春帆楼

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株式会社春帆楼
Shunpanro
春帆楼(左)と日清講和記念館(右)
春帆楼(左)と日清講和記念館(右)
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
105-6135
東京都港区2-28-8
芝2丁目ビル1F
本店所在地 750-0003
山口県下関市阿弥陀寺町4-2[1]
設立 2003年10月1日
業種 サービス業
事業内容 ふく料理店及び割烹旅館運営、ふく宅配店事業、ケータリング事業等
代表者 代表取締役社長 橘 正
資本金 1億5000万円
従業員数 60名
主要株主 オリックス不動産株式会社 100%
外部リンク http://www.shunpanro.com/
特記事項:創業は明治期
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春帆楼(しゅんぱんろう)は、山口県下関市阿弥陀寺町にある割烹旅館である。「株式会社春帆楼」が運営している。

概要[編集]

赤間神宮安徳天皇御陵に隣接し、関門海峡を望む高台に位置する。

この地は元々阿弥陀寺方丈のあった所で、同寺が廃寺となった後、中津藩の眼科医藤野玄洋が買収して、1877年(明治10年)に医院「月波楼医院」を開院していた所であるが、玄洋亡き後(1884-85年頃といわれる)、未亡人・ミチが旅館兼料亭として、伊藤博文の命名により創業を開始したものである。1888年(明治21年)には伊藤により解禁となった、ふぐ料理公許第一号店として(下関ではふぐのことをふくと呼ぶ)、あるいは1895年(明治28年)4月17日に締結された日清講和条約(下関条約)の締結会場としても知られる。

大正時代、経営者死去により廃業の危機に陥る。地元下関の名士林平四郎1922年、春帆楼の土地建物営業権を当時15万円で買い取り、伊東巳代治書の日清講和記念碑を建立。1945年、空襲で家屋焼失。

戦後は地産トーカン→ジェネラスコーポレーションが再興し運営していたが、株主である地産の会社更生法適用(倒産)に伴い、2003年(平成15年)10月に分社された後、2004年(平成16年)9月にオリックス不動産に株式が譲渡された。この経緯もあって、法人としての「株式会社春帆楼」の本社所在地は東京都港区となっており、下関市での旅館業の他、各地で料亭の運営にあたっている。

昭和天皇香淳皇后が2度(大分県の植樹祭の帰路、山口国体開催時の行幸時)宿泊している。敷地内に日清講和記念館登録有形文化財)、伊藤博文・陸奥宗光の胸像、講和条約時、李鴻章が宿泊した引接寺へは、敷地内より李鴻章道が続く。

交通[編集]

関連項目[編集]

参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ “ふく料理の最高峰 『下関春帆楼』が東京に初出店!” (プレスリリース), 株式会社春帆楼, (2012年8月29日), http://www.orix.co.jp/grp/news/2012/20120829_RealJ.html 2014年5月21日閲覧。 

外部リンク[編集]