[12]。大津屋本店、春帆楼、生蝋醤油醸造業並料理旅館業[8]。下関商工会議所会頭[13]。族籍は山口県平民[14][15]。内閣官房長官林芳正の高祖父。
経歴
[編集]長門国下関(現・山口県下関市)で生まれた[16]。林太平の長男[14][15]。家業は醤油醸造及び植物性蛹油の製造業である[12]。漢学を修めた[2]。1883年、家督を相続した[13][14]。
大津屋と称し醤油醸造業を営み[15]、また生蝋製造業をも営む[17]。事業の改善拡張を図り、孜々として家運の隆興に努めた[12]。また防長教育会評議員、国勢調査委員となった[11]。三等郵便局長心得を命ぜられた[11]。
奥小路町会議員、下関市会議員、同市参事会員、山口県会議員を務め、常に地方自治の発達を図った[12]。1915年、衆議院議員に当選した[12]。党籍を無所属団に置いた[16]。貴族院議員に互選された[13]。
関門汽船、朝鮮勧農各取締役[15]、下関商業会議所議員、同会頭、下関米穀取引所理事長[12]、下関瓦斯(山口合同ガスの前身)、下関倉庫、山陽電気軌道(サンデン交通の前身)、長州鉄道、長府土地各社長を務めた[13][18][19]。
人物
[編集]1930年、紺綬褒章を下賜された[8][13]。貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した[4]。宗教は真宗[8][13]。
『大正人名辞典』で「林平四郎君は資産信望に於て下関市の実業家中に秀出す、其の人格識見卓絶し其言論亦最も有力なるは勿論にして、市内大小の事殆んど君が関係を待たざるはなく、社会の敬重する所たり」と紹介されている[17]。
『商工資産信用録 第33回 中国四国版』によると「調査年月・1932年2月、正身身代・G、信用程度・Aa、職業・醤油醸造、種油製造」である[20]。住所は山口県下関市貴船町、同市関後地村[8]、同市本町5丁目[12][14][15]。
政策・主張
[編集]- 「いかに朝鮮を開発するか」について林は「朝鮮は未だ充分開墾の余地沢山あり主に鮮人を使用して開作し産業の発達を計るべし。かくして鮮人に業を与うべし。産米増殖は邦人渡鮮して開墾地の風土を研究して殖産方法を鮮人に教え将来工業として内地と異らざるべし。鮮人を愛撫し永久的の事業として産米増殖の目的に進むべきなり」と所見を述べている[21]。
年譜
[編集]- 1857年(安政4年) - 下関の醤油醸造業大津屋の林太平の長男として生まれる。
- 1884年(明治17年) - 奥小路町会議員に当選[12]。
- 1889年(明治22年) - 赤間関(後の下関)市会議員選挙に当選。
- 1915年(大正4年) - 下関瓦斯を設立。衆議院議員に当選[12]。
- 1922年(大正11年) - 地元下関の歴史的会場となった割烹旅館春帆楼の土地・建物・営業権を15万円で買収。
- 1924年(大正13年) - 山陽電気軌道を設立。日清講和談判記念碑を建立。
- 1925年(大正14年) - 9月29日、貴族院議員に就任[22]。
- 1939年(昭和14年) - 9月28日、貴族院議員任期満了[5]。
- 1941年(昭和16年)12月11日 - 85歳で死去。正五位を追贈。[23]
家族・親族
[編集]- 林家
- 宗祖・平次郎[1] - 1781年から1789年に平次郎は向津具から赤間関(現在の下関)に移り住む[24]。赤貧より身を起こし[1]、千金を蓄え米、質の両業を開き、これをその子平二郎に譲る[1]。
- 父・太兵衛[1]、あるいは太平[15] - 3代目の太兵衛は米、質業を廃業し、更に油、木蝋、醤油業を開始する[1]。1894年、64歳の頃没する[1]。
- 養兄・助之進(山口県多額納税者、大助商店、荒物商)[25]
- 長男・長五郎(大阪高工出身、病没[1]) - 『聖代偉績芳鑑』によると、「予備砲兵少尉で家に在り、また父の性を享けて謹厚克く父をたすけ、実に在郷軍人の模範である[12]」という。
- 長女・トキ(1888年 - ?)[13]
- 養子・シセ(1873年 - ?)[13]
- 孫
- 養孫・佳介(1900年 - 1987年、大津屋、醤油醸造業[18]、実業家、政治家・衆議院議員、孫・トラの夫[13])
- 曾孫
- 玄孫
- 芳正(政治家・衆議院議員、参議院議員、内閣官房長官) - 外務大臣、文部科学大臣、農林水産大臣、防衛大臣などを歴任。
- 俊作(大津屋社長)
略系図
[編集]林平四郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
木戸幸一 | 俵田明 | 属最吉 | 朴家 | 松田忠治 | 林長五郎 | 広瀬貞治 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
木戸孝彦 | 初枝 | 俵田寛夫 | 澄江 | 属啓成 (朴啓成) | 中村隆一 | 林佳介 | トラ | 広瀬正雄 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
知子 | 木戸武 | 万里子 | 林義郎 | 尭子 | 広瀬勝貞 | 広瀬道貞 | 広瀬貞雄 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
長尾尚人 | 千恵子 | 玲子 | 林哲郎 | 林芳正 | 裕子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h 『関門若倉精華 第1編』78頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年1月17日閲覧。
- ^ a b c d 『議会制度七十年史 第11』402頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年8月28日閲覧。
- ^ 衆議院『第三十六回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1915年、23頁。
- ^ a b 『全国貴族院多額納税者議員互選人名総覧』105頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年5月1日閲覧。
- ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』217頁。
