松平信任
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 文政11年3月9日(1828年4月22日)[1] |
死没 | 弘化4年5月10日(1847年6月22日) |
改名 | 意之丞(幼名)→信任 |
戒名 | 浄光院殿日曜諦明大居士 |
墓所 | 東京都新宿区富久町の自證院 |
官位 | 従四位下、侍従、左兵衛督 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 上野吉井藩主 |
氏族 | 鷹司松平家 |
父母 | 父:松平房府、養父:松平信敬 |
妻 | 鋭姫(松平信敬の娘) |
子 | 養子:信発、養女(松平信敬の娘、松平信発正室) |
松平 信任(まつだいら のぶただ)は、上野吉井藩の第8代藩主。鷹司松平家10代。
文政11年(1828年)、松平房府(第6代藩主・松平信成の次男)の長男として生まれる。天保12年(1841年)7月6日、叔父で第7代藩主の信敬が死去したため、その婿養子として家督を継いだ。同年7月28日、将軍徳川家慶に拝謁する。同年12月16日、従四位下侍従・左兵衛督に叙任する。
弘化4年(1847年)5月10日に死去した。享年20。跡を養子の信発が継いだ。
系譜
[編集]父母
正室
- 鋭姫 - 松平信敬の娘
養子、養女