- ^ 『大日本醸造家名鑑』大日本醸造家人名 山口県(醤油)11頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年6月24日閲覧。
- ^ 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』10頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年5月1日閲覧。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第11版 下』は135頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年6月3日閲覧。
- ^ 『日本紳士録 第35版附録』附録 全国多額納税者 山口県63頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年8月28日閲覧。
- ^ 『輝く憲政』10頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年11月20日閲覧。
- ^ a b c 『衆議院議員略歴 第1回乃至第19回』51頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年7月30日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k 『聖代偉績芳鑑』21 - 22頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年4月28日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k 『人事興信録 第12版 下』ハ115頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年4月24日閲覧。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第5版』は51頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年11月20日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第6版』は47頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年6月3日閲覧。
- ^ a b 『人物と其勢力』山口県之部23頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年4月29日閲覧。
- ^ a b 『大正人名辞典』1850頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年4月25日閲覧。
- ^ a b 『日本紳士録 第43版』山口ハ、ヒの部12頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年4月29日閲覧。
- ^ 『日本経済新聞』2013年10月28日。
- ^ 『商工資産信用録 第33回 中国四国版』山口県は之部4頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年5月3日閲覧。
- ^ 如何に朝鮮を開発するか 内地名士の所見京城日報(1926年1月1日)、神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 植民地の貿易(3-121)。2022年5月29日閲覧。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、35頁。
- ^ 「200年企業 成長と持続の条件(224)大津屋 醤油を原点に『温故創新』」『日本経済新聞』2013年10月28日。
- ^ 大津屋の歴史 - 林平四郎伝より、大津屋サイト。
- ^ 『人事興信録 第9版』ハ83 - 84頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年1月15日閲覧。
参考文献
[編集]- 室次郎編『大日本醸造家名鑑』醸造時報社、1908年。
- 福田東作編『人物と其勢力』毎日通信社、1915年。
- 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』時事新報社、1916年。
- 東洋新報社編『大正人名辞典』東洋新報社、1917年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 聖代偉績芳鑑編纂局関西支部編『聖代偉績芳鑑』聖代偉績芳鑑編纂局関西支部、1919年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 磯野菊右エ門『関門若倉精華 第1編』改進社、1923年。
- 交詢社編『日本紳士録 第35版附録』交詢社、1931年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 『商工資産信用録 第33回 中国四国版』商業興信所、1932年。
- 『全国貴族院多額納税者議員互選人名総覧』銀行信託通信社出版部、1932年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員略歴 第1回乃至第19回』衆議院事務局、1936年。
- 自由通信社編『輝く憲政』自由通信社、1937年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版 下』人事興信所、1937 - 1939年。
- 交詢社編『日本紳士録 第43版』交詢社、1939年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版 下』人事興信所、1940年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院、参議院編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